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「ピーター・ドイグ」

ピーター・ドイグ(1959年~ スコットランド出身)
新しい具象(ニュー・フィギュラティブ・ペインティング)の画家


《Canoe‐Lake》1997~1998年
peter-doig.jpg


1958年にエジンバラに生まれる。幼少の頃にトリニダード・トバゴ共和国、カナダに移り住んだ後、1979年から90年までにロンドンの数校の美術学校でアートを学ぶ。1994年にターナー賞にノミネートされるなど、イギリスのアートシーンを担っています。

ピーター・ドイグがロンドンに戻る以前の1960年代から1970年代にかけては、世界的に展開された【コンセプチャル・アート(観念芸術)】によって、アートは難解なものになり停滞の時期を迎えていました。
そして1980年代になると、このモダニズムの閉塞的状況を打開しようとするムーブメントが世界的規模で起こります。「絵画らしい絵画」を表現したい画家たちとそれを観たい大衆との欲求が一つとなっていったのです。絵画に再び「内容」や「意味」が復活し、何を描くかということに活路を見出していきました。ドイツでは「新表現主義」 アメリカではニュー・ペインティング(バッド・ペインティング) イタリアでは「トランス・アヴァンギャルド」と呼ばれました。

1990年代になると、「新しい具象(ニュー・フィギュラティブ・ペインティング)」のアーティストたちが登場してきます。80年代のニュー・ペインティングは、巨大なキャンヴァスに、奔放で激しく力強い筆触・自由で大胆な色遣いで描かれています。以前紹介しましたアンセルム・キーファージュリアン・シュナーベルの作品を見て分かるように、マティエール(画肌)やテクスチャ(質感)に大きな特徴があり、それがまた鑑賞者に対する訴求力を高めています。

「新しい具象」のモティーフは、実際に起こりうる(経験・体験)ことや、すでに経験したことです。身の回りの日常を描いています。しかし日常を日常のまま描くのではなく、メディアの写真・広告写真・映画のワンシーン・絵葉書・ポスター・他の美術品などを利用して、具象でもあり抽象でもあるようなあいまいな世界を描いています。
「新しい具象」は私たち鑑賞者にとっても、『何処かで見たことがある』『行ったことがある』という思いが湧いて作品に入り込んでいくことができるのです。

ピーター・ドイグは言います。
「僕は自分の絵をリアリスティックなものなどとは全然思っていない。僕の絵は、目の前にあるものからというより、むしろ自分の頭の中から生まれたものだと思っている。」 *「ART NOW」(タッセン社)より
彼は、自分の経験や記憶から得たインスピレーションに誘発され、自身が撮り溜めた写真や広告写真や絵葉書などを利用して心象風景を描いています。幼い頃に暮らしたトリニダード(現在彼のアトリエがあります。)やカナダの美しい風景が織り込まれています。

写真(映像)には、瞬間的に現実を捉え固定(記録)する面白さがあります。普通の時間の流れでは見ることができないい現実を、一瞬の間に切り取り、改めて見るとその情報量の多さに驚きを感じる面白さもあります。さらにトリミング・加工することによってまた違った現実を見せてくれます。19世紀に発明され、再現性という側面で絵画より一歩先に出た写真は発展を遂げ、1990年代には映像や写真がアートとして認知されます。「新しい具象」の画家たちは、写真の視覚的な面白さを利用し、それを再び手わざで再現しました。さらに物質的な(絵具)面白さも加えて、写真のような絵画、現実のようで現実ではない「物語空間」、具象の中に抽象的な要素を取り入れた新しい絵画にアプローチし、表現手段としての絵画のヴァリエーションを広げていきました。つまり、映像そのものを絵画の対象に加えていったのです。


以前紹介しましたリュック・タイマンスエリザベス・ペイトンも同時代のアーティスト達です。



《Night Fishing》1993年
ピーター・ドイグ

この作品は、「カナダでフィッシングをしよう」という広告写真を利用しています。

《Reflection(What does your soul look like?)》1996年 キャンヴァスに油彩 295×200cm
ピーター・ドイグ

ピーター・ドイグは抽象表現主義のアーティストとしてスタートしていますので、1990年代はその手法で描いた作品が多く見られます。
「夜釣り」はしばらく観ていると、夕暮れの美しい空の色彩が映りこんだ湖が浮かび出し、次に人影のあるボート、そして湖を囲む山と次々とディテールが浮かび上がってきます。
「Reflection(反映・沈思)」は、川か湖でしょうか、私たち自身の心のなかでしょうか。木立にたたずむ人が水面に反映しています。静寂の中、What does your soul look like?と自分自身に問いかけています。


《Lapeyrouse wall》2004年 キャンヴァスに油彩 200×250.5cm
ピーター・ドイグ

画面の半分以上を占める空。塀の上に描かれた男性の頭部と傘は、その空の広がりを強調しています。そして男性が向かう方向に続く塀と歩道のパースペクティブに引き込まれるように、ストーリーの想像力を掻き立てられる、そんな作品です。

これは、小津安二郎監督の「東京物語」に感銘を受けインスピレーションを得て描いた作品です。元になった写真を見ると、実際にはトリニダードの風景のようですが、映画の主人公の老夫婦が暮らす尾道の海岸線や、彼らが歩く東京湾の防波堤脇、東京に住む子ど達に冷たくあしらわれて追いやられた熱海の海岸線が浮かんできます。小津と、小津を尊敬してやまないヴィム・ベンダースの二人に対するオマージュとしてとらえてもよい作品だと思います。

《Lapeyrouse P.O.S Pink Umbrella》2004年
ピーター・ドイグ

《Savannah》2004年
23038.jpg


ピーター・ドイグは一つのモティーフで数点の作品を描きます。それぞれ微妙に違う印象を受けます。


《Paragon》2004年 275×200cm
ピータードイグ

《Paragon》
Peter Doig


ピーター・ドイグは、写真や絵葉書や映画などの画像だけではなく、印象派や後期印象派などの画家が描いた鮮やかな色彩やモティーフにも影響を受けています。
「Paragon」の朱色は、まさにゴーギャンのそれで、またモティーフの植物は装飾的です。表現主義の先駆けとなったゴーギャンは、目の前にある物や自然を忠実に再現することなく、自由で大胆な色遣いをして感情を表現しました。ピーター・ドイグの作品は、そういった影響を受けていると思います。

ポール・ゴーギャン【ノアノア】1894年
ノアノア1894年 (480x387)



《100 Years Ago》2001年 240×360cm
ピーター・ドイグ

ページトップの「Canoe‐Lake」と同じモティーフで描かれています。
自宅のTVで見ていた「13日の金曜日」のラストのシーンからインスピレーションを得て描きました。
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テーマ:アート - ジャンル:学問・文化・芸術

写真家「ナン・ゴールディン」

ナン・ゴールディン

「My camera has saved my life.」


《Guido floating,Levanzo,Sicily》1999年 
ナン・ゴールディン

男性の肢体のユニークなフォルム、その動きに従う静かな波紋、水面下の揺らめき、そしてそれらすべてを包み込むブルーが美しい。

《Smoky Car New Hampshire》1979年
ナン・ゴールディン

ナン・ゴールディンの写真は演出が無く、ほとんどが自然光で(あるがままの光源で)撮られている。
車の窓から差し込む光に浮かぶスモーキーな空気は気怠いけれど、やはり美しい。


《The Hug》1980年
Thehug1980.jpg

《Nan One Month After Being Bettered》1984年
ナン・ゴールディン

《Cookie in her casket,New York》1989年
ナン・ゴールディン

エイズで亡くなった親友のクッキー

《selfportrait,with eyes turned inward,Boston》1989年
ナン・ゴールディン

ナン・ゴールディンは、1953年ワシントンDCに生まれボストンで育つ。11歳の時、姉バーバラ(18歳)が精神を病み線路に横たわって自殺する。家庭は崩壊し、家族との絆を捨て14歳の時家出する。ドラッグクイーンらと共に生活を始める。カメラを手にしたのは15歳の時で、過去のトラウマに加えて、姉が自分の記憶から薄れていくという恐怖から逃れるため、二度と訪れることのない日常の写真を撮り始める。同居人たちのスナップ的なポートレイト写真を彼らが喜んでくれたことがきっかけとなり、写真にのめり込んで行く。エイズに侵された80年代・90年代のアメリカやヨーロッパの都市で、自分自身や恋人、親友達(彼女は自分が撮っている親しい仲間たちを特別に「拡大家族(Extended Family)」と呼んでいる。)の日常の姿を見つめ、シャッターを切り続けた。彼らが自然な姿で写し出されているのは、ゴールディン自身が傍観者では無いからだ。麻薬と暴力と性に依存するあらゆる生の側面に寄り添い受け入れ、その一瞬一瞬を彼らと共有して、彼女自身が写真の中に存在しているからではないだろうか。

《Jimmy and Paulette》1991年
ナン・ゴールディン

《Misty Doing her Make-up Paris》1991年
ナン・ゴールディン

初期の頃、彼女はは親しい仲間とのパーティーで、撮り溜めた写真をスライドで映し出すという方法で発表していた。静止画のムービー、もちろん音楽が流れている。1973年ボストンで初めての個展が開かれる。
そして、1985年に約800枚のスライドショーが発表される。彼女を有名にした「性的依存のバラッド(The Ballad of Sexual Dependency)」だ。翌年その中からピックアップされて写真集「性的依存のバラッド」が刊行された。

薬物中毒の後遺症を克服した1990年以降、彼女は次々と写真集を発表していく。1993年には「The Other Side」(アメリカ、ヨーロッパ、アジアのドラッグ・クィーン達を撮ったもの)、1994年「二重の生」(ナンと、親友ディビッド・アームストロングと同じモデルを撮り、交互に並べたもの)同じく1994年に「トーキョー・ラブ」(荒木経惟と共に90年代のアジアの若者を撮る)、そして1996年にホイットニー美術館で回顧展「私はあなたの鏡」、2002年のポンピドーセンターを初めヨーロッパ各地で回顧展が開かれた。



《Sharon in The River》1995年
ナン・ゴールディン

《Jens’Hand on Clemens’Back Paris》2001年
ナン・ゴールディン



《The peacoke after the fire Deyrolle,Paris》2008年
The peacock after the fire, Deyrolle, Paris 2008

2008年、世界的にも有名な剥製の老舗専門店パリの「デロール」が火災にあった際には、ナン・ゴールデンの他にもアンセルム・キーファーなどアーティストが心配で訪れたという。アーティストたちが触発される場所でもあったようだ。ナン・ゴールデンはそこで孔雀の剥製の写真を撮った。


近年、子供たちや風景の写真を次々と発表し、数多くのファッションブランドの広告写真のカメラマンとしても活躍しているナン・ゴールディン。

「BOTTEGA VENETA」2010 Spring&Summer Collection
nangoldin

《Marc Jacobs at the Plaza Hotel》Harper’s Bazaar September 2010 より
ナン・ゴールディン


私生活の一瞬を撮り続ける彼女のスタイルは、後に続く若い写真家たちに多大な影響を与えた。
ナン・ゴールデンが付けた道筋が、フォトグラフのアートの領域を広げたのだ。

日本の「ガーリー・フォト」と呼ばれる、女性写真家達(長島有里枝・HIROMIX・蜷川実花らを代表とする)の仕事もその影響を受けていると思う。それまでの写真家が、非日常的な空間を撮った写真が正統とされていたものが、コンパクトカメラで露出やピントなど気にせず友人や日々の何でもない出来事など「あっこれいい」と感じたものを撮っていく。技術が無くても感覚で撮っていく。そしてその感覚に、見た人たちが反応していく。

長島有里枝
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テーマ:アート - ジャンル:学問・文化・芸術

写真家「トーマス・デマンド」の風景

トーマス・デマンド

「写真における唯一の真実は、ある場所にカメラがあったということだけ」

                           トーマス・デマンドの言葉(「studiovoice」インタヴュー記事より)


トーマス・デマンド《部屋》1994年 Cプリント 183.5×270.3cm
IMG_0004 (500x342)

トーマス・デマンド《浴室》1997年 Cプリント 160×122cm
IMG_0006 (273x400)

人物が存在しない部屋や浴室の写真。 「部屋」は破壊されてはいるものの、よく見ると壊れたものは人が長年使ったとは思えないほど傷や錆や汚れが無く、無機質でどこか重さに欠けている。破壊されたようにセッティングされた映画か舞台の室内の様だ。ここで何があったのか理解しようと試みるのだが、どうにも奇妙な感覚がそれを阻む。現実感がないのだ。「浴室」にはつい先ほどまで人がいたのかもしれない、日常のありふれた室内空間だ。マットの歪みなど、いつもしているように手を伸ばして直したいくらいだ。しかし、しばらく見ているとやはり奇妙だ。タイル・カーテン・ドア、そして浴槽の表面に至るまで、私たちが触れて知っている材質感が無く、均一で現実感に乏しい。

トーマス・デマンドの手法は、すでに新聞などのメディアで発表され何度も流されている写真や画像(実際に起きた社会的・政治的な事件の場面)を基にし、ほぼ実物大に紙の立体物として再現する。そしてそれを撮影し、巨大なサイズの写真作品として仕上げる。撮影後、その被写体(紙の立体物)は壊されて、彼の写真の中にだけ存在することになる。
「室内」は1944年のヒトラー暗殺未遂事件の際の爆破された総統指令本部であり、「浴室」はいまだに解明されていないドイツの政治家の死亡現場であるらしい。私たちにとってそれらの背景は聞かなければ知りえないことであるが、そんなドラマティックな(暴力的な)ストーリーを基にし、緻密に再現されているにもかかわらず、彼の作品は静寂・非現実性からくる違和感・不気味さに満ちていて、センセーショナルな場所であることを感じさせない。デジタル処理をすることなく、様々な材質のものをすべて紙に置き換え再構築させることで、新たな現実が立ち現われてくる。新たな現実が作れてしまう。リアルだけれどもリアリティが無い、アンビヴァレントな感覚(相反する感情を同時に持つ)を起こさせる。彼の作品は、現実の残滓でも記録でもなく、「リアリティ」への問いかけではないだろうか。リアリティというものの曖昧さを表現しているのではないだろうか。

カメラの前にある物で、何を撮って何を撮らなかったのか、誰が撮ったのかということは真実ではなくて、誰かがカメラのシャッターを押したということにすぎない。つまり、

「写真における唯一の真実は、ある場所にカメラがあったということだけ」

そして彼は、*「印象派の画家たちが外に出て木々の風景を描いたように、僕の木々はインターネットやニュースペーパーの中にある」と言っているように、すでに消費されている画像からイメージを抽出し、特異な手法で新しい風景や情景を作り出している。

*「僕はすべてを紙で置き換えているわけではない。僕の時間を、写真の中にだけ存在する時間に置き換えてもいる。その意味では、僕自身の写真を作っているということでもある。再・私物化ってことかな」

*「studiovoice」インタヴュー記事より

《Shed》2006年 Cプリント 177×200cm
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2003年アメリカのイラク侵入の際の、サダム・フセインの隠れ家の写真を基に制作された作品


デマンドの被写体は、室内だけに止まらない。

《飛び込み台》1994年 Cプリント 150×120cm
飛び込み台


トーマス・デマンドは1964年ミュンヘン生まれ。1987年から2年間インテリアデザインを学ぶ。そののち3年間は彫刻・建築模型を学び、写真はそれらの作品を残す手段として使っていたが、1993年以降はそれらが逆転し、緻密に作られた模型(彫刻)を撮影した写真を発表している。
ベルリン在住

テーマ:アート - ジャンル:学問・文化・芸術

写真家「ロレッタ・ルックス」

ドイツの現代写真を代表する女性写真家
「ロレッタ・ルックス」(1969~ ) 



《Dorothea》2001年
Dorothea 2001年 (450x450)

《Spring》2001年
Spring 2001年 (450x450)

《Hugo and Dylan》2006年
Hugo and Dylan 2006年 (450x328)

《The Fish》2003年
The Fish 2003年 (450x322)

《Drummer》2004年 58×51
ドラマー2004年 (338x400)

《The Walk》2004年 51×66
お散歩 The walk (450x356)

インパクトを受け、時間が止まる感覚をもたらす写真です。一見すると、スーパーリアリズムの絵画かCGで作られた画像ではないかと思わせる、不思議な、奇妙な、人工的な独特の世界です。

ロレッタ・ルックスの手法は、デジタルカメラで撮影した友人の子供たちと、別に撮った風景写真や描いた背景とをデジタル合成して、異化されたイメージを生み出すものです。

柔らかく優しい色彩、上質な仕立ての良さそうな服、子供たちの肌や髪も美しい。またシンプルで深い遠近法の構図による子供の存在感、小道具(壁紙・バッグ・小物)の計算された心地よい位置。一見心地よい雰囲気の中で、何か虚ろな瞳で凝視する写真の子供たちは、私たちの知る、街や公園で遊ぶ子供たちではない。どこか違う星から訪れたのではないかと思わせるような不思議なイメージの中に存在しています。
彼女が「私は、失われた楽園のメタファー(暗喩)として子供たちを被写体としている。」と話しているように、愛らしさと不気味さ、心地よさと不安が共存する子供たちのポートレートです。

《Selfportrait》2007年
Selfportrait 2007年 (346x400)

ロレッタ・ルックスは、1989年20歳の時、ベルリンの壁崩壊直前に旧東ドイツのドレスデンからミュンヘンに移り住みます。1990年から1996年まで、ミュンヘン造形芸術アカデミーで絵画を学んだあと、写真へ転向しました。彼女は子供時代について「この世の醜さに苦しんだ」と話しています。その時代の記憶が、愛らしさと不気味さ、心地よさと不安といったアンビヴァレント(相反する感情を同時に持つ)な感情の反映として表現されているのではないでしょうか。



不思議な感覚を抱かせる日本のコンテンポラリーアーティスト加藤美佳の手法

加藤美佳《Pansies》2001年 油彩・キャンバス 235×187
パンジーズ2001年


自分がイメージした女の子の人形を実際に作る→作った女の子の人形を写真に撮る→撮った写真をキャンバスに拡大コピーする→それを正確に細密に絵の具で描き出す。この四つのプロセスを経て加藤の作品は作り出されています。可愛い少女を直接描くのではなく、写真に映った女の子の人形を描いている(写真をキャンバスに描いている)。作ること、撮ること、描くことから生じる表現の差異を作品化し、現実とフイクションが入り混じった不思議な感覚を抱かせる作品を加藤は作っています。

テーマ:アート - ジャンル:学問・文化・芸術

「松井冬子」について

松井冬子(1974~  )

「知覚神経としての視覚によって覚醒される痛覚の不可避」

静岡県出身 2007年東京芸術大学大学院日本画女性初の博士号取得(博士論文タイトル「知覚神経としての視覚によって覚醒される痛覚の不可避」)美貌 絹本 修練 成山画廊 痛み おぞましさ ダミアン・ハースト フランシス・ベーコン ピーター・ウィトキン

松井冬子《浄相の持続》2004年 絹本着色 軸 29.5×79.3 
2004年浄相の持続 (650x245)

インパクトのある作品と特異な経歴、そしてその美貌と共に数年前一気に時の人となった松井冬子。
女優かモデルかと思わせるような雰囲気でメディアに登場してきた彼女は、「自分は鼓膜が破れるほどの暴力を男性から受けた。それによって自分の中に攻撃性が生まれ、芸術と言う異次元に放出している。」という旨のことを何度も語っていた。それは画家の側のことであって、私たちが鑑賞する作品としては何も関係のないことだった。メディアに持て囃され、自分の作品の解説をする画家に違和感を感じた人もたくさんいただろう。

松井冬子の代表作「浄相の持続」は、横たわる裸婦の体が切り裂かれ、内臓が露わになっている。作品の中心に位置する子宮の胎児も露わになっている。女性の表情は、冷静で兆発的、かすかな微笑みもさえも感じられる。作品には違う季節に咲く花々が同時に描かれ、西洋の警句「メメントモり(死を忘れるな)」という言葉も織り込まれている。彼女は、「幽霊」「死体」「内臓・脳」「切り裂かれた皮膚」「動物(犬)」などをモチーフとして、「生と死」「狂気」「暴力」「恐怖」を描き出し、観る者にある種のおぞましさや痛みを感じさせる作品を描いている。そしてそれらが強調された表現により、私たちは、松井の言う「知覚神経としての視覚によって覚醒される痛覚の不可避」という狙いに嵌ることになる。インパクトがある作品ということだ。

松井冬子《完全な幸福をもたらす普遍的万能薬》2006年 絹本着色 59×58.5
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松井冬子《切断された長期の実験》2004年 絹本着色 53×79.5
切断された長期の実験 (400x274)


彼女の作品の魅力をあげるとしたら、やはり線と透明感のある彩色という事ではないだろうか。

紙本に絵の具を何度も塗り重ねる、微妙な色彩表現の美しい作品が多い昨今の日本画の世界にあって、松井は線を生かした画家の一人だと思う。内容はともかく、美しい線の芸術である日本画本来の姿に戻ったかのような表現は、顔料を塗り重ねた厚塗りの日本画に見慣れてきた私達に新鮮な感情を抱かせたのだ。絹本に岩彩・軸装を選択したところに彼女の成功はあると思う。そして、彼女の修練の結果でもあると思う。
彼女はよく「エッジ」という言葉を使う。「エッジが効いてて耽美でウェットでドロドロした作品が好き」という彼女の言葉は、彼女の作品の特徴を簡潔に言い表していると思う。

また、彼女の作品には観る者が読み解こうとする図像が多く描きこまれていて、それらを探ろうとしているうちに、彼女の思惑通り「松井ワールド」へと取り込まれていく。

高山辰夫《曙》1974年
曙1974(248x400)

油彩画のように絵の具を重ねることにより、微妙な美しい色合いと重厚なマティエール(画肌)が表現された作品。 ゴーギャンの影響が感じられる作品。

ポール・ゴーギャン《母性》1899年
455px-Paul_Gauguin_090 (304x400)

町田久美《レンズ》2007年 雲肌麻紙に青墨、茶墨、岩絵具、顔料、鉛筆、色鉛筆
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町田も現代の日本画を代表する作家。モティーフ(切り裂かれた皮膚)や、修練された緊張感のある描線という共通点がある。町田の場合は墨で何度も引き重ねられたストイックな一本の線である。

町田久美《夜の出来事》2006年 60.5×73
夜の出来事2006年

子供の耳から獣の足が引っ張り出されているという奇妙な作品。獣の足が違う材質のもので表現されていて、奇妙さが強調されている。

紙に引かれたストイックな線が作り出す空間が美しい。その線と抑制された少ない彩色だけで、質感・量感・のっぺりした皮膚感覚を表現しているところに町田のすごさがあると思う。丸坊主の頭が、これ以上大きくても小さくてもいけないぎりぎりの大きさにクローズアップされて緊張感も感じる。



さて本来日本画は、装飾と結びついているジャンルであるため、日本画の過去の歴史を見ても、皮膚を切り裂いたり内臓をあらわにしている作品はほとんど無かった。次の《九相詩絵巻》からの一枚は、人間が死んだ直後から骨が散乱するまでの様子を九段階に分けて描いた仏教絵画だ。これは犬に食いちぎられる死体を描いたもの。目を背けたくなるようなおぞましさがあるが、煩悩に囚われても人間の行き着く姿はこのようなもの、死を忘れずにいなさいという教えがストレートに伝わってくる。

《九相詩絵巻》より
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松井冬子《終極にある異体の散在》2007年 絹本着色 124×96.5 
narcissus (376x500)

この「九相図」や「腑分け図」に影響を受けた松井の場合はどうだろうか。
戸惑いながら何処かに逃れようとしているのか、その背中や腕は切り裂かれ、鳥たちが襲い掛かって女性を餌食にしようとしている。足元には今にも女性の足に噛みつこうとしている犬が描かれている。九相図を知らない人にとっては、確かにインパクトはあるだろう。しかし、女性は発光しているような美しさがあり、背景の植物も調和して、おぞましさというよりは幻想的な印象を受ける。もちろん松井の狙いは「仏教の教え」ではない。本人曰く「自分の情念を吐き出している」。そしてその彼女の作品に癒されている(救済)女性が多いのも事実なのだ。彼女の作品は、グロテスクな表現ではあるが、それを突き抜けて聖なる存在を描き出そうとしているのではないだろうか。「印刻された四肢の祭壇」の女性の口元と、「洗礼者ヨハネ」の口元に共通したものを感じる。

松井冬子《印刻された四肢の祭壇 部分》2007年
印刻された四股の祭壇2007年 - コピー (400x310)

レオナルド・ダ・ヴィンチ《洗礼者ヨハネ》
davinci_giovanni00 (225x300)


「おぞましさ」を描くアート

おぞましさとは、怖さとは違う思わず顔を背けたくなるもの。嫌悪感や不安を感じるもの。

フランシス・ベーコン(1909~1992)アイルランド、ダブリン出身

第二次大戦後いち早くニューヨークを拠点にして興った「抽象表現主義」が国際的な拡がりを見せる中、そんなアートシーンには関係なく具象絵画にこだわり描き続けた画家。

「私達は肉であり、いつかは死体になる。肉屋の店にはいると、そこにいるのは自分ではないのが驚くべきことだといつも思う。」 ベーコンの言葉


ベーコンは自分の作品について聞かれ、「自分が惹かれるイメージを再現しているだけ」と述べている。再現された彼のイメージは、私達に解釈する時間を与えず、視覚から一気に神経に強く訴えかけて来る。


人間なのか動物なのか分からないような生き物がこちらをじっと見据えていたり、がっと大きく開かれた口からはおぞましい叫び声が聞こえてくるようだ。デフォルメされた体の一部は溶け出しているようにも、どんどん増殖していく生物のようにも見える。絵画はキャンバスに絵具を乗せた「物」であるはずが、自分の中の非日常的な神経が反応し出し、ベーコンが再現したイメージに揺さぶりを掛けられるのだ。

フランシス・ベーコン《ペインティング》1946年 油彩・パステル 197.8×132.1 ニューヨーク近代美術館
ペインティング1946年 (297x450)

フランシス・ベーコン《頭部Ⅵ》1949年 93×77
頭部Ⅵ1949年 (300x380)

フランシス・ベーコン《自画像》1973年
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ダミアン・ハースト(1965~  )
イギリスのコンテンポラリーアーティスト
「Natural History」という、死んだ動物をホルマリン漬けにした作品のシリーズが有名。
1995年に、牛の親子を縦に切断してホルマリン漬けにした作品でターナー賞を獲得しています。
「生と死」をテーマに、常識を超えたスケールで我々を驚愕させる作品を創出した。


ダミアン・ハースト《This little piggy went to market,this little piggy stayed at home》1996年
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「アートが何なのかを気に掛けるのはやめた。ギャラリーの壁や床に展示してあれば、それが多分アートなんだろう」(ハーストの言葉)

ダミアン・ハースト《The Virgin Mother》2004年
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ジョエル=ピーター・ウィトキン(1939~  )アメリカのフォトグラファー

両性具有者やフリークス・解剖用の死体・動物の死骸などを被写体とし、ただ生々しく撮影するだけではなく、いろんな小道具を集め独特の美意識でアレンジしている。描かれたものではないリアル(写真)さゆえに衝撃的である。見てはいけないものを見てしまった時の戸惑いと驚きが「こんな世界があったんだ」という思いを呼び起こさせるところに、ピーター・ウィトキンの魅力がある。

ピーター・ウィトキン《ナンの肖像》1984年
ナンの肖像1984年 (400x399)

ピーター・ウィトキン《The result of war》1984年
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松井冬子の作品には、こうした「おぞましさ」さえもテーマとしてきた世界の現代アートの流れが織り込まれていると思う。さらにサブカルチャー(アニメ・漫画)を取り込んだ具象表現が優位な日本の現代美術の背景とも重なり、松井の作品(日本画)がコンテンポラリーアートの場で語られるようになった。そして、彼女と組んだ画商の戦略的なプロデュースの力に依るところが大きいことも忘れてはならないと思う。

テーマ:アート - ジャンル:学問・文化・芸術

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