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アート/ART 

ART PROGRAM K・T 

アンディ・ウォーホル・Ⅰ

ポップ・アートとは

大衆文化から誰でもよく知っているイメージを借用し、クリアーな色彩や形で表現した分かりやすいアート。大量消費社会の日常的でありふれたモノが題材になっています。

ポップ・アートという言葉は、1954年にイギリスの美術批評家のローレンス・アロウェイが、ポピュラー・アート(大衆芸術)を示す言葉として最初に使ったのが始まりです。1961年ニューヨークのアートシーンに登場したアンディ・ウォーホルロイ・リキテンスタインの作品が、漫画や広告などのポピュラーなイメージを用いていたために、ポップアートと名付けられました。
身近な大衆文化(漫画、広告、映画、雑誌)のイメージが画面に導入され、抽象表現主義の難解な表現とは異なり、何が描かれているのか分かりやすいこともあって短期間で受け入れられ、商業的にも成功を収めました。ポップ・アートは、通俗的なイメージを深刻な表現を避けて明るくクリアーに描くことで、芸術と大衆文化の境界を希薄化し、芸術の領域を大きく拡げました。大量生産に大量消費、マスメディアからのイメージが氾濫するアメリカの現代社会が映し出された美術です。

ウォーホル《神話ミッキーマウス》1981年
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ウォーホル《300SLクーペ》1986年
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アンディ・ウォーホル(1928~1987年)  ペンシルヴェニア州出身

本名はアンドリュー・ウォーホラ。両親はチェコスロバキアからの移民。1945年カーネギー工科大学に入学し絵画デザインを学びました。卒業後ニューヨークに移り、アンディ・ウォーホルと改名しコマーシャル・アーティストとして活躍します。1960年コマーシャルの仕事を止め、漫画や広告を基にした作品を制作して芸術家の道を歩み出します。1962年「キャンベル・スープ缶」「コカ・コーラ」「マリリン」などの作品が注目され、一躍ポップ・アートの旗手になりました。1963年「ファクトリー」と名付けられたスタジオで、シルクスクリーンを使って絵画の大量生産を始めます。現代社会がアートに求めているものを敏感に感じ取り、センセーショナルな作品を多く作り出した天才芸術家です。

「アンディ・ウォーホルのすべてについて知りたければ表面だけを見ればいい。
  僕の絵や映画やそして僕自身の表面だけをね、それが僕だ。背後に何も隠されちゃいない」  

「お金を儲けることは芸術であり、いいビジネスは最もいい芸術なんだ」     ウォーホル

  作品総数10万点以上(時価総額 1兆円) 版画の総数7万点(総額1000億円)

【商業美術(デザイナー)から純粋美術(芸術家)へ転身】
 
 1960年 漫画(コミック)の主人公やコカ・コーラの瓶をテーマにする。

「以前、雑誌の仕事をしていたことがあった。自分ではいつも独創的と思っていたけれども、そんなもの誰もまるで相手にしてくれない。その時から僕は、想像力を働かせたりするのはよそうと心に決めた」  ウォーホル

ウォーホル《スーパーマン》1960年
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偶然にも同時期、ロイ・リキテンスタインも漫画を基にした作品を描いていました。彼の個展を見たウォーホルはショックを受け、漫画を題材にするのを止めてしまいます。

ロイ・リキテンスタイン《婚約指輪》1961年
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【大量消費社会のモノを描く。コカコーラの瓶やロゴをそのまま作品に転用する。】

右のコカコーラ・1960年作《コカ・コーラ》
 抽象表現主義風のタッチが残る描き方

左のコカ・コーラ・1962年作《ラージ・コカ・コーラ》
 タッチを消し去った、まるで印刷広告のようなポップアートの描き方
 
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映像作家のエミール・アントニオは2種類のコカ・コーラの作品を見て、
 
「一つ(右)は愚作だな、どうでもいいようなもんだ。でもこっち(左)は素晴らしいじゃないか。
 こいつは僕たちの社会だよ、僕たちそのものだ。何もかも美しく剥き出しだ。最初のやつは壊さなくちゃいけない、人に見せるのはこっちのほうだ」


と、筆触を消し去り個人的な感情を表現しないポップ・アートの描き方の作品を強く支持しました。つまりウォーホルが言う「想像力を働かせない描き方」を支持したのです。

【お金とキャンベル・スープ缶】

ウォーホルは、作品に使えるアイデアはないかと人にいつも聞いていました。画廊経営者のミュリエル・レイトウの「お金か、ほとんど毎日見かけて誰でも知っているキャンベル・スープの缶を描けばいいのよ」というアイデアに50ドルを払い、スーパーであらゆる種類のキャンベルのスープを1ケース買ってスープ缶とドル紙幣を描き始めました。1962年ロサンゼルスでキャンベル・スープ缶32枚を描いた個展を開きましたが、大きな反応はありませんでした。1962年 一枚の値段100ドル。32枚まとめた値段が1000ドルでした。「一点もの」という従来のアートの常識を覆し、同じ図柄を手頃な価格で誰でも買うことができるアートを作り出しました。

その後1995年、MOMAが、32点を1500万ドルで購入しました。

《キャンベル・スープ》1962年
キャンバスに投影機で拡大した画像を映し出し、形を正確になぞって何枚も同じ図柄を描きました。代表作の一つ

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《キャンベル・スープ》MOMA
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《2ドル札の印刷》1962年
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【マリリン・モンロー】

1962年年ウォーホルは、マリリン・モンローが亡くなるとすぐにモンローの広告写真から切り取ったイメージをフォト・シルクスクリーンで転写して、代表作となる《マリリン》のシリーズを描き始めました。

見慣れたスターや商品を描く―→イメージの共有―→わかりやすいアート 


《ウォーホルがトリミングした、映画「ナイアガラ」のモンローの広告写真》
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《マリリン》1962年 キャンバス
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実像よりイメージ(虚像)が優先されるメディア(情報伝達)社会。 いつのまにかイメージが“実像”になってしまう現代。

マリリン・モンロー(本名ノーマ・ジーン)という女優は、金髪でグラマラス、現代のセックス・シンボルというイメージが強く、彼女の真の姿や性格よりイメージが優先され、それが彼女の実像になってしまっています。表面が全ての時代を表している。

《マリリン》1967年 シルク版画
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【イメージの反復】

イメージを消失させて空虚な時代に合ったアートを作り出す。同じものを何度も繰り返せば繰り返すほどそのものの持つ意味は希薄になります。イメージの反復は、イメージから受ける印象を薄め意味内容をも空虚なものにしていきます。反復を用いることで作品を空虚なものとして提示し、現実感のない時代を強調するアートを作り出しました。

《マリリンの2連画》1962年
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《30人の方が一人よりいい》1963年
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次回は、映画製作・ファクトリーについてご紹介いたします。
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テーマ:アート - ジャンル:学問・文化・芸術

アンディ・ウォーホル Ⅱ

【1963年映画制作を開始】 

何時間も動きのないものを撮る

《エンパイア》1963年
エンパイアー1964年

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エンパイアステートビルの外観を8時間連続して撮り続けた映画

《スリープ》1963年
スリープ1963年

友人のジョン・ジョルノの眠る様子を6時間撮り続ける。

ウォーホルは映画においても動かぬものを延々と撮り続け、“イメージの反復”によってイメージを消し去ろうとしました。1965年からは“芸術家廃業宣言”をして映画制作に没頭しました。

【「ファクトリー(工場)」と呼ばれたスタジオで大量生産】

「私は機械でありたいと思う 機械のように絵を描きたい」    ウォーホル

1963年助手を雇い入れ、工場で大量生産するように絵画を制作。工場生産のように流れ作業で次々と美術作品を作り出しました。ファクトリーはそのうちに麻薬中毒者、性倒錯者、同性愛者が集まるようになり、1976年には、出入りしていた精神異常の女優に銃で撃たれて、瀕死の重傷を負ってしまいます。

ファクトリーのウォーホル 1964~65年頃 ウーゴ・ミュラス撮影
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ファクトリーでの仕事の風景
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【コピーのコピー】

マスメディアによって再現されたイメージをさらにイメージ化

《16のジャッキーの肖像》1964年
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暗殺前後の写真を組み合わせた作品

《ジャッキー》1964年
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大統領が暗殺された日に、専用機の中で撮られた写真を借用し反復。写真の粒子の粗さによる不鮮明さが、ジャクリーンの悲劇的な雰囲気を強くしています。

ジャクリーン → ジャクリーンの写真 → 写真をコピーして掲載した新聞・雑誌 → コピーされた写真をコピー
既にメディアによって流され誰でもよく知っている既成のイメージを作品に転用し、新しいイメージに作り変える。

《リズ・緑》1963年 
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《エルビスⅠ・Ⅱ》1964年
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【テーマ「死」】

1963年ウォーホルは、自動車事故・自殺・墜落・人種暴動・電気椅子など死がイメージされる写真を用いてイメージの反復による「惨劇」シリーズを描き始めた。死と結びついた惨たらしい情景の繰り返しはそのイメージを薄れさせ、作品から死にまつわる恐怖や不安が消されていく。

《惨劇》1963年  電気椅子
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《緑色の惨事10回》1963年 
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【微妙に異なる反復】

刷りムラ、版のズレが生みだす絵画的な効果  

シルク・スクリーンによってイメージが機械的に反復されていますが、インクの濃い薄いによる刷りムラや版のズレが作為的に作られて反復が微妙に異なっています。ウォーホルは借用した写真の露出を濃く焼き込んだり、ムラやズレなどの偶然性を取り込むことで画面に変化をつけ、作品の絵画的な効果を高めています。

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テーマ:アート - ジャンル:学問・文化・芸術

アンディ・ウォーホルⅢ

【梱包用段ボール箱の彫刻】

洗剤やケチャップなどの梱包用段ボール箱のデザインを、そっくりそのまま木箱にシルク印刷して画廊で個展を開きました。会場はまるでスーパーマーケットの倉庫のようになってしまいました。展覧会のためにカナダに持ち込んだところ、税関に本物の商品と間違われ関税の対象となりました。

《ブリロ・ボックス(洗剤)》1964年 木製合板にシルク・スクリーン
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《色々な箱》1964年
ブリロ、デルモンテ、ハインツのボール箱1964年_convert_20100224193320

日常的な商品の段ボール箱にしか見えないものをアートにしているのは何か?

哲学者のアーサー・ダントーは《ブリロ・ボックス》を芸術品にしているのは、作品の色や形、感動の有無などではなく、作品背後にある芸術理論や理論の歴史(アート・ワールド)がそれを芸術としているからだと分析し、「フォーマリズム」を否定しました。つまり、構造・線・色彩・形のような視覚的な美術の要素だけで、作品の良し悪しを判断する美術批評「フォーマリスム(形式主義)」を否定したのです。

【装飾的なテーマ】

装飾的なテーマを初めて取り上げ、誰でも欲しがる絵を描く 

1964年、メトロポリタン美術館のキュレーターで友人のヘンリー・ゲルツァーラの「陰惨な絵は充分描いたから花の絵を描くべきだ」というアドバイスに従い、雑誌から切り取った花の写真を、シルクスクリーンで色々な大きさのキャンバスに転写して花の絵を900枚以上制作しました。形の反復と多様な色彩によって装飾的な作品となり、美術と装飾の境を曖昧なものにしました。予想した通り、事故や死をテーマにした作品とは違い、花の作品は誰でも欲しがり大ヒット、一枚2000ドルの作品は完売してしまいました。

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この「花」シリーズもまた、【絵は機械で描けばよい】というウォーホルのメッセージが伝わる作品です。一点物の絵画は買うことが出来なくても、プリントされたポスターなら誰にでも買うことが出来ます。まさにポップアートの始まりでした。しかし1965年、パリで「花」の個展を開いた直後に画家引退宣言をしてしまいます。

パリ ソナベント・ギャラリーでの個展 1965年
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【装飾的なテーマ・牛】

1965年末にはアイデアを使い果たしていたウォーホル 

「自分はあまり素早くイメージを使ってしまうので、想像力が涸れてしまったように感じられる
 いったい何を描けばいいんだろう」  ウォーホル

画商のアイヴァン・カーブとの会話から「牛」を描くことを思いつきました。雑誌に掲載された牛の写真を使い、壁紙仕立ての作品を制作します。1966年個展会場の壁を《牛の壁紙》で飾り、絵画が壁を飾る壁紙のようなものになってしまった美術の状況を示し、美術と装飾の関係を明らかにすることによって、絵画の放棄を印象付けました。

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レオ・キャステリ画廊での個展 1966年
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「絵画も壁紙もどちらもまったく同じです、ただの装飾なのですから」ウォーホル

【1972年美術家として再出発】 

強い筆触・手描きの線を加えた毛沢東の肖像画

厚い絵の具で盛り上げられた下塗りの上に、シルクスクリーンで写真製版された肖像が刷り重ねられています。
抽象表現主義的な強いタッチや手描きの線が加えられ絵画性が強められています。

《毛沢東》1972年
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1969年から1971年までウォーホルは絵を描くことをほぼ放棄していましたが、映画制作は続けていました。
1971年から72年にかけて「毛沢東語録」から切り取った写真を使って2000点以上の絵を描くことで、ウォーホルは再び美術家として再出発しました。
ウォーホルは、その時代の人々が求めているもの(例えば毛沢東は1972年の米中正常化に向けての歴史的な会談を受けて)に反応し、作品に反映させました。

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《ハンマーと鎌》1979年
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ソ連時代、共産主義の象徴としてハンマーと鎌を組み合わせ、静物画として描きました。単なるモノの表現ではなく、「思想」の象徴として描きました。

【アート・ビジネス】

有名人や金持ちからの注文による肖像画を描く。
ウォーホルによって描かれた肖像画は、当時の有名人たちのステイタスでした。
1枚2万500ドル、2枚組・4万ドルのセット価格で受注しました。

《ミック・ジャガー》1975年
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《モハメド・アリ》
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《レオ・キャステリ》1975年 
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《ヘンリー・ゲルツァーラ》1979年 友人でメトロポリタン美術館のキュレーター 
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【晩年の作品 さらに装飾的な表現へ】

《ゲーテ》1982年
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《統治する女王》1985年
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《ベートーベン》
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《18の多色のマリリン》1979年
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以前使ったイメージを再利用。
「リヴァーサル・シリーズ」では明暗を反転し、今までにない新しいイメージを作り出しました。

《カセドラル》1985年
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《二匹のミッキー》1981年
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《カムフラージュの自画像》1986年 
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1点100ドルだった「キャンベルスープ缶」から始まり、その個展の最終日1962年8月5日にもたらされた衝撃的なニュース「マリリンの死」。そのマリリンがウォーホルの新しいテーマとなり、マリリンの肖像画が次々と発表されました。当時1枚2万5000ドルだったマリリンの肖像画に、約35年後に1730万ドル(約21億円)の値がつくとは誰が想像したでしょう。アンディ・ウォーホルは大量生産をアートの世界に持ち込み、アート・ビジネスを展開してポップ・アートのスーパースターとなった天才芸術家です。

テーマ:アート - ジャンル:学問・文化・芸術