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アート/ART 

ART PROGRAM K・T 

新表現主義Ⅰ「A.キーファー」

モダニズムの美術からポスト・モダニズムの美術へ

「絵画の純粋性」(※)を求めて余計なものを捨て去っていったモダニズムの絵画は、結果として行き詰り、1970年代に新しいものを見つけることが出来なくなったとして終わりを告げます。

※絵画は、絵画固有の要素である「平面(二次元)性」だけを純粋に追求すべきである
 絵画にとって不純な要素である文学性(物語など)や遠近法、陰影法による三次元的表現を排除する

 (フォーマリズムによって、アメリカの戦後の現代美術を主導してきた美術評論家クレメント・グリーンバーグの「モダニスムの絵画」より)

古典的絵画を近代的精神で最初に変革したマネから始まったモダンアートは、絵画からイリュージョン(見せかけの奥行き感‥遠近法)や物語などの文学的要素を排除して、平面における芸術的表現を追求してきました。
そしてマネから100年の時を経て、形態や色彩を最小限に切り詰めた最小限アート、作品から可能な限り手技の痕跡を取り去り、作者の主観や感情・見る者へのメッセージなどは何も表現されていない【ミニマル・アート】の登場により、行きつくところまで行ってしまった感がありました。

桑山忠明《GOLD,SILVER AND GOLD》1975年 
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桑山は言います。
「芸術家の着想も思想も意味も、人間性さえも、私の作品には全く入ってこない。芸術そのものが在るだけだ。それが全てである。」

また1960年代から1970年代にかけて、ミニマル・アートが持つ「観念性」を更に進めて世界的に展開された芸術運動【コンセプチャル・アート】によってアートは難解なものになり、停滞の時期を迎えます。

ジョセフ・コスース《一つと三つのシャベル》1965年
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1980年代になると、それまでモダニズムが排除してきた具象表現が復活し、作品に文学的要素(物語)や遠近法(イリュージョン)を取り入れた(ポスト・モダニズム)絵画が描かれるようになります。ポスト・モダンとは、「モダン(近代)の次に来るもの」という意味で、モダニズム(近代主義)の閉塞的状況を打開しようとする動きを「ポスト・モダニズム」と言います。世界的規模で、「絵画らしい絵画」を表現したい画家たちの欲求と、それを求める大衆の欲求が一つとなり、大きなムーブメントとなったのです。こうして復活した新しい具象絵画を【新表現主義(ネオ・エクスプレッショニスム】と呼んでいます。
新表現主義は、1970年代の「観念的・禁欲的」に徹した美術(ミニマルアートなど)の傾向とまったく対立していて、主題にストーリー性のある(神話・物語)具象画です。巨大なキャンヴァスに、奔放で激しく力強い筆触・自由で大胆な色遣いで描かれています。絵画に再び「内容」「意味」を復活させ、何を描くかということに活路を見出していきました。

新表現主義の画家たち

アンゼルム・キーファー(Anselm Kiefer1945~ )

《二つの川に挟まれた土地(メソポタミア)》1985~1987 油彩 アクリル絵具 藁 シェラック 写真
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戦後ドイツを代表する画家です。 

キーファーは、1980年代に画商達の戦略によって登場したアメリカ新表現主義の画家たちとは違って、従来から作品に「主題」「意味」を持たせ、独自のスタイルで描き続けてきた画家です。
主題が戦争やナチスをも含むドイツの歴史であることから、ヨーロッパの人々にとって暗く危険な記憶を呼び起こすものとして、論議を醸すこともしばしばあります。彼の強いメッセージを理解するには、私達もドイツの歴史に対面し、記憶に留める必要性が重要となります。それが又キーファーの狙いの一つでもあるわけです。その彼の歴史観の反映は別にしても、彼の作品は空間的に深い精神性を感じます。特に色彩とマティエール(画肌)に関しては、個人的に日本人として「わび・さび」に通じるものを感じて共感を覚えます。キャンヴァスに持ち込まれた種々の素材(鉛、藁、植物、髪の毛、衣 服、砂・写真など)を含んだ画面全体としての色彩・マティエールに、時間の経過によって劣化し朽ち果てた状態を言う「さび」の美しさを感じるのです。
私達が慣れ親しんでいる、例えば仏像は、制作当時は金で覆われた目に眩いほどの存在です。それが長きに亘って経年変化を見せるのですが、キーファーはその経年変化をキャンヴァス上に創出してしまうのです。制作の段階で、何度も剥がしたり新しくしたり、燃やし、塗る、の繰り返しをするのです。結果として同じようなマティエールが出来上がり、キーファーの作品に共感を覚えるのです。

唐招提寺 盧舎那仏 天平時代
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アンゼルム・キーファー《ニュルンべルク》1982年 アクリル絵具 乳剤 藁 キャンヴァス 280×380cm
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まず作品のサイズに驚きます。そして一面に張られた藁の物質感は私達を圧倒します。筆では表現できない迫力です。
さらにそれを強調するのが、モダニズムの禁じ手であった遠近法です。深い遠近法によって描かれたニュルンベルクの大地、新しい風景画とも言える作品です。
ニュルンベルクは、歴史上暗い過去を持つドイツの象徴的な街です。それを藁という繊細で弱々しく朽ちて行くイメージに重ねて表現されたところにこの作品のテーマが見えてきます。一面を覆っている藁の下に広がる黒い大地に、主題の意味の重さを感じます。

1982年以降の作品の特徴でもある巨大なサイズのキャンバスについて質問された時、キーファーは「僕の絵画の下にはポロックがいる」と答えたそうです。キーファーは美術学校で学んだヨーゼフ・ボイスの他に、抽象表現主義のポロックの影響も受けています。自分自身の新しい絵画の表現方法を模索している時に、ジャクソン・ポロックら抽象表現主義のスケールの大きく非対象でオ―ルオーバー(中心が無い)な画面と自分自身の主題を統一させる方法を考え出したのです。


アンゼルム・キーファー《リリトの娘たち》1991年 230×225cm 衣服 鉛 写真 灰 木炭
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この作品を見て浮かぶ言葉を拾ってみる。「不安」「記憶」「浮遊」「儚い」

リリトは、神話や聖書に登場する女の妖怪で、夜の魔女とも言われています。聖書ではアダムの最初の妻であるとされ、アダムと別れてから紅海沿岸でたくさんの娘たちを生んだとされています。

背景に暗い印象の建物の写真が貼られています。画面全体は、絵具をぶちまけたようなシミで覆われています。リリトは中央の衣服で表されているのでしょう。リリトと娘たちが都市の上空を浮遊し彷徨うイメージを抱きます。聖書から引用されたモチーフで、現在に生きる私達の存在の危うさ・儚さを語り掛け、そして記憶に留めさせているようです。

光悦《不二山》白楽茶碗 17世紀前半
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時を越え、キーファーの作品にも光悦の白楽茶碗にも美しい色彩・美しいマティエールを見ることができます。
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テーマ:アート - ジャンル:学問・文化・芸術

新表現主義Ⅱ「J.シュナーベル」

ジュリアン・シュナーベル(Julian Schnabel 1951~  )

NYブルックリン出身の新表現主義(アメリカでは「バッド・ペインティング」という蔑称があります。)の画家です。
ヒューストン大学で学んだ後、コックやタクシードライヴァーをしながらホイットニー・アメリカン・アート美術館研究講座で学びます。その間、ヨーロッパ旅行にも数回出掛け、ヨーロッパのアートシーンにも注目していました。
1977年、働いていたレストランで一人の画商の女性と出会います。メアリー・ブーンです。その2年後、彼女によって戦略的に仕掛けられ、シュナーベルの作品は当時停滞していたアート・ワールドに送り込まれました。

新しい作品が受け入れられるために、画商や美術評論家や美術館の学芸員で成り立っているアート・ワールドにおいて、それをアートとするかしないかを決めています。切り詰められて単調な(退屈な)アート(ミニマルアート)に飽きて新しい絵画が求められていた状況の中、シュナーベルは、割れた陶器を貼り付け、そこにイメージを描くという新しい表現法による作品を創出しました。そして画商メアリー・ブーンのプロデュースにより一躍、ニューヨークのアート・シーンに躍り出ました。


J・シュナーベル《剣を持った持った青いヌード》1979~80年 243×274.3cm パネル 油彩 陶器
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一連のプレート・ペインティングの初期の作品。1978年のスペイン旅行の折、グエル公園などのガウディの作品に触れたことが、陶器片を貼り付ける発想のきっかけとなったと言われています。モティーフは、コーヒーショップの紙コップから引用しています。貼り付けるというアイデアは、私達が子供の頃貝殻を貼り付けて、その上に海の絵を描いた記憶に通じるものがあります。シュナーベルは、実用品の陶器(割れた皿)と、流用した紙コップの図柄を組み合わせて新しい絵画を作りだしたのです。地面にたくさんの皿をバーンと割って散らばった美しさを立ち上げたような、尋常ではないスリリングな面白さがあります。
また、巨大なキャンバスに大量の陶器を貼りながら、剥落のリスクを恐れず作品として成り立つためのノウハウを考え出したことが成功に繋がっていると思います。

コーヒーショップの紙コップ
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「グエル公園」のモザイク
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先にイメージがあり、絵具の代わりのタイルの破片をその中に埋め込んでいます。


ジュリアン・シュナーベル《O.K》1981年 127×101.6cm ヴェルヴェットに油彩
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ヴェルヴェットに青色の絵具、ネガフィルムを見ているようです。まるで一筆書きのように大胆に描かれていて、シンプルだけれど力強い青は、暴力的な力を持ってグッと迫ってきます。
顔はピカソが作品に取り込んだアフリカの部族の仮面の様で、プリミティブな雰囲気が漂っています。
また「O・K」という文字の造形性が、この作品を面白くしています。
シュナーベルは、ヴェルヴェットの他にもターポリン(帆布)にも描いています。

ジュリアン・シュナーベル《リ・デ・ポムⅢ》1988年 353.1×238.8cm ターポリン(帆布)に油彩
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ジュリアン・シュナーベル《無題》1987年 183×153cm パネルに陶器・油彩
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《部分》
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私達は画面上に描きだされた色彩や形(人物)で作り出すイメージを見ていると同時に、現実の皿も見ています。イメージを見ているのに、物としての絵画に引き戻される(気付かされる)。イメージと素材は不思議な一体感があり、フラットな平面では感じられない味わいがある。でこぼこした支持体に描かれた女性は立体感を得、更に皿の破片一つ一つの微妙な角度の付き具合いで色彩と光がミックスされて、生き生きとした女性が目の前に在る。

J.シュナーベルとバスキア

ブルックリンの地下鉄や街の壁に落書きアートを描いていたジャン・ミシェル・バスキアは、シュナーベルと同じく画商メアリー・ブーンのプロデュースにより、劇的にアート・ワールドに登場しました。シュナーベルは、自分より10歳程若いバスキアと親しく付き合いました。バスキアが薬物中毒死でこの世を去ってから8年後、1996年に「バスキア」という映画を制作しています。

J.シュナーベル《JMB AUG 12》1988年 487×487cm
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1988年8月12日、バスキアの死を知ったシュナーベルが、その時描いていた絵に「JMB」という彼の名前のイニシャルと、白い絵の具で線を描き入れて記憶に留めたという作品です。

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ライナー・フェティンク

ライナー・フェティンク(Rainer Fetting)

ライナー・フェティンク《自画像》
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1949年、ヴィルヘルムスハーフェン(ドイツ)に生まれる。ベルリン美術大学で学ぶ。ベルリン・NY在住の新表現主義の画家 
ドイツ表現主義*の影響を受けています。
モダニズムが排除してきた具象表現(巨大なキャンヴァスに自由で大胆な筆触・色遣い)で、再び「意味・内容」を復活させた作品を描きました。A・キーファーらと同時代、ドイツ・アメリカで活躍している画家です。時々ロックミュージシャン。


*ドイツ表現主義の画家【エミール・ノルデ】

エミール・ノルデ《婦人像》1920年
1920年

エミール・ノルディ(1867-1938)

フランスのフォーヴィスム誕生と同じ1905年、ドイツのドレスデンでは、従来のアカデミックな芸術に反抗する若手画家たちが、自分達の作品が未来へのかけ橋となるようにと「ブリュッケ(橋)」というグループを立ち上げました。エミール・ノルデはその一人で、奔放な色遣い・激しいタッチ・歪んだ描線で心情を表現した「ドイツ表現主義」を代表する画家です。




ライナー・フェティンク《シャワーを浴びる男 Ⅳ》1981-82年 ディスパージョン/キャンヴァス 250×160cm
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男はどんな一日を過ごしてここに居るのだろうか。一点を見つめ続け、どれほどの時間シャワーを浴びているのだろうか。いや、シャワーを浴びていることさえ忘れているのかもしれない。このまま溶解していきそうな不安感。「お前だって孤独だろう?」私達への無言のメッセージが聞こえてくるようだ。

巨大なキャンバス、大胆な筆触、簡略化した形。映画やドラマのワンシーンのようなストーリー性を感じる。描写の巧拙を越えて私達の感情に静かな揺さぶりを掛けてくる。


ライナー・フェティンク《Phone Call》1984年 アクリル/キャンヴァス 230×182cm
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シャワーの後に掛かってきた電話だろうか。フェティンクの作品は、モティーフに統一感があり、つなげてストーリーが進んでいく。都会の片隅の情景だ。
具象絵画を描き続けたフランシス・ベーコン(1909~1992 アイルランド出身)の「自分が惹かれるイメージを再現しているだけ」という言葉を思い出す。

ねじり、編み込んだような男の体は長いストロークの筆触モザイク。対角線上のデフォルメされた不安定な肢体を、カウンターが支えている。黒く塗りつぶされた三角形のスペースが彼の安全地帯のようだ。




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