表現主義とは自然の写実的な再現よりも、個人的な内面感情を表現することに重きをおく芸術様式。感情を作品に反映させる表現は、物事の外面的な特徴を描写する印象派とは対極の位置にあります。つまり、外から人間に向かって入ってくる印象(impression)ではなく、人間の内面的なものの外への表現(expression)なのです。
20世紀初頭ドイツで起きたドイツ表現主義は、次の芸術運動に大きな影響を与えて受け継がれていきました。
【特徴】
・形が鋭角的に表現されたり、ねじ曲げられたりした誇張(デフォルメ)表現。
・画家の感情が、強い輪郭線や象徴的な色遣いとなって表現されている。
ドイツ表現主義フランスのフォーヴィスム(野獣派)誕生と同じ年1905年にドイツでは、ドレスデンの「ブリュッケ・橋」、1911年にはミュンヘンの「ブラウエ・ライター 青騎士」が結成されました。この2つのグループを中心としたドイツでの芸術活動を、ドイツ表現主義と言います。
今回は、ブリュッケの画家たちの作品を紹介します。ブリュッケは、自分たちの作品が未来への「橋」となるようにと名付けられました。共通の表現様式や主義は定まっておらず、従来のアカデミックな芸術に反抗する若手画家たちのグループでした。彼らは、ムンク、ゴッホ、原始美術に傾倒し、原色を自由に多用した激しい色の対比や、強い輪郭線を特徴とする作品を描きました。
1913年に解散して、夫々の表現に向かいました。
【ブリュッケの画家達】エルンスト・ルードリッヒ・キルヒナー(1880~1938年)
ブリュッケの中心的メンバー
輪郭が鋭角的に表現されているので「尖った表現」となっています。大胆なデフォルメや強い原色の使い方が、不安定な状況下で生きていく不安や苦悩、さらに体制への反抗などを感じさせ、時代の頽廃さを表現しています。
《ベルリンの街角》1913年

《街頭の婦人達》1914年

《兵士としての自画像》1915年
エミール・ノルデ(1867年~1956年)
「色彩、それ自体が生命を持っている」
大胆に簡潔化した形、際立つ配色、表現の巧拙を超えてノルデの心の状態が反映されています。とりわけ水彩画の美しさは今でも輝き続け、表現としての強靭さを保っています。
《黄色と緑色による女の肖像》1930年

《エヴァ》1910年
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《女とピエロ》1917年
カール・シュミット=ロットルフ (1884~1976)
アフリカ美術に影響を受けた初源的な形態で描かれています。プリミティブな表現が力強い表現に転位して、20世紀初めとしては他に例を見ない独自の世界が表現されています。
《葦の茂みの中の裸婦》1913年

《女性の頭部》1916年

《夫婦像》1919年
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エゴン・シーレ (1890~1918年)21歳のシーレ

《自画像》1912年 22歳

20世紀初頭オーストリアで活動し、28歳で夭折した天才画家。
人間の内面的なものを外へ表現する芸術様式、「表現主義」の先駆けとなった画家です。
その時代、鋭く強い線描で自身の内面を表現した画家は、シーレの他にいなかったのではないでしょうか。
【自己を「題材」として描く】エゴン・シーレ程、数多くの自画像を描いた画家はいないと思います。又シーレの自画像ほど、精神と肉体全てをさらけ出し、題材としての自己を描いたものはありません。「絵の対象としての自分自身に興味がない」として自画像を描かなかったクリムトに対して、シーレは数多くの自画像を通して、苦悩・欲望・恐怖・不安・悲哀・憎悪‥などの内なる感情を描きました。あらゆる感情がナルシスティック(自己愛的)に表現されています。
シーレの作品、特に自画像は背景が描かれていません。「自我像」としての「自画像」には、背景など必要が無く、ただただ内へ内へと向かって行きました。
《頬に手を置く自画像》1910年

《裸の自画像》1910年

《自慰》1911年

《首を傾けた自画像》1915年
【シーレとクリムト】シーレは1907年、ウィーン美術アカデミーでクリムトに出会います。クリムトはシーレの才能をいち早く認め、28歳という歳の差を越えて親しく交際しました。
二人の作品のテーマが、「死・生・エロス」という点では同じでしたが、表現方法は異質なものでした。クリムトは、華麗・耽美の中にそのテーマを追求し、装飾的な表現に向かいました。シーレは逆に装飾的な要素を取り払い、自己をさらけ出す表現を追求しました。
《隠者たち》1912年 生と死をテーマにした大作(181×181㎝)左がシーレ右がクリムト。

シーレは「この作品は、15歳の時の父の死の体験を踏まえたもの」と説明しています。クリムトと父のイメージを重ねて描かれたと言われています。シーレの自作解説より『これは灰色の天国ではありません。二つの肉体がうごめく悲しみの現世なのです。二つの肉体は孤独のうちに育ち、大地から有機的に生まれてきたものなのです。この世界によって本質的に《はかないもの》であることを表現したいのです。(後略)』
《枢機卿と尼僧》1912年

クリムト《接吻》

クリムトの「接吻」をかなり意識して描かれた作品。抱き合っているのは枢機卿と尼僧と言うタブー。「接吻」の男女のような官能的な一体感はありません。こちらを見ている女性の視線がそれを物語っていると思います。漆黒の中に浮かぶ三角形構図。そして、枢機卿の赤い着衣が印象的で、わずかな緑色が美しい。同じテーマ(生・死・エロス)でも、クリムトの表現方法と異質であることがよく分かる作品です。
【個性的なポージング】小さい頃から天才的なデッサン力を持っていたシーレ。まるで一筆描きのような描写は、正確で力強いだけではなく、対象の内面が浮き彫りにされています。
背景が描かれていない事で、描線の緊張感が強まり、生々しい存在感を感じます。
《闘士》1913年

《赤い腰布を巻いた男性》1914年

《赤いブラウスのヴァリー》1913年

ヴァリーは、元はクリムトのモデルでした。クリムトから紹介された後、シーレのモデル兼恋人となり、多くの作品に登場すると共にシーレの支えでもありました。ヴァリーは、シーレの感性を引き出していく何かを生まれつき持っていたのでしょう。
左腕が大胆にトリミングされ、風変わりなポーズをとるヴァリー。口紅・ブラウス・靴下どめ・下着の輪郭線に描かれた赤が美しく、ヴァリーの視線をより一層魅力的なものしています。空間の美しさも見逃せません。
《左手を髪にあてて座る女》1914年

強い描線と大胆にデフォルメされた肉体。《闘士》と共通する彩色が美しく、ヴァリーの大きな瞳が妖しげな視線を投げかけきます。
《左膝を高くして座る女》1917年
写真家「ロバート・メイプル・ソープ」(1946~1986年)
20世紀末を代表する写真家の一人。肉体のフォルム(形)やマッス(塊)としての美しさを、様々なポーズや厳密な構図によって表現しました。「完全な瞬間」として捉えています。自己愛的なセルフ・ポートレート(自画像)を多く残し、作品に死を感じさせる点やストイック(禁欲的)な目線による表現はシーレに通じるものがあり、ここでご紹介致します。



【ヴァリーとの別れ、そして結婚】
エディットと言う女性の出現でヴァリーは身を引き、4年間の同棲生活が終ります。ヴァリーは従軍看護婦として戦地に赴き、シーレが亡くなる前年に感染症で亡くなります。
《死と乙女》1915年

恋人ヴァリーとの別れを描いた作品。すがるようなヴァリーに対し、自身を死神として描き複雑な心境を表現しています。シーレが描いた最後のヴァリーです。
《座っているエディット・シーレ》1917~18年

妻エディットを描いた作品。結婚後の作品は、シーレの特徴である鋭い線が消え、穏やかな表現に変化しました。
エディトはスペイン風邪によって1918年に亡くなります。シーレも後を追うように三日後に同じ病気で28歳の若さで亡くなりました。同じ年、クリムトも亡くなっています。
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