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アート/ART 

ART PROGRAM K・T 

美を巡る「風景」Ⅰ

フリードリヒ《リーゼンゲビルゲ山の朝》1810~11年
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フリードリヒ(1774~1840)19世紀ドイツ・ロマン主義の画家

ロマン主義…古典主義の理念や美学に縛られることなく、理性的な合理主義に対抗し、個人の感性や情動、
        空想や幻想に重きをおいた芸術様式 “理性より感情を重視”

フリードリヒの作品の主題は「神秘と幻想」です。
「リーゼンゲビルゲ山の朝」では、広大な自然を通して、観る者に神の存在を感じさせています。
広大な風景や光に、精神性や象徴性を与え、崇高さや自然に対する畏怖の念を描き出しています。


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山頂の十字架をクローズアップさせると二人の人物が象徴的に描かれ、物語性(「自然の崇高さ」「神秘」「人間の非力さ」「存在の虚しさ」)を感じます。


1933年ドイツ・ベルリン大学に留学した東山魁夷は、フリードリヒの作品に出会い、「風景の中に精神性を見い出すこと」に自分の方向性を見出しました。

 東山魁夷《残照》1947年
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アンドリュー・ワイエス《闖入者》1971年
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アンドリュー・ワイエス(1917~2009)

アメリカ絵画の正統な後継者 アメリカの国民的画家と呼ばれ国民から幅広く支持されている画家です。

「闖入者」は、川の岩の上に佇む愛犬ネリ―を描いた作品です。闖入者は、それまで静寂だった風景に変化をもたらします。せせらぎの音が聞こえ、小さな泡が鏡のような水面にかすかな流れを作り出しています。画面奥上部に、わずかな空と木を描くことで奥行き感が深まり、静寂のふくらみを感じます。



「ある風景を描く時、眼に映るすべてを描きません。多くのものをしばしば省略します。感情に訴えるものを取り出し、そのモティーフが浮かび上がるように焦点を当てるのです。その場を離れても、心に残っているものだけを描きます」 ワイエス
ワイエスは現実のすべてを描くのではなく、対象から得た感動をより強調するために不必要と思われたものを省略しています。若い時から既に、対象をそっくりそのまま描くだけでは、そのものが引き起こす感動を画面に表現できないことに気付いていました。

「絵を描くきっかけは、胸が一杯になった時に生まれます。それはほんの一瞬です」 ワイエス

自分の心の奥深いものが動かされて初めて制作に取り掛かりました。ワイエスは、「フィーリング」「エモーション(感激・感動)」といった言葉をしきりに使いました。




犬塚 勉《縦走路》1985年アクリル
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《深き渓谷の入り口》1988年
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犬塚 勉(1949~1998)

小・中学校の美術教師をしながら、自然の風景を描き続けた夭折の画家

「自然は命がけの厳しさを要求する。並の生きる意志で立ち向かえる相手ではない。自然の命、その厳格で絶対的な法則が春の野の一輪のスミレの花にさえ充満している。
本当にそれが見えるか。真冬の北岳の稜線の風、ピッケルで辛うじて体を保持しながらピークを目指した。あれが風である。」(1988.4.17 犬塚勉 制作ノートより)

自然を徹底的に見つめ、リアリティに徹して再現しました。小さな石ころ一つにも手を緩めることなく描きました。そうすることが自然の厳しさに対する犬塚の答えだったのではないでしょうか。
犬塚は「水が描けない」と言って谷川岳に入り、帰らぬ人となりました。
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テーマ:アート - ジャンル:学問・文化・芸術

美を巡る「風景」Ⅱ

【木々のある風景】

小林孝宣(たかのぶ)《森》2001年
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小林孝宣(こばやし たかのぶ・1960年東京生まれ/愛知県立芸術大学油絵科卒)

大学卒業後、96~97年文化庁の在外研修員としてバンコクに滞在します。2002年より、バンコクと東京の2都市で制作活動を行っています。強い光、優しい光など様々な「光」や個人的なイメージがテーマとなっています。日常の静かで“なごみのある光景”が独自の抑揚を抑えた表現で描き出されています。

「森」の中の木立の間を満たすような、静謐で温かみのあるやさしい光。夢の中のような不思議な空間です。具象絵画ではありますが、平面性が強く、木々のディテールには全くこだわりがありません。何か(思い出・記憶)を呼び起こすための形態なのでしょう。作品の中へと想像力を駆り立ててくれます。

「光とか、夏とか、こどものころに培ったイメージ、自分の中にあるイメージが、作品のベースになっている」 小林孝宣 

小林孝宣《スイミングプール》1998年
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印象派が描いた木漏れ日に癒しを感じるように、人間は木漏れ日に安らぎを求めます。


エル・グレコ《トレドの眺望》1595年~1610年
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イタリア滞在中(10年間)ティツィアーノ等のヴェネツィア派の色彩を学ぶ。スペインではその個性的で奇抜な構図や色彩により宮廷画家の道が閉ざされます。

宮廷画家の道を断たれて失意のうちに戻って描いた「トレドの眺望」は心象風景ともいえる作品。心のうちが深緑と暗い青色で表現されています。

エル・グレコ《聖マウリテレスの殉教》1580~82年
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デフォルメされた人体、遠近法を無視した奇抜な構図、非現実的な色彩。この作品により宮廷画家への道が閉ざされました。しかし天上の天使たちによって導かれていく殉教者たちの姿が、鮮やかに厳かに描かれています。



非現実的な色彩で心象を表現したゴッホや、ピカソなどが影響を受け、エル・グレコは再評価されました。

ゴッホ《星月夜》1889年
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現実世界の風景を、大胆に変えて自分の内面の心象風景に変えていく。現実に縛られる事が無い描写で、目に見えないもの(精神性)を如何に画面に表現するかを試みました。星、月、夜空の大胆なうねりの筆の跡にゴッホの感情が映し出されています。

ピカソ《アビニョンの娘たち》
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裸婦の空間を埋める背景が、「トレドの眺望」の空の描き方に影響を受けています。
心動かされた作品が視覚的な記憶となって蓄積される。ピカソは、それらをヒントにして、新しい表現を創出する能力に長けた画家と言えると思います。




~西洋美術(ルネサンス以降)二つの流れ~

美術史家ハインリッヒ・ヴェルフリン(スイス)は、ルネサンス以降の西洋の絵画様式を「絵画的(色彩)」な様式と、「非絵画的(線)」な様式に、二分しました。西洋美術は「非絵画的(線)」な様式と、「絵画的(色彩)」な様式が、入れ替わり立ち替わり現われて、その歴史を形作ってきたという説を唱えています。


「非絵画的(線的)」な様式 【フィレンツェ派】ラファエロ・ボッティチェリ

形が明快ですっきりしていて輪郭線を辿ることができます。輪郭線に重きを置いています。仮に色彩を抜いたとしても線が残ります。 

ラファエロ(1483~1520)《牧場の聖母》1506年
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幼子二人に優しい眼差しを注ぐ聖母マリア。マリアの両手に包まれて立つキリストはヨハネが差し出す十字架を握っています。イエスとヨハネの師弟関係を表現。赤と青の着衣は典型的な聖母マリアの服装です。背景に広がる澄んだ風景が、マリアの美しさを際立たせています。ルネサンス以降の聖母子像の典型的な構図(安定した三角形の構図)輪郭線がハッキリしていますので、仮に色彩を抜いたとしても形が残ります。フィレンツェ派の特徴です。

ボッティチェリ(1444~1510)《ヴィーナスの誕生・部分》1485年頃
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線の絵画であることがよく分かる部分

「絵画的(色彩)」な様式 【ヴェネツィア派】ティツィアーノ

ティツィアーノ(1488~1576)《マルシュアスの皮剥ぎ》1576年
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ティツィアーノの最晩年の筆遣いは、事物の輪郭を意識せず大胆に色彩を施す描法で、仮に色彩を抜いてしまうと絵画として成り立たなくなってしまいます。これがヴェネツィア派の特徴です。


ルネサンス期フィレンツェ派 15世紀~16世紀 ラファエロ/ボッティチェリ

新古典主義 18世紀終わり~19世紀中頃 ダヴィッド/アングル 理想美の追求

フランス・アカデミズム絵画 19世紀 ジェローム/カバネル

幾何学的抽象美術 20世紀 モンドリアン



ルネサンス期【ヴェネツィア派】 ティツィアーノ/ジョルジョーネ

マニエリスム 16世後半 エル・グレコ 内面性重視・誇張・デフォルメ

バロック 17世紀~18世紀 カラヴァッジョ/ルーベンス/レンブラント 
    明暗の対比・劇的な感情表現・臨場感    
↓      
ロマン主義 18世紀後半~19世紀中頃 ドラクロワ/ジェリコー 感情を激しい色遣い(補色対比)やタッチで表現

印象主義・後期印象主義 19世紀~20世紀 マネ/モネ/ルノワール/ゴッホ/セザンヌ/ゴーギャン
     




モンドリアン《木々のある風景》1912年
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モンドリアン(1872~1944)

1872年オランダに生まれ、アムステルダムの美術学校で学んだモンドリアンは、1911年パリにアトリエを構えました。当時の前衛芸術キュビスムに触れ、具象的な表現から完全な抽象に移っていきました。1917年オランダの芸術運動に参加して、自ら唱えた「新造形主義」の原則に従い三原色と無彩色、水平線、垂直線による幾何学的抽象絵画を創始しました。

《コンポジション》1929年
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1912年に描かれた「木々のある風景」は、水平線と垂直線の構図に至るまでの抽象化のプロセスが理解しやすい作品です。 単純化と平面化、さらに簡略化が進み、樹木は垂直線と水平線と円弧で表現されています。


モンドリアン《コンポジション》1919年
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【モンドリアンの世界認識】
 目の前の世界を単純化していくと、すべては普遍的なものである水平線と垂直線で表現される。 

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美を巡る「風景」Ⅲ

【海辺の風景】

エドワード・ホッパー《海辺の部屋》1951年
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開け放たれたドアの向こうには海。室内には一気に陽の光が差し込んで来ています。壁の向こう側の室内にも窓からでしょうか、光に溢れていることが分かります。人物は描かれず、ただ光と影の描写がリアルでありながら、非現実的な雰囲気が伝わる不思議な作品です。

ホッパーは言います。「白に黄色をほとんど混ぜずに、日の光を白く描こうとした試みに過ぎない。心理的な解釈はこれを見る人に加えてもらうしかない」


エドワード・ホッパー(1882~1967)アメリカンリアリスムの画家。

同じアメリカン・リアリスムの画家「ワイエス」の世界は、詩情(風、冷気、音など)を感じますが、ホッパーの世界はどうでしょう?20世紀前半の豊かなアメリカの日常的な情景描写。通い合う視線はなく、音や、風や、動きは感じられず、違和感・無表情・虚無感といった印象を感じます。
次の《カフェテラスの日差し》には二人の人物が描かれていますが、風景の一部として配置された印象が強く、まるで、そっとつまんであちらこちらへ移動できるフィギュアのようです。カフェテリアの非現実的な空間の中の、光と影のリアルな描写が印象的な作品です。

ホッパー《カフェテリアの日差し》1958年
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アレッサ・モンクス《ザ・レース》2007年
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近年、アメリカで注目されている、スーパー・リアリスムの女性アーティストです。ブルックリン在住。
この作品は写真ではなく絵画です。質感が見事に再現されています。

【スーパー・リアリスムとは】

写真と見間違うほどの驚異のリアリスム。1960年代後半、ポップアートが最盛期のアメリカで登場しました。
現代生活の日常に溢れる風物(車・看板・ショップなど)を撮った写真を利用して、モティーフに対する感情や思い入れを一切排除して描写する。写真という新しい映像世界を、人間のテクニックによって絵画の世界に忠実に再現するので、フォト・リアリスムとも言われます。またハイパー・リアリスムとも言います。


「ザ・レース」は、競泳に興じている男性の一瞬のしぐさがモティーフです。構図的には、女性と桟橋の存在・男性の頭がわずかに水平線の上に来ていることなどが遠近感を強めています。水面の揺らめきはもちろんのこと、水面下の男性の体・女性の影の再現性に圧倒されます。
しかし、もっとクローズアップして見てみると、タッチが残されていることが分かります。彼女の他の作品

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アレッサ・モンクスのように、水・泡・人体・布など、柔らかいモティーフを選択したスーパー・リアリスムの画家がいれば、リチャード・エステスのように、都市の景観をモティーフに描いた画家もいます。

リチャード・エステス《ウェイヴァリー・プレイス》1980年 油彩
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エドゥアール・マネ《浜辺にて》
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エドゥアール・マネ(1832~1883)近代美術(モダンアート)の父であり印象派の父

二人とも表情が分からない横顔。美しい海に視線をやるのは弟のウジェーヌ。本を読んでいるのでしょうか?妻のシュザンヌ。前景となっている妻や弟は、安定感のある三角形の構図で、浜辺でくつろぐゆったりとした雰囲気が伝わってきます。明るい砂浜や打ち寄せる白波に対比させて、妻や弟の着衣に暗色を使うことにより、全体的にシャープな印象を与えています。妻の帽子の黒い紐が弟の黒の着衣に呼応しています。マネの黒は美しく、効果的に使われていると思います。





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