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色彩についてⅠ「ロマン派の登場」

ロマン派の登場


フランス革命による貴族社会の衰退と共に、曲線を多用した装飾的で耽美なロココ芸術が衰退すると、反ロココ芸術の立場で、古代美術(ギリシャ・ローマ)に規範を求め、「理想の美」を追求した新古典主義が台頭してきます。そして同時代、古代に理想を求めた新古典主義の対立軸として「個人の感情」を描き出そうとしたロマン主義が生まれてきます。


【新古典主義の描き方】

ドミニク・アングル「ルイ13世の誓願」1824年 421×262cm
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ドミニク・アングル(1780~1867)

ジャック=ルイ・ダヴィッド(ナポレオンの首席画家として、ナポレオンと共に運命を共にした)に師事し、ダヴィッド失脚後、新古典主義を継承してフランス・アカデミーの中心人物として活躍しました。
新古典主義のアングルは、イタリア・ルネサンスの古典絵画に規範を求め、宗教画・歴史画・肖像画を多く描きました。形態を尊重するために厳しいデッサンに力を注ぎ、ゆるぎない理想的な造形美を追求しました。

「ルイ13世の誓願」は、天に召されていく聖母(聖母被昇天)に、王冠と黄金の杖を差し出して誓願をしているルイ13世の姿を描いた宗教画です。

左右に開かれたカーテン、それを支える二人の天使、灯りを支える小さな天使たちも左右に配され、左右対称の安定感のある構図で描かれています。聖母の表情は気品と高潔な雰囲気が溢れています。
ハッキリとした形態で筆跡を残さずに、陶器の表面のように滑らかに描かれています。

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ロマン派の描き方


ウージェーヌ・ドラクロワ《ピエタ》1843~1844年355×475cm 
パリ、サン=ドニ・デュ・サン=サクルマン聖堂壁画

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ウジェーヌ・ドラクロワ(1798~1863)フランス ロマン派を代表する画家

ルネサンス・ヴェネチア派のティツィアーノ、オランダ・バロック絵画のルーベンス、ジェリコー(古典主義を基本としながらも人間の現実社会を描き、ロマン主義を芽生えさせた)の影響を受け、ロマン派を発展させた画家です。芸術アカデミーの会員に許可された時、新古典主義の権威ドミニク・アングルに「私はこの愚かな世紀と決別したい」と言わしめた程、新古典主義と対立しました。


「ピエタ(慈悲・悲しみ)」は、聖母マリアが、亡くなって十字架から降ろされたキリストを抱く聖母子像です。
聖母マリアを始めイエスを支え見守る人々の感情が、その表情に描き込まれています。
残されたタッチや激しい色遣いによって、画面が振動して迫って来る様な感情表現です。

形態を優先している新古典主義では、色彩はあくまでも輪郭線に沿うかたちで描かれているため、調和がとれていて静謐な印象を受けますが、ロマン派では個人の感情を表現する激しい色遣いや強い筆触が優先されています。
このタッチを残し、感情を描く筆遣いが、後の印象派へと引き継がれていきます。




ドラクロワ《ダンテの小舟》1822年 189×264cm ルーヴル美術館
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『ダンテの小船(地獄の町を囲む湖を横切るダンテとウェルギリウス)』は、ドラクロワのサロン初出品作品です。イタリアの詩人ダンテ「神曲」より、地獄篇の一場面を描いたものです。
赤い布を頭に巻いた主人公のダンテと案内人である詩人ウェルギリウスが地獄の川を下ってゆく姿が描かれています。恐ろしい形相で小舟にしがみつき這い上がろうとする死者達、激しく揺れて浮き沈みする小舟。劇的なシーンの迫力が伝わってきます。
又、背後で赤々と燃える町や赤い布と、青い布や暗い川との色彩対比、さらにダンテの掲げた手を頂点とする三角構図もドラマチックな表現を導き出しています。


ドラクロワ《アルジェの女たち》1834年180×229cm ルーヴル美術館
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1832年に旅行で訪れたモロッコ・ナイジェリアでのスケッチを元に、帰国してから描かれました。
アルジェのハーレムの女性達を描いた作品です。
絨毯や壁に描かれた文様や扉、そして女性達のコスチュームは異国情緒たっぷりで、ハーレム独特の雰囲気も良く伝わってきます。窓から差し込む光に色彩が輝きを増し、赤と青の補色対比の効果が、この作品に優雅さをもたらしています。
ドラクロワにとって、北アフリカの旅で何よりも印象的だったのは、異国の強い太陽光が織りなす色彩の輝きでした。
ルノワールは、この作品を「世界で一番美しい絵画」と賞賛し、ピカソはこの作品からインスピレーションを受けて「アルジェの女たち」を描きました。


ドラクロワは、内面的な要素を強く表現するために、強い筆触で動きのある構図や補色などの強い色遣いで描きました。ロマン主義を確立し、やがて19世紀後半の印象派の画家達に多大な影響を与えていきます。
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テーマ:アート - ジャンル:学問・文化・芸術

色彩についてⅡ「ターナー」

イギリス・ロマン派の色彩画家ターナー

ジョセフ・マロード・ウィリアム・ターナー(1775~1851)ロンドン

幼い頃から絵の才能を発揮しました。テムズ川のすぐ近くに住んでいたターナーは、水辺の風景・水の描写を多く手掛けました。1797年にロイヤル・アカデミーの正会員になった頃は、写実的な風景画を描いていました。
ターナーは、ローマで活躍した17世紀フランス古典主義の風景画家クロード・ロランや、オランダ・バロック絵画の巨匠レンブラントの影響を受けました。特にレンブラント・ライト(暗い中にいる対象だけに光を当て、際立たせる描き方)の明暗対比(キアロスクーロ)の効果で描きました。


ターナー《海の漁師たち》1796年 91×122cm テイト・ギャラリー
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ロイヤル・アカデミーの正会員になる前年に描かれた作品です。レンブラント・ライトの効果がよく表れています。黒々とした雲の合間から差し込む陽の光を受けた小舟の漁師たちが、荒波に揉まれるように必死に漁をしているのでしょう。まるで、ステージ上のドラマティックな情景のような、緊張感溢れるロマン派の表現です。ひとたび大波が来れば転覆してしまいそうな、まるで木の葉のようです。ターナーは、山や海など大自然の中の小さな人間の存在を表現している作品をたくさん残しています。


ターナーが影響を受けたレンブラント(1606~1669)オランダ バロック絵画の巨匠

レンブラント《放蕩息子の帰還》1666~1668 262×206cmエルミタージュ美術館
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聖書を題材にした宗教画の中でも代表的な作品です(ルカによる福音書第15章より)。

肩に優しく手を当てている父。その父の財産を兄と分け合い家出をしたものの、すべてを使い果たしてみじめな姿で帰還した放蕩息子が、父の温かいぬくもりを静かに感じているシーンです。
このエピソードでは、真面目に父のそばにいて日々労働に勤しんでいた兄の「父が親不孝者の弟を受け入れた不満」も存在していますが、それでも後悔を一生負わせるべきではないという寛容の教えが説かれています。レンブラント・ライトは、慈愛に満ちた父の顔と後悔の念に駆られながらも、父の温もりに安らぎを感じているであろう放蕩息子の後ろ姿に注がれていて、この宗教画の見どころとなっています。
画面全体を覆う暖色、父の肩から腕が作り出す菱形、父と息子を優しく見守る三人の視線が、右端の人物を頂点に注がれている、どれもこの宗教画の「慈愛・寛容」のテーマを強調しています。




ターナーの色彩に影響を与えたものに、ゲーテの「色彩論」があります。詩人・小説家・哲学者として名高いゲーテ(1749~1832)は、自然科学者として1810年に「色彩論」を発表しました。ターナーが初めてのイタリア旅行で、明るい陽光に輝く風景に出会う10年ほど前のことです。

【ゲーテの色彩論】

光が最も強いレベルでは、色彩が認識されず「白色」です。光が最も弱いレベルは「黒色」でやはり色彩は認識されません。最強のレベル(白)から少し弱くすると初めて認識されるのが「黄色」、あるいは最弱のレベルから少し強くした時、初めて認識されるのは「青色」です。そして繰り返していくと、徐々に認識される色彩が増えて行って色環としてつながるというものです。人間の眼が認識する色彩を環で表したのはゲーテが初めてです。
そして、色環の向かい合う色彩は互いに引き立て、隣り合う色彩は馴染み易い。暖色は前進・膨張、寒色は後退するという色彩表現についても述べています。

どのように光を色彩で再現したら良いのか、「光の描き方」、それはターナーにとっても追及してやまない課題でした。ゲーテの「色彩論」に強い影響を受けたのは言うまでもありません。
ヴェネチアには何度も訪れ、輝く光の中の色彩を描きました。「色彩画家」としての特性を深めて行きました。

ターナー《解体のため錨泊地に向かう戦艦テメレール号》1838年 91×122cm
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輝く光を表現するための「白色」「黄色」が多用されています。
水平線近くの太陽の光が大気の中に溶け込み、静謐な海面の輝きと呼応し合って美しさを放っています。色環の黄色の反対色である青が、その美しさを引き立てるように描かれています。


『ノラム城、日の出』(1835~1840)78×122cm テート・ギャラリー
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朝陽の光が空気に溶け出して広がりを見せています。静寂の中にも大気のかすかな動きが感じられます。ノラム城は青い影のような表情で佇んでいて、幻想的で美しい世界を描いています。光に溶け込んでしまった形態、調和のとれた色彩、まるで抽象絵画のような表現です。
モネが普仏戦争を逃れてイギリスを訪れた時、本作品に出会って自分の進む方向に確信を持ち、印象派の幕開けを告げる『印象・日の出』を描きました。
ターナーは、前印象派として印象派の画家たちに多大な影響を及ぼしました。

ターナー《赤い空と浜辺》1840~42年頃
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タイトルが書かれているので、私達は赤い空と浜辺をイメージしますが、そうでなければ、再現性を離れたタッチと色彩で描かれた抽象絵画のようです。
ターナー晩年の色彩表現の美しさです。

テーマ:アート - ジャンル:学問・文化・芸術

色彩についてⅢ「黒」

際立たせる黒

グイド・カニャッチ《フラスコの花》1645年頃 イタリア・バロック絵画
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鮮やかな色彩の花々 生命力に溢れ煌めきを放っています。それとは対照的に、ほどけちぎれたフラスコの籠。しかし縄の見事な描写力が光を受けて際立っています。それもこれも、闇の「黒」のなせる業。 

存在感の黒

エドゥワール・マネ《アトリエの昼食》1868年
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「いま」「ここ」と言った現在の瞬間性を描くというモダンアートの父マネの作品です。
青年がテーブルの角にちょっと腰を掛けて遠くへ視線を向けた瞬間を描いています。青年のジャケットの「黒」が画面をぐっと引きしめていて、奥の陶器の植木鉢の白との対比で奥行き感も増しています。テーブルクロス、ナイフ、レモン等にトップライトが注がれていて美しい作品です。

オーギュスト・ルノワール《桟敷席》1874年
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最初に目に飛び込んでくる黒と白のストライプ。私達鑑賞者の視線は、彼女の美しい肌や胸元の真珠の首飾り、花飾り、そして後ろに座る男性へと動き回るのですが、やはり黒と白のストライプの存在感に、何度も視線が戻るのを感じます。ルノワールの印象派の仲間たちは、「黒」は色ではないとしてパレットから追放してしまいましたが、ルノワールは「黒」を効果的に遣いました。
明るい色と対比させることによって、「黒」が美しい色になることを作品で示しました。
しっかりと描かれた女性の顔が画面を引きしめています。後ろの男性の、舞台ではなく客席の女性か有名人を眺めるために覗きこんでいるオペラグラスが、この作品のストーリー性が膨らむ小道具となっています。

ピエール=オーギュスト・ルノワール(1841~1919)

1870年代は、印象派の特徴である筆触分割で描きました。80年代に入ると、筆触分割では形態や材質感の表現が困難であるという問題にぶつかります。1881年のイタリア旅行で古典芸術(ラファエロや古代ローマの壁画等)に触れたルノワールは、形態を重視した作風へと変わっていきます(涸渇時代 1883~1887)それは印象派に決別する結果となりました。
1888年にリュウマチ性関節炎や顔面神経痛の病に襲われ、また涸渇時代の画風からパトロンが離れていったこともあり、古典主義的な表現から本来の柔らかなアウトラインに戻ります。
そして作者が特定できる≪ルノワール独自の世界≫が確立されるのです。

ルノワールの作品は、題材が明るく幸福感にあふれています。愛らしい子供、花、楽しく集う人々を描いた作品を多く残しました。羽毛のように軽くて柔らかいタッチと、バーミリオン(朱色)を代表とする暖色の持つ温かみが見どころです。

ルノワール《バラを挿したブロンドの女》1915~17年
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横山大観《雲去来》1917年 熊本県立美術館蔵
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《雲去来 部分》
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墨一色の濃淡渇潤だけで、明暗・奥行きそして山や雲や空気の精神性までも表現しています。彩色を越えた深みのある表現です。


香月の黒

香月泰男《母子》1968年 27.5×21.3cm
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赤ん坊を抱く母の表情は描かれていないけれど、注がれる眼差しの優しさが伝わってきます。赤ん坊は、母の宝物のように輝いています。とにかくシンプル しかしそれはただフォルムと色面の表現ではなく、凝縮された精神性にあふれています。母親の背景の余白、下塗りを周囲に残す香月のスタイルが、この黒をより一層温かくしています。

愛する家族や小さな生き物を描く一方で、香月泰男(1911~1974 山口県出身)は、1945年にシベリアに抑留された時の体験を再体験するかのように「シベリア・シリーズ」を発表し(1948年に第一作「雨(牛)」「風」)、生涯描き続けます。

香月泰男《涅槃》1960年 山口県立美術館蔵
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木炭や方解末を混ぜた黒や褐色の絵の具で描かれています。
鎮魂と平和への祈りをこの黒に託して生涯描き続けました。
「僕は、鉄砲を持った兵士として死にたくなかった、絵筆を握った絵描きとして死にたかった」香月泰男の言葉

テーマ:アート - ジャンル:学問・文化・芸術

色彩についてⅣ「青」

魅惑のブルー

エドゥアール・マネ《青い目のブロンドの女性》1877年 パステル 60×50cm
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美しい作品です。マネは若くて美しい女性を好んで描きましたが、この女性はベルト・モリゾではない事は確かです。モリゾは、1874年にマネの弟と結婚してからマネのモデルになったことはありませんでした。そして何よりもこの女性は美しいブルーの目、とても魅力的な力のあるブルーの目です。
パステルの効果で、柔らかく発光しているような首からブラウスの中に見え隠れする青いライン・タッチが綺麗です。そして右下隅に置かれた反対色の黄色が、微妙なブルー系で描かれた背景も含めて画面全体を引き締めています。そう、忘れてならないのは、全体の絶妙のバランスを保っている彼女のおくれ毛だ。


スタイリッシュな青


エリザベス・ペイトン《Martin Creed》1999年 板に油彩 27.9×35.5cm
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青いシャツが目に飛び込んで来る。ボトルの飲み物(黄色)がより一層鮮やかに引き立てている。飲み物の、少なからず多からずの量がベスト。ボトルの向こうの青が、パズルのように組み込まれていて面白い。そして、彼の青い目にくぎ付けとなって、目線の先にイマジネーションを膨らませる。右目と左目の力のバランスがわずかに違って焦点が合っていない。彼は心の奥深くを見つめているのか、それとも無の境地か。
大胆で流れるような特徴のある筆遣いは、一目で彼女の作品と分かる個性。そして私達を引きこむ雰囲気が彼女の作品の魅力だ。

エリザベス・ペイトン(1965~  アメリカコネチカット州出身)

新しい具象(new figurative)を描く女性画家、現代のアメリカを代表する肖像画家です。
彼女を一躍有名にしたのは、ニューヨークのチェルシー・ホテル828号室でナポレオンやマリー・アントワネットなどの歴史的人物を描いたシリーズの個展でした。
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その後も、友人たちはもちろんのこと、ミュージシャン・映画スター・皇室など世界の有名人を本や雑誌の写真、あるいは自分で撮影した写真をベースに描き続けています。
「自分の作品で何かを伝えたいと考えたことはない。ただ美しいと感じたこと・瞬間を描いているだけ」と言っているように、彼女は留めておけない美しさを遺さずにはいられない衝動で描いているような気がします。彼女の作品は、色彩の美しさ・タッチの美しさが作り出す雰囲気が魅力的です。

エリザベス・ペイトン《September(Ben)》2001年 30.8×23.2cm 油彩
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ゴッホの青

エリザベス・ペイトンの「Martin Creed」から遡ること110年、ゴッホは同じ青色と黄色の補色遣いで、画家生活を締めくくる作品(絶筆ではない)を描いています。
「カラスのいる麦畑」です。

ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ《カラスのいる麦畑》1890年 50×103cm 油彩
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古典絵画の画家たちは「存在(~がある)」を描き、印象派の画家たちは「現象(~に見える)」を描き、そしてポスト印象派のゴッホは「主観(自分は世界を~の様に見る)」を描きました。 

ゴッホを始めとするポスト印象派の画家たちは、刻一刻と変化する印象(現象)を描く印象主義の即興的な画風に満足できずに、目に見えぬもの(人間の複雑な内面や感情)をいかに画面に表現するかを試みました。ゴッホにとっても「色彩とは物を彩るだけではなく意味を与えるもの」でした。
精神的に疲れ果てて描かれた「カラスのいる麦畑」は、重苦しい不安なムードにあふれた作品です。聖書で死を暗示する麦畑。それを左右に分断し彼方に続く道を、自分が歩んでいくイメージを感じながら描いたのでしょうか。

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短いストロークのタッチの麦畑と空。目の前の現実の風景が心象風景へと変わり、青色と黄色の補色対比が精神性を強めています。空の青のグラデーションが美しい作品です。



フェルメール・ブルー

フェルメール《牛乳を注ぐ女》1660年
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ゴッホ《黄色い家》1888年
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ゴッホは、いつかフェルメールの青と黄色で描きたいと憧れていました。


ヨハネス・フェルメール《ヴァージナルの前に立つ女性》1670年頃51.8×45.2cm
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フェルメールと言えば、ウルトラマリンブルー(群青色)です。アフガニスタンの特定の地域で採れるラピズラズリ(青金石)から作った顔料です。交易で海を越えて各地にもたらされたのでウルトラマリンブルーと呼ばれましたが、フェルメールが多用した色でもあることから「フェルメール・ブルー」とも言います。当時、ラピズラズリは金よりも高価な鉱石だったため、画家たちは聖母マリアの着衣にしか使えなかった程でした。そんなウルトラマリンブルーをフェルメールは贅沢に、しかも風俗画に多用しました。彼の死後多額の借金が残されたという話はうなづけます。

フェルメールの作品には珍しく、窓から差し込む光に背を向けて立つ女性を描いています。肩かけ、袖、そして腰から下への光の表現は美しく、見ていて飽きない程です。
部屋全体が均一な柔らかい光に満ちていて、窓の下のあの隅には、腰を下ろしてみたら心地よさそうなスペースがあります。

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夫人の表情には気品と高潔さが感じられ、それを裏付けるように背後に掛けられた画中画のキューピットが「貞節」を表す(図像学)一枚のカードを掲げています。


北斎のベロ藍

フェルメールが多用したウルトラマリンはとても高価な顔料だったため、それに代わる青の顔料が発明されます。それがプルシアンブルーです。1704年から1710年にかけてドイツ・ベルリンで、赤い顔料を作ろうとした時偶然に発見されました。プルシアンブルーは、日本には1807年オランダ船の船員によってもたらされ、ベルリン藍から「ベロ藍」と呼ばれました。

北斎はそのベロ藍を版元の永寿堂から手に入れます。初めてベロ藍を水に溶いてみた時「これだ。この青を、植物繊維から採れる濃い藍と掛け合わせれば、素晴らしい空や水が描ける」と感嘆の声を上げたそうです。

葛飾北斎 富嶽三十六景より《深川万年橋下》
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富嶽三十六景の初版は1823年頃から始まり、1831年頃から1835年頃にかけて刊行されたと考えられています。

中央に印象的に描かれた万年橋のアーチが美しく、橋を行き交う人々の賑わいに活気が感じられます。司馬江漢が西洋画の手法「遠近法」を用いて描いた銅版画を見た北斎は、遠近法を用いて制作しました。両岸の家並みが極端な遠近法で描かれています。
ベロ藍が美しく描かれていて清々しい作品です。







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