19世紀後半に入り、建築素材としてガラス・鉄・コンクリートが用いられるようになり、建築は大きく様変わりしてきます。高さ300メートルのエッフェル塔(1889年)は、鉄鋼の大量生産を背景に可能になった大規模な鉄鋼建造物の代表例です。そんな中、イギリスでは「アーツ・アンド・クラフト運動(工芸運動)」、フランスの「アール・ヌーボー(新しい美を作る)」、ドイツの「ユーゲント・シュティール(新しい曲線様式)」等の近代建築運動が起こりました。更に20世紀前半になると、この近代建築運動は大きく展開していきます。モダン建築の、それまでの伝統を否定し、時代に即したデザインを創作するという理念は、ヨーロッパだけではなくアメリカ・日本にも影響し、インターナショナル・スタイル(個人・地域・民族を越えた普遍性)として世界を席巻していきます。
モダン建築は、鉄骨あるいは鉄筋コンクリートを骨組みに、床と壁を取り付けるという「合理性・機能性」を追求した建築で、装飾を否定しています。特徴は、直線的・四角い箱・コンクリート・鉄・ガラスです。
モダン建築をけん引したのが、フランス・エスプリ・ヌーボーの【ル・コルビジェ】バウハウスを率いた【ヴァルター・アドルフ・ゲオルク・グロピウス】ドイツ合理主義の【ミース・ファン・デル・ローエ】の三人と、モダン建築を基軸としながらも装飾を取り入れ、有機的な建築を目指した【フランク・ロイド・ライト】です。
1922年のモダン建築~世界遺産「シュレーダー邸」
ヘリット・リートフェルト【シュレーダー邸】1924年 世界遺産

「建築が創造するものは空間である」 リートフェルトの言葉
モンドリアンらと共に「*デ・ステイル(様式)」という芸術運動に参加していたオランダの建築家ヘリット・リートフェルトが、自分の家族のために設計・建築した建物です。室内の壁は移動が可能で、季節に応じて異なる空間が出来る構造になっているのは、夫人の「壁が無い家を作って」という要望に沿ったものと言われています。
今から90年前の住宅とは思えない斬新なデザインに驚きを感じます。
ピート・モンドリアン《赤と青と黄のコンポジション》1921年

*オランダの建築家テオ・ファン・ドゥースブルフが1917年に創刊した雑誌「デ・ステイル」の名称に由来し、モンドリアンの新造形主義を理念(三原色と無彩色、水平線、垂直線による格子構造)とした活動のグループ名です。
ル・コルビジェ(1887~1965)
ル・コルビジェ ピエール・ジャンルネ 《サヴォア邸》1931年

モダン建築を象徴する記念碑的な建築物です。
今から80年前に完成した建築とは思えない輝きを放っています。箱形の宇宙船が、たった今着陸したような新鮮な驚きを感じます。装飾性が無く無駄のない水平・垂直の構造で、ル・コルビジェが提唱した「ピロティ(杭)」「屋上庭園」「自由な平面」「自由な立面」「連続水平窓」という、近代建築の五原則が具現化されています。
洗練されたデザインのサヴォア邸内部
リビング・ルーム

バス・ルーム

屋上庭園へのスロープ

ピロティ

杉本博司 「建築」より《サヴォア邸》1998年 119.4×149.2cm ゼラチン・シルバープリント

杉本博司は、世界の記念碑的なモダニスム建築を焦点をぼかした手法で撮影しています。
杉本の次の言葉が、モダン建築のすべてを語っているように思います。
「20世紀初頭に起こったモダニズムは、私たちの生活を大きく変えることになった。装飾から人間の魂が解放されたのだ。もはや神の気を引く必要もなく、王侯貴族の自己顕示も必要ではなくなったのだ。人間の力を遥かに上回る機械の助力も得ることが出来るようになって、人間は初めて形を作る自由を得たのだ。
私は現代の始まりを、その建築物から辿ってみることにした。‥略‥
無限の倍をカメラで覗いて見ると大ぼけの像となった。そして私は優秀な建築は、私の大ぼけ写真の挑戦を受けても溶け残るということを発見した。こうして私は建築耐久テストの旅へと出発した。多くの建築がその過程で溶け去っていった。」
写真集「HIROSHI SUGIMOTO」より
【ミース・ファン・デル・ローエ】(1886~1969)
「鉄とガラスでできた現代のビルの原型」を作った建築家です。
ミース・ファン・デル・ローエ設計《シーグラム・ビル》1958年

NYのミッドタウンにそびえ立つ全38階159.6メートルの無機質な箱型の摩天楼は、完成当時世界の人々に計り知れないインパクトを与えたことでしょう。
彼のコンセプトは「ユニバーサル・スペース(柱と梁による均質な構造体)で、均質な空間を作れば、人々は好きな様に間仕切って使える」で、使う人々の自由な空間設計を考慮したものでした。
彼は「Less is More」という有名な言葉を残しています。「少ないことは豊かである」ということは、絵画から絵画以外の要素(奥行き・文学性など)を排除して切り詰めた芸術表現(純粋還元)に至ったミニマリズムの精神に通じる考え方です。しかしシンプルでありながら機能美を備えた四角いビルが世界に次々と乱立し、その後「Less is bore(少ないことは退屈である)」という言葉と共に出現した「ポスト・モダン建築」への転換期を迎えることになるのです。
【ヴァルター・アドルフ・ゲオルク・グロピウス】(1883~1969)
ドイツの建築家。バウハウス(美術と建築に関する総合教育の学校)の創設者で、初代校長も務めました。
ドイツの発展には若者たちの教育、特に産業に携わるための教育システムが大切であるとして《バウハウス》を創設しました。工芸・デザイン・写真などを含む美術、そして建築に関する総合教育システムの学校です。
グロピウス設計《バウハウス デッサウ校舎》1925年

校舎のバルコニー

機能美が追求され、均質化されたデザインです。
【フランク・ロイド・ライト】(1867~1969)
アメリカの建築家。住宅建築に数多くの傑作を残しました。
彼のコンセプトは一貫して「有機的建築」でした。
自然と共存する建築「プレイリースタイル(草原様式)」の代表作として「ロビー邸」があげられます(実際には街角に建っています)。水平線を強調しながら、いくつもの直方体を積層的に組み合わせて構成されています。光・風を自然のままに取り入れるための連窓や広く取られたバルコニーなどが、単調さをカバーする効果を出しています。
《ロビー邸》1906年

「有機的建築とは、その建築が必要とするすべての要素が調和し、内から外へと発展していく建築である。決して外から与えられた形態に合わせて造られるようなものではない。」 ライトの言葉
フランク・ロイド・ライト《カウフマン邸 落水荘》1937年

まさに自然と一体化しているライトの建築です。光・風・緑、そしてや自然の音までも取り込んだ有機的建築の代表的な作品です。
やはり水平線が強調され、直方体を積層的に積み上げたようなライト建築の特徴がよくでている建築です。

フランク・ロイド・ライト《ソロモン・R・グッゲンハイム美術館》1959年 マンハッタン


グッゲンハイム美術館は、ライトが92歳の没年に完成しました。1944年(77歳)に美術館の建築設計案が出され、その5年後にようやく建設に取り掛かりました。この個性的な設計案にグッゲンハイムが承認するまでに時間がかかったことや、ニューヨーク市の建築法に触れ、許可が下りるのに時間がかかったのが原因です。
美術館の最上階かららせん状に降りながら鑑賞するという、美術館の概念を打ち崩した美術館です。
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