ジャクソン・ポロック 《秋のリズム NO.30》 1950年 266.7×528.8㎝
今日から数回にわたって、抽象表現主義と、その代表する画家《ジャクソン・ポロック》(1912~1956)についてご紹介します。
第二次世界大戦後の美術動向 “ニューヨーク派の勝利” 戦争を境に「芸術の都」がパリからニューヨークに移り変わる 印象派、後期印象派、フォーヴィスム、キュビスムなど20世紀前半の重要な美術様式はすべてヨーロッパで生まれ、誰もが「芸術の都」と言えばフランスのパリを思い浮かべる程、ヨーロッパが舞台となって展開してきました。しかし、第二次世界大戦を境として美術の中心は、ヨーロッパからそれまで遅れていたアメリカに移り、戦後はアメリカで生まれた美術が「世界標準」となり、アメリカ美術が世界の美術界をリードしていくこととなりました。戦後の美術の最高傑作の多くはアメリカ美術が占めており、戦後いち早くニューヨークを拠点にして興った「抽象表現主義」の国際的な拡がりと影響力の大きさは、アメリカ(ニューヨーク)が世界の美術の中心になったことを象徴しています。
アメリカがなぜ世界の美術の中心になったのか 戦争を避けアメリカに亡命した、ヨーロッパの前衛を担っていた芸術家たち(抽象絵画・ダダ
・シュルレアリスム)がいた。彼らはアメリカの若い画家たちを教育し、大きな影響を与えた。
アメリカ本土が戦場にならなかったことによる余裕と、最富裕国としての経済的優位さがあった。
絵画を収集(投資)する富裕層の存在(画家たちの有力なパトロンになった)。
画家たちを支援する芸術家救済プロジェクト 「連邦美術計画 (FPA)」の実施。
巨大国に相応しい、自国生まれの美術を世界一にしようという気運が高まっていた。
アメリカ生まれの美術に最大評価を与え、画家達を指導し理論的に擁護した
美術評論家がいた。
抽象表現主義とは 戦後いち早く出現した、アメリカ独自の芸術表現 第二次大戦後の1940年代後半にアメリカ(ニューヨーク)で生まれた抽象絵画を総称して「抽象表現絵画」と言いました。抽象表現主義によってアメリカは戦後のアート・ワールドの「世界覇権」を手に入れました。ヨーロッパのモダンアートの様々な側面を受け継ぎ、それらを統合した美術。美術評論家のグリーンバーグは美術史上で最も進歩した絵画芸術と位置付けてます。
作品の特徴 巨大なキャンバスが使われている(メキシコの巨大壁画や公共事業の壁画制作の影響)
画面の中に中心がない多焦点の絵画
画面全体が均質な色彩や無数の線で一面に覆われている(オールオーヴァー)
前景と後景の区別がなく、図柄と地づらの関係が存在しない平面的な表現
次回は、アメリカを世界の美術の中心にした、20世紀最大の美術評論家《クレメント・グリーンバーグ》(1909~1994)をご紹介します。
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戦後、アメリカが世界の美術の中心になった要因の一つとして、
アメリカ生まれの美術に最大評価を与え、画家たちを指導し、理論的に擁護した美術評論家がいたということは
前回 ご紹介いたしました。
今回はその美術評論家
クレメント・グリーンバーグ をご紹介いたします。
クレメント・グリーンバーグ(1909~1994) アメリカを世界の中心にした、20世紀最大の美術評論家 アメリカ独自の美術「抽象表現主義」をヨーロッパの近代美術を受け継ぐ正当な美術と評価し、理論的に擁護すると共に、画家たちを指導し適切なアドバイスによって彼らを支えていました。抽象表現主義を「世界一」の座に押し上げ、アメリカを世界の美術の中心にした評論家です。「フォーマリズム」と呼ばれる批評法のあり方を完成させ、その後の美術批評に大きな影響を与ました。日本では美術評論家の藤枝晃雄がグリーンバーグ研究の第一人者です。
抽象表現主義はなぜ美術史上もっとも進歩した絵画芸術か ルネサンス以来絵画は、「色彩的な絵画」と「線的な絵画」が交互に現れながら進んできました。そして近代絵画に至ると、絵画の本来の要素である《平面性》の追求が、純粋な絵画のあるべき姿であるという方向性が示されました。つまり、遠近法・陰影法によって奥行きや量感を表現すること(イリュージョン)を排除することで平面的に、又物語性を排除することで抽象的なものになって行きました。
このように、平面的で抽象的な抽象表現主義は美術史上もっとも進歩した絵画芸術となりました。
色彩的な絵画‥色彩を抜いてしまうと絵画として成り立たなくなる。
モネ「睡蓮」1916~19年
線的な絵画‥色彩を抜いても、輪郭線をたどることができる絵画。
ラファエッロ「牧場の聖母」1506年
グリーンバーグの「フォーマリズム(形式主義)批評」とは? フォーマリズム批評は、何が描かれているか(内容・主題)に重きを置く印象批評とは異なり、如何に描かれているか、つまり構造・線・色彩・形のような、視覚的な美術の要素のみで作品の良し悪しを判断する美術批評なのです。印象批評は、描かれている人物や物語性、さらに描いた画家のバックグランドや精神状態までが批評の対象になるのに対し、フォーマリズム批評では、どんな画家がどんな精神状態で何を描いたかは、一切批評の対象にならないのです。
次回は、グリーンバーグによって称揚された画家
ジャクソン・ポロック とその作品をご紹介します。
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ジャクソン・ポロック (1912~1956年) アメリカ・ワイオミング州生まれ
抽象表現主義を代表する画家 1930年 ニューヨークの美術学校に入学する。
1935年 貧困な画家を救済するための「連邦美術計画」に参加する
1936年 メキシコの壁画作家シケイロスの工房に参加する。実験的技法
や新素材(エアーブラシ、合成塗料、ラッカー)の知識を得る。
1943年 大富豪ソロモン・グッケンハイムの姪で、美術画廊を経営する
ペギー・グッケンハイムに気に入られ契約する
1946~51年 キャンバスを床に置いて、絵の具を注いだり、滴らせたり
する独自の技法で制作する
1956年 アルコール依存症が悪化。飲酒運転で木に激突して即死。44歳
オールオーヴァーの絵画について 《壁画》 1943年 247×604.5㎝ ヒエラルキーが無い絵画
パトロンのペギー・グッケンハイムの居間を飾るために描いた作品。明確なイメージが失われ抽象的な表現になっています。黒い線が不規則に繰り返されることで
オールオーヴァー (全体を覆う)な画面が作り出されています。絵の中心や焦点が定かでない、瞬時には捉えられない作風に向かい始めた作品。
All Over「全面を覆う」という意味。オールオーヴァーの絵画とは、色彩や線で画面全体が覆われている絵画をいいます。画面の中に中心となるものが描かれていないので、鑑賞者は画面のどこにも焦点を合わせることができずに、視線は画面上をさまようことになります。オールオーヴァーの絵画は、部分と全体といった
ヒエラルキー (階層構造)がないのです。部分が即、全体となる構造です。つまりそれは、花瓶の花の絵であれば、まず最初に花に目がいき、次に花瓶、テーブル、背景といった順番がありますが、その順番といったものが存在しないということです。
ヒエラルキーがある絵画 ゴッホ《ひまわり》1888年
又オールオーヴァーな絵画は、前景と後景、地と図がらの関係、遠近法による奥行き感(イリュージョン)が無い平面的で等価的な絵画構造となっていて、モダンアートが追求してきた芸術表現としての平面性を具現化しています。
オールオーヴァーの絵画の先駆けとなる作品としては、印象派の画家モネの「睡蓮」があります。
モネ《睡蓮》1920~1926年
ジャクソン・ポロック《熱の中の眼》1946年
厚く盛り上がった線が幾重にも重なった重厚な画面は、物体としての絵画の存在を強く感じさせます。イメージを、交錯する線の下に閉じ込めたような表現です。
次回は、ポロックによる「ポード絵画」をご紹介します。
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