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ダダ「マルセル・デュシャン」

マルセル・デュシャン 1887~1968 

       20世紀美術は、デュシャンなしでは語れない

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従来の芸術の成り立ちや仕組みを変えた芸術家。20世紀美術に最も影響を与えた芸術家の一人。難解な表現が多い現代美術(コンテンポラリーアート)の先駆者。
1915年第一次世界大戦を避け、パリからニューヨークに移住。マン・レイ、ピカビアらとニューヨーク・ダダを展開する。

【初期の画家時代】1904~1914年

二人の兄から影響を受け、1904年、17歳でパリに出て美術学校に入学します。初めて油彩画に取り組んだ1902年から、印象派、セザンヌ、象徴主義、フォーヴィスム、キュビスムなど既に確立していた様々なスタイルを短期間で吸収して、多様な表現を試みました。

《画家の父親の肖像》1910年
画家の父親の肖像1910年_convert_20100520234551

セザンヌを思わせる画風で、セザンヌを研究していたことが推測される一枚です。

《階段を下りる裸体 №2》1912年
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階段を降りる裸婦が機械的に描かれています。人体の運動中の連続写真を参考にして、連続運動を分解して組み立て直した作品。キュビスムの対象を分解して再構成する描き方が窺われます。1912年のアンデパンダンテ展に出品すると、他の立体派の画家たちから、裸体は横たわるもので決して降りてくるものではないと題名の変更を要求されたり、「運動」を表現したことを批判された(キュビスムにおいて動くのは画家)。しかし翌年の1913年のアメリカの展覧会では大きな反響を呼び、アメリカではデュシャンの名前はよく知られるようになりました。

【「絵画」に見切りをつけ、絵画制作を放棄する】

デュシャンは1914年を最後に絵画制作を止めました。それに代わるものとして、眼と手に頼らず思考力によって生み出される知的な表現の探求を開始しました。

なぜ絵画を描くことをやめたのか

理由その1「それまでの絵画はあまりにも画家の眼(網膜)と何年も修練した手の技(腕)に頼り過ぎている」と
      絵画に批判的だった。

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モネ《右向きの日傘の女》1886年  

眼の快楽で描かれている」と批判


あまりにも感覚や技術に頼り過ぎている。網膜的な絵画を否定。


「美術を感覚や手わざに頼って描かれた絵画に限定する必要はない」


「芸術は思考を表現する手段。思考そのものが芸術に他ならない。眼の問題ではなく頭脳の問題である」

“思考力(観念・言葉)によって作品を創り出す”

理由その2 フランスでは、詩人や文学者は知性が高く、画家は「画家のように愚かなり」と愚か者のたとえに
      使われる程、知性が低いと思われていました。デュシャンはそうした風潮に反発し知的な人間に
      なりたかったのです。


【ニューヨーク時代の作品 1915年~  】

《彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも》1915~23年 277.5×175.9㎝

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第一次世界を避けて渡ってきたニューヨークで制作が開始されました。1915年以降8年にわたり、断続的に制作されたが、1923年にデュシャン自身の手により「未完成」として放棄されてしまいました。様々な解釈がなされる謎めいた作品です。《大ガラス》と呼ばれ、大きなガラス板に油彩で彩色されています。

欲望にかられた花嫁と独身者たちの物語。デュシャンにとって最も重要な作品の一つ

上半分は「花嫁の王国」下半分は「独身者の機械」に分けられます。「独身者」では、独身者たちの性の衝動や性エネルギー、満たされぬ欲望が表現されており、「花嫁」では、欲望にかられた花嫁が、独身者たちによって裸にされることを望んでいるが果たされないさまが描かれてます。独身者も花嫁も交わろうとしても永遠に出会うこともなく、欲望も遂げられない肉体的なエロスの不毛さが表現されています。

デュシャンによる “掟破りの美術「レディ・メイド」”

レディ・メイドとは
既製品を意味する言葉。当初の目的とは違った使われ方をされた既製品。デュシャンが発明した、大量生産の既製品を「芸術」として提示する表現形式。

《自転車の車輪》1913年
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「レディ・メイド」の最初の作品。デュシャンは、木製の台所用イスに自転車の車輪を逆さまに取り付けて、アトリエで車輪を回転させては、壁に映し出される影を眺め思索に耽りました。既製品がそのまま使われたのではなく、手が加えられたレディメイドです。

《瓶乾燥機》1914年
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店で買ってきた既製品の瓶乾燥器にサインと短い文を書き込んだだけの作品。手が加えられていないレディ・メイド。

美術史上最大のスキャンダルの一つを引き起こす

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《泉》1917年 世界一有名な便器

男子用小便器に署名をして題名を付けて展覧会に出品!

1917年デュシャンは、配管会社のショールームから工場で量産された男子用小便器一つを選び、アトリエに持ち帰りました。

便器にデュシャンではなく「R・Mutt(マット)1917」と架空の名前を署名(サイン)する。

「泉」と題名をつけ、誰でも出品できる無審査の展覧会に、リチャード・マットの名前で“作品”として出品した。

“便器”を出品したことがスキャンダルとなる。展覧会側は展示を拒否。展覧会の期間中は人目に触れないよう放置され展示されませんでした。その後、所在不明になってしまいます。

拒否された理由 1.便器を展覧会に出品することは道徳に反して下品である
           2.創造性がない。出品者本人が作った便器ではない。
           3.独創性がない。便器のデザインの剽窃(盗み取り)である。


展示を拒否されたデュシャンの反論

デュシャンは別の評論家を装って、自分が発行する雑誌にマット氏を擁護する反論文を掲載し、展覧会側の対応を非難しました。

「マット氏が自らの手で「泉」を作ったかどうかは重要ではない。彼がそれを選んだのだ。彼が日用品を取り上げて新しい題名を付け、見方を変え、その使用上の意味が失われてしまうようにそれを置いた。こうしてその物体に対する新しい考えを創造したのだ」              (雑誌「盲目の男」誌上の反論)

※ 物の使用目的や使用方法を変えると、同じ物にもかかわらず全く新しい物として存在し始めます。その物にまとわりついた意味が失われ、本来の物として「あらゆる意味から自由になった物」として存在するようになります。

日用品の便器を、日常の世界から芸術の世界に「ずらす」と、物としての新しい見方が生まれアートになるのです。

【既存のアートと、レディ・メイドとの違い】

デュシャンは、偏に画家の「眼」と「手」だけを頼りにして描かれ、眼による快楽と手仕事によってなされてきたこれまでの絵画を否定します。

既存のアート

 ・画家本人だけに備わった感覚と表現技術によって制作。
 ・一点かぎりの自作として、自分のサインを入れる。
 ・オリジナリティーに価値が置かれる。

レディ・メイド


 ・美的感覚によらずに既製品を選ぶ
 ・量産された工場製品にサインをして題名を付けて、美術作品と表明
 ・既製品なので同じ作品が幾つも作れる。傷ついたり古くなったら新しいものと取り変えてもよい。
  失われたら再制作もできる。
 ・複製品(レプリカ)であっても作品の意味は変わらない。

【レディ・メイドとアートについてのデュシャンの考え方】

[アートを感覚の領域による表現から思考の領域による表現に移す]

描くことや作ることだけがアートではない。アートを成り立たせるのは美術家の優れた腕(技量)ではなく、美術家が既製品の中から、「選ぶこと(選択行為)」と、それに署名をし題名を付けて美術品と「名づけること(命名行為)」だけでアートになるのではないか

※ 近代芸術の純粋な美を追求してきた画家の感覚や感性を捨て去る行為として、
  デュシャンは「選ぶ」という方法をとりました。

「芸術は思考を表現する手段。いやそれどころか思考そのものが、まさに芸術にほかならない。単なる眼の問題でなく、頭脳の問題なのだ」マルセル・デュシャン

デュシャ ンは、「作者が美術とは何であるかを問い、その答えを示したのが作品である」と考えました。



次回は、デュシャンが見抜いた美術の仕組みについてです。

テーマ:アート - ジャンル:学問・文化・芸術

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