■ 前景(図)と後景(地づら)によって作りだされる前後の空間
私達が何か物を見る時には、背景になるものがあって物の形を認識します。見える物の形を図といい、背景を地づらと言います。
《ルビンの壷》1921年

1921年にエドガー・ルビンが発表した「盃と顔図形」です。黒を背景とすると盃が、白を背景にすると向き合った女性の顔が認識されます。前景(図)と後景(地づら)が入れ替わります。
アンドリュー・ワイエス《ヘルガ 編んだ髪》1979年 板・テンペラ

ワイエスは、ロシア領生まれのドイツ人女性ヘルガ・テストーフと出会い、彼女をモデルに1970年から15年間、テンペラ、ドライブラッシュ、水彩、鉛筆画を含めて240点にのぼる作品を描きました。ワイエスは妻のベッツィに15年間これらの絵の存在を隠し続けましたが、1986年ついに打ち明けて一般にも公開しました。
《編んだ髪》はその中の一点です。織物を織るように絵の具を塗り重ねて描き出されたヘルガ。深みや厚み、静けさに溢れて存在しています。セーター・髪・肌の質感の再現には言葉が無く、肩から胸に流れる編んだ髪の影に、部屋に差し込む光の再現も感じることが出来ます。それらはすべて後景である黒によって強調されています。
■ 前景+中景+後景が作り出す奥行きのある絵画空間
フリードリヒ《霧の海を眺めるさすらい人》1818年

フリードリヒはドイツロマン主義の画家です。古典主義の理念や美学に縛られることなく、理性より個人の感情・空想・幻想に重きをおいて制作しました。
神秘的で幻想的な作品です。崖の上に佇む男(前景)の先には、精神性や象徴性を与えられた広大な自然が遥か彼方に続いています。孤独な男の後ろ姿を通して、崇高さや自然に対する畏怖の念、人間の非力さと存在の虚しさなど、様々な感情が湧きあがってくる絵画空間です。
アレッサ・モンクス《Chicago》 2009年 油絵

写真と見間違うほどのリアリスムです。フォト・リアリスム、ハイパー・リアリスムとも言います。1960年代後半、ポップアートが最盛期のアメリカで登場しました。現代生活の日常に溢れる風物を撮った写真を利用して、モティーフに対する感情や思い入れを一切排除して描写する。写真という新しい映像世界を、人間のテクニックによって絵画の世界に忠実に再現します。
アメリカの日常生活の一コマです。前景に配されたホースの何気ない形が、奥行きを強調しています。
■ 視界を積み重ねる遠近法
ドガ《オーケストラ奏者》1870年

中央のバスーン奏者はドガの友人です。その周りには音楽家でもない友人たちに楽器を持たせて遊び心を見せています。一見なんでもない作品のようですが、自分自身がこのオーケストラの前の手摺の内側にいるとして、手すりに視線を落とすと、ダンサーの脚を同時に見ることはできません。視線を上げて行くとやっと楽士達の顔が見えてきて、次にダンサーの脚と衣装を見たところで視線の移動がストップされます。ドガは従来の遠近法で描かず、それぞれの視点の瞬間を下から上へと順に積み重ねて画面を構成しました。現実には見ることが出来ない情景ですが、ドガの計算された空間構成なのです。楽士たちの黒服と舞台の照明の対比、ぐっと突き出たコントラバスの先短部分が、ちぐはぐな空間を自然に見せています。
下から上へと視界(前景・中景・後景)を積み重ねてゆく山水画と同じ空間表現です。

■大胆な構図による空間表現
ドガ《コンコルド広場》1875年

カメラで気軽に撮ったスナップ写真のような作品です。
前景と後景だけで構成されていて、中景は省かれています。中心がずれていて、左右非対称、大胆な遠近の対比構図で描かれています。デュランティ(ドガの友人で批評家)の言う「我々の視点は常に部屋の中心にあるとは限らない。人物は決して画面の中心にはない」という構図法、また人物や馬などを大胆なトリミングカットする画面構成を、浮世絵の中に見出だしました。
ドガ《田舎の競馬場で》1869年

ドガは、広重の版画のように中景を省いて近景と遠景をいきなり対比させたり、画面の端で断ち切ったりしてその瞬間や広い空間を表現しました。
広重《名所江戸百景 五百羅漢さゞゐ堂》

スポンサーサイト