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建築Ⅱ「ポストモダン」

ポスト・モダン建築

「Less is bore (より少ないことは退屈だ)」1966年 著書「建築の多様性と対立性」より

ポストモダン建築は、ロバート・ヴェンチューリのこの言葉から始まりました。モダニズムの建築家ミース・ファン・デル・ローエの「Less is More(より少ないほど豊かである)」を皮肉った言葉です。

20世紀中頃から、機能性や効率性を重視した均質的なデザインの白い箱が次々と建設されるようになり、インターナショナル様式で建てられた高層ビルが並ぶ脱個性の街並みが世界各地に出現すると、それに対抗して、味気ない建築物をこれ以上増やしてはならないという批判が起きてきます。
1960年代になると、「モダニズム建築が排除したもの‥古典的装飾・民族性・地域性・曲線・象徴性‥等をもう一度拾い集めた建築を目指そう」という理念が提唱され、ポスト・モダン建築の建物が建ち始めます。
ポスト・モダン建築は1980年代にもっとも流行しますが、1989年にドミニク・ぺローのミニマルな設計案がが国際設計コンペで優勝するなど、1990年以降には、再びモダニズム建築の見直しが始まり、ポスト・モダン建築の潮流は影を潜めて行きます。


ポスト・モダン建築の手法は、【アプロプリエーション(流用・引用)】です。
過去の建築様式(神殿・ゴシック建築・教会の尖塔)や装飾を引用・流用し、新しいイメージを生み出しました。一つの作品の中に複数の要素を流用し、折衷させて異なるイメージを再構築させました。


隈 研吾《M2ビル(現東京メモリードホール)》1991年
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まさに、古典的装飾の引用と折衷の作品です。当時彼は「ポスモダニズムの旗手」として華々しく登場しましたが、バブル崩壊後は、本人曰く「失われた10年」を地方で過ごし(その間にも数々の賞を受賞しています)、「負ける建築(環境に調和する)」をコンセプトに東京に復帰します。サントリー美術館・根津美術館など数多くの建築を果たし、現在も歌舞伎座を始め、世界各国で大きなプロジェクトを抱える超多忙な建築家です。


隈 研吾の最近の作品

《サントリー美術館》2009年
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隈 研吾《《那珂川町馬頭広重美術館》2000年
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磯崎 新《つくばセンタービル》1983年
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1983年竣工の「つくばセンタービル」により、ポストモダン建築の旗手と目されるようになりました。西洋的、ギリシャ的、東洋的、未来的な流用が折衷された、日本のポスト・モダンの代表的な建築です。
磯崎新は、設計すると同時にその廃墟の模型も制作するという異色の建築家です。彼の作品のスタイルには統一感がありませんが、あえて言うならキューブを多用する点があげられます。

磯崎新《つくばセンタービル 広場》
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ミケランジェロの「ローマ カンピドリオ広場16世紀中頃」を流用しています。

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丹下健三《東京都庁舎》1990年
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ゴシック建築のノートルダム大聖堂を流用しています。

《ノートルダム大聖堂》1225年
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フィリップ・ジョンソン《AT&Tビル (現ソニービル)》1984年
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フィリップ・ジョンソン(1906~2005)はMOMAのキュレーターを2度経験するアメリカの建築家です。前回ご紹介したマンハッタンの《シーグラムビル》を、ミース・ファン・デル・ロ―エと共同設計しています。ヨーロッパのモダニズム建築をアメリカに紹介した建築家です。
《AT&Tビル》は、ポスト・モダン建築に展開した作品です。ビルのトップに、古代神殿建築のぺディメント(三角破風)を流用しています。

《コンコルディア神殿》紀元前4世紀 シチリア島
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脱構築主義建築

ポストモダン建築が衰退し、モダン建築の見直しがされるようになる1980年代後半から2000年代の現在に至るまで、世界を席巻しています。大梁や柱を無くした非構造主義建築です。脱構築とは哲学用語で、「ある対象を解体し、それらのうち有用な要素を用いて、新たな、別の何かを建設的に再構築すること。」という定義です。
モダニズム建築の「形態は機能に従う」という理念を否定し、ポスト・モダン建築の「流用」を退けて、まったく新しい建築を目指しています。


ザハ・ハディッド(1950~ イラク出身イギリス在住)
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現在最も注目されている脱構築主義の建築家です。
レム・コールハ―スを師として、1979年に独立するまで彼のもとで働きます。彼女を見出したのは、彼女が1983年に優勝したコンペティションの審査員をしていた磯崎新でした。1990年までは彼女の建築は設計段階で終わっていることが多く、「アンビルトの女王」という異名を持っていましたが、それ以降は世界でプロジェクトが実現し進行しています。
彼女のデザインには大きな驚きが湧きおこります。どうして、どこから、どのようにデザインが創出されるのか。またそれが仮想空間で終わらず、現実の建物としてその存在を可能にした材質やテクノロジーの進化にも驚きを感じます。水平・垂直が無い建築、曲面や歪んだ空間の図形を探求する非ユークリッド幾何学が応用された建築です。


ザハ・ハディッド(イラク)《韓国東大門デザインプラザ》CG 2011年完成予定

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ザハ・ハディッド《広州オペラハウス》2010年
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《広州オペラハウス》
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レッジョ・ディ・カラブリアのレギウム・ウォーターフロント再開発計画(地中海博物館)計画は中止
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「韓国東大門デザインプラザ」と同じように、何かアメーバのような増殖するイメージがあります。
彼女の建築は、曲線が強調されて特異な建築であるとの批評がありますが、むしろ自然界に存在する物は曲線がほとんどで、むしろ直線の方が特殊な線と言えるのではないでしょうか。


レム・コールハース(オランダ)《中国中央電視台本部ビル》2009年
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ヘルツォーク&ド・ムローン(スイス《北京国家体育場》 2008年
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コープ・ヒンメルブラウ(オーストリア)《BMW自動車博物館》2006年
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コープ・ヒンメルブラウ《ドレスデンのシネマコンプレックス》
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フランク・ゲーリー《MITステイタ・センター》
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脱構築主義建築の外観は、歪み・傾斜・ひねりなど刺激的な表現で、今までの建物の概念を越えてしまった形態に大きなインパクトを感じます。しかし一方で、内部の機能的な面を想像した時に、「外観の面白さを競い合っているだけ」という批判があるのも認めざるを得ないところです。又個人的には、15年前に目にした大震災の傾き崩れた建物の記憶が蘇ることもあって、違和感を感じてしまうのも正直なところです。
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テーマ:アート - ジャンル:学問・文化・芸術

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