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井上有一井上有一《貧》

井上有一(1916~1985)現代の書家
東京生まれ。小学校・中学校の教師(1935~1976)をしながら、ひたむきに書に向かう人生を送りました。
10代の頃は画家を目指していました。(この時学んだ絵画空間が、書の作品に融合されていきます。)
25才の頃から上田桑鳩に師事し、習書を始めました。34歳の時、亡き父のために書いた自我偈(法華経の如来寿量品第十六)が桑鳩に認められ、書家としての一歩を踏み出します。
美術の抽象表現主義に呼応した実験的な一字書の大作を次々と発表し、文字が記号として存在するだけのものでは無いこと、また、書が何物にもとらわれない自由な動きによって紙の上に定着させる芸術であることを示しました。
「日展」「前衛書道」「墨象」というものは、本人曰く「フットバシテやりたい」存在で、一匹狼のスタンスを保ちながら表現者として唯一無二の存在であり続けました。
「貧」は、人がトコトコと歩んでいるようなユーモラスな印象を感じます。なぜ人に見えてしまうのでしょう。私は子供の頃書道教室に通っていたせいか、書展などで書を鑑賞する時には無意識のうちに頭の中で文字を指でなぞっているのですが、有一の書はそんな悠長な時間など与えてくれず、形として一気に入り込んできてしまうのです。
かすれた線が陰線(白い線)と陽線(黒い線)を作り出し、字形に変化をつけながら背景の白い空間と融合しています。又大胆なトリミングがなされています。井上有一は、筆跡の造形性と文字に備わった造形性で、「アートとしての書」の確立を目指しました。
有一は、生涯に64枚の「貧」を書いています。
ウナックサロンHPより井上有一《骨》1959年 129×134cm 東京国立近代美術館蔵
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有一が所属していた「墨人会」が合宿中に訪れた旭川高校のグランドで書いた作品です。翌年東京国立近代美術館収蔵となりました。
まるで彫刻のような重量感のある「骨」です。この筆力は何を持ってして生まれるのでしょう。体の芯から腕に一気に流れ込む気(エネルギー)、しかも尋常ではない熱を帯びた気で書かれているに違いありません。
井上有一《作品A》1955年 87.6×115.2cm ケント紙 エナメル クリスタル・メディウム仕上げ 京都国立美術館蔵

この頃の有一は、非文字を書いていました。筆は箒に、墨はアクリル変わり、ケント紙に無我夢中で書いていました。当時の日記に、
「昭和三十年四月六日 いよいよ明日エナメル制作。アバレルダケアバレロ、スベテヲ否定セヨ、メチャクチャデタラメニ書け、何モカモクソクラエ、文字モクソモアルモノカ、線一本紙ヲ截レ、破レ。」(日々の絶筆より)とあります。
「作品A」はそんな有一の、ほとばしる熱情を爆発させていた様子が伝わる一枚です。エナメルの滴りが、今まさにポタポタッと落ちている瞬間を目撃しているような、そんな錯覚を感じるほどの迫力があります。
重奏低音のような、白と黒のせめぎ合いの美しさを追い求めた有一の作品だと思います。
フランツ・クライン《マース》1961年

フランツ・クライン(1910~1962)は抽象表現主義の画家で、その作品はジャクソンポロックと同じように、大きな身振り(アクション)や荒々しいタッチによって描きだされるアクションペインティングです。しかし同じアクション・ペインティングとして括られているものの、クラインの作品には前景と後景があって従来通りの空間ですが、ポロックの作品は、わずかな遠近感を感じるものの、前景も後景も無い全く新しい空間といえます。
フランツ・クラインは、有一が属していた「墨人会」と交流があり、その発行誌【墨美】の創刊号の表紙をクラインが飾り、5月号では彼の作品が数点紹介されています。またニューヨークのアーティスト達が【墨美】の発行を楽しみに待っている程、書に魅了されていた事が分かります。
クラインの白と黒の作品は、結果において「書」の表現に似ています。しかし、文字から離れることなく
書くことを前提とし、文字を
書くことによって表出する「書」の線に対して、クラインは線を
引く、
描くことによって、抽象的絵画空間を表現しています。背景の地は白い絵の具が塗られ、前景の黒い部分と同等の意味を持って緊張した空間が作り出されています。
書はあくまでも「文字」を書いているのであって、線を書いているのではないのです。西欧人にとって、「漢字」という概念は無いわけですから当たり前といえば当たり前のことです。
アントニ・タピエス(1923~ )スペインの画家

再現性のない一回性の緊張感にあふれたタピエスの作品です。私達が書を鑑賞する時に感応する点でもある「墨の濃淡」「かすれ」「にじみ」に近しい表現を具現化しています。実際タピエスは日本の書を研究していました。
井上有一《愚徹C》1956年 紙墨 国立国際美術館蔵 「第4回サンパウロ・ビエンナーレ展」

「第4回サンパウロ・ビエンナーレ展」に、日本代表として出品した作品。
この頃、有一はエナメルの仕事に行き詰り、紙墨に立ち帰った時でもありました。同展には、「愚徹C」の他に「不思議B」「無我A」が出品されました。この「愚徹C」は、最後の一枚の紙にがむしゃらに書かれたもので、有一自身喜びを感じた一枚だったようです。
井上有一《鳥》1978年

井上有一《遺偈(ゆいげ)》1982年10月 秘かに揮毫 京都国立美術館蔵
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守貧揮毫 貧(ひん)を守り、毫(ごう)を揮(ふる)う
六十七霜
知欲端的 端的を知らんと欲す、
本来無法
(貧を守って書にだけ徹してきた六十七年。本当のことを知りたいか。文字を書くのに法などあるものか)
井上有一《上》1985年 絶筆
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テーマ:アート - ジャンル:学問・文化・芸術