新しい具象(ニュー・フィギュラティブ・ペインティング)の画家
《Canoe‐Lake》1997~1998年

1958年にエジンバラに生まれる。幼少の頃にトリニダード・トバゴ共和国、カナダに移り住んだ後、1979年から90年までにロンドンの数校の美術学校でアートを学ぶ。1994年にターナー賞にノミネートされるなど、イギリスのアートシーンを担っています。
ピーター・ドイグがロンドンに戻る以前の1960年代から1970年代にかけては、世界的に展開された【コンセプチャル・アート(観念芸術)】によって、アートは難解なものになり停滞の時期を迎えていました。
そして1980年代になると、このモダニズムの閉塞的状況を打開しようとするムーブメントが世界的規模で起こります。「絵画らしい絵画」を表現したい画家たちとそれを観たい大衆との欲求が一つとなっていったのです。絵画に再び「内容」や「意味」が復活し、何を描くかということに活路を見出していきました。ドイツでは「新表現主義」 アメリカではニュー・ペインティング(バッド・ペインティング) イタリアでは「トランス・アヴァンギャルド」と呼ばれました。
1990年代になると、「新しい具象(ニュー・フィギュラティブ・ペインティング)」のアーティストたちが登場してきます。80年代のニュー・ペインティングは、巨大なキャンヴァスに、奔放で激しく力強い筆触・自由で大胆な色遣いで描かれています。以前紹介しましたアンセルム・キーファーやジュリアン・シュナーベルの作品を見て分かるように、マティエール(画肌)やテクスチャ(質感)に大きな特徴があり、それがまた鑑賞者に対する訴求力を高めています。
「新しい具象」のモティーフは、実際に起こりうる(経験・体験)ことや、すでに経験したことです。身の回りの日常を描いています。しかし日常を日常のまま描くのではなく、メディアの写真・広告写真・映画のワンシーン・絵葉書・ポスター・他の美術品などを利用して、具象でもあり抽象でもあるようなあいまいな世界を描いています。
「新しい具象」は私たち鑑賞者にとっても、『何処かで見たことがある』『行ったことがある』という思いが湧いて作品に入り込んでいくことができるのです。
ピーター・ドイグは言います。
「僕は自分の絵をリアリスティックなものなどとは全然思っていない。僕の絵は、目の前にあるものからというより、むしろ自分の頭の中から生まれたものだと思っている。」 *「ART NOW」(タッセン社)より
彼は、自分の経験や記憶から得たインスピレーションに誘発され、自身が撮り溜めた写真や広告写真や絵葉書などを利用して心象風景を描いています。幼い頃に暮らしたトリニダード(現在彼のアトリエがあります。)やカナダの美しい風景が織り込まれています。
写真(映像)には、瞬間的に現実を捉え固定(記録)する面白さがあります。普通の時間の流れでは見ることができないい現実を、一瞬の間に切り取り、改めて見るとその情報量の多さに驚きを感じる面白さもあります。さらにトリミング・加工することによってまた違った現実を見せてくれます。19世紀に発明され、再現性という側面で絵画より一歩先に出た写真は発展を遂げ、1990年代には映像や写真がアートとして認知されます。「新しい具象」の画家たちは、写真の視覚的な面白さを利用し、それを再び手わざで再現しました。さらに物質的な(絵具)面白さも加えて、写真のような絵画、現実のようで現実ではない「物語空間」、具象の中に抽象的な要素を取り入れた新しい絵画にアプローチし、表現手段としての絵画のヴァリエーションを広げていきました。つまり、映像そのものを絵画の対象に加えていったのです。
以前紹介しましたリュック・タイマンス、エリザベス・ペイトンも同時代のアーティスト達です。
《Night Fishing》1993年

この作品は、「カナダでフィッシングをしよう」という広告写真を利用しています。
《Reflection(What does your soul look like?)》1996年 キャンヴァスに油彩 295×200cm

ピーター・ドイグは抽象表現主義のアーティストとしてスタートしていますので、1990年代はその手法で描いた作品が多く見られます。
「夜釣り」はしばらく観ていると、夕暮れの美しい空の色彩が映りこんだ湖が浮かび出し、次に人影のあるボート、そして湖を囲む山と次々とディテールが浮かび上がってきます。
「Reflection(反映・沈思)」は、川か湖でしょうか、私たち自身の心のなかでしょうか。木立にたたずむ人が水面に反映しています。静寂の中、What does your soul look like?と自分自身に問いかけています。
《Lapeyrouse wall》2004年 キャンヴァスに油彩 200×250.5cm

画面の半分以上を占める空。塀の上に描かれた男性の頭部と傘は、その空の広がりを強調しています。そして男性が向かう方向に続く塀と歩道のパースペクティブに引き込まれるように、ストーリーの想像力を掻き立てられる、そんな作品です。
これは、小津安二郎監督の「東京物語」に感銘を受けインスピレーションを得て描いた作品です。元になった写真を見ると、実際にはトリニダードの風景のようですが、映画の主人公の老夫婦が暮らす尾道の海岸線や、彼らが歩く東京湾の防波堤脇、東京に住む子ど達に冷たくあしらわれて追いやられた熱海の海岸線が浮かんできます。小津と、小津を尊敬してやまないヴィム・ベンダースの二人に対するオマージュとしてとらえてもよい作品だと思います。
《Lapeyrouse P.O.S Pink Umbrella》2004年

《Savannah》2004年

ピーター・ドイグは一つのモティーフで数点の作品を描きます。それぞれ微妙に違う印象を受けます。
《Paragon》2004年 275×200cm

《Paragon》

ピーター・ドイグは、写真や絵葉書や映画などの画像だけではなく、印象派や後期印象派などの画家が描いた鮮やかな色彩やモティーフにも影響を受けています。
「Paragon」の朱色は、まさにゴーギャンのそれで、またモティーフの植物は装飾的です。表現主義の先駆けとなったゴーギャンは、目の前にある物や自然を忠実に再現することなく、自由で大胆な色遣いをして感情を表現しました。ピーター・ドイグの作品は、そういった影響を受けていると思います。
ポール・ゴーギャン【ノアノア】1894年

《100 Years Ago》2001年 240×360cm

ページトップの「Canoe‐Lake」と同じモティーフで描かれています。
自宅のTVで見ていた「13日の金曜日」のラストのシーンからインスピレーションを得て描きました。
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