美術評論家のハロルド・ローゼンバーグは、抽象表現主義を、「描く内容」よりも描く行為を重視した「行為としての芸術」と定義づけ、「キャンバスが、闘技場になった」という有名な言葉と共にアクション・ペインティングを世界に広めました。

オランダのロッテルダムに生まれ。オランダやベルギーの美術学校で学ぶ。22歳の時に密航者としてアメリカに渡る。以後ニューヨークを拠点として活動し、抽象表現主義を代表する作家となる。

ウィレム・デ・クーニング《発掘》1950年
対象を細かな面に分解し再構成するピカソのキュビスムの手法を用いたオールオーヴァーな画面の作品です。スピード感のある切り立った線によって生み出され、人体を連想させる抽象的な形がざわめき合い、画面全体を覆うように埋め尽くしています。形の重なりが浅い奥行き感を生み出し、構築性を強めて画面に活力を与えています。隙間から覗くような赤色が効果的に配され表現に変化を付けています。クーニングの1950年代を代表する傑作です。

ウィレム・デ・クーニング《女1》1950~52年
デ・クーニングという名前を聞けば、まず女性のイメージを荒々しい筆遣いで暴力的までに歪めて描いた「女」シリーズの作品が思い浮かばれます。それまで美しく上品に描かれるのが当然であった女性の姿を、ある種醜いほどに猥雑な姿で描いた作品は、激しい動きと大きな筆の動きによって描き出されることから、抽象表現主義の作品として注目を集め、クーニングの名前を一躍有名にしました。

1931年ボストン大学で美術を学ぶ。1943年デ・クーニングと出会う。ポロックらとの交流から抽象表現に向かい、1950年白と黒による抽象画で初の個展を開く。1951年の二回目の個展で、激しい身振りと大きな画面の作品を発表したことで抽象表現主義の作家と見なされるようになった。

クライン《チーフ》1950年

クライン《無題》1957年
クラインの白と黒の作品は「書」の表現に似ているが、クラインの作品は書とは異なる発想によって生み出されたものである。文字から離れることなく“書く”ことを前提とする書に対して、クラインは線を“引く”“描く“ことで非再現的な抽象的絵画空間を表現している。背景の地は白い絵の具が塗られ、前景の黒い部分と同等の意味を持って緊張した空間が作り出されている。
スポンサーサイト