ピカソ達が始めた新しい美術様式(立体派)の影響もあって、1910年代は表現が抽象化していきます。
《コリウールのフランス窓》1914年

全てが切り詰められ、垂直な色面のみで構成された抽象的な作品。1970年代のアメリカ現代美術、「表現の極北」と評されたミニマルアートを予告しているかのようです。第一次世界大戦の勃発直後に描かれました。様々な不安の表れなのか、窓の外の風景が最終段階になって、黒い絵の具で塗り潰されました。室内が明るく室外が暗く表現されています。マティスは絵画の平面性を追求しつつも、画面全体が平面的になり過ぎることを避けました。右下の斜線が奥行き感を作りだし、中央の黒い色面に空間的な深みを感じさせています。次の、マティスがフォービスムの時代に描いた《開かれた窓・コリウール》1905年と比べてみて頂くと、同じモティーフでありながら、いかに抽象化が推し進められているかがよくわかると思います。

《開かれた窓・コリウール》1905年
《コンポジション、黄色いカーテン》1914~15年

左側のカーテン、窓枠、風景が大胆に抽象化されています。現実が持つ色彩や形態を、ムダな要素を取り除いた色や形に単純化(抽象化)しています。効果的に配した幾何学的な画面構成で、豊かな絵画空間を創り出した作品です。物質感を感じさせない絵の具の“薄塗り”により抽象性が高まっています。窓枠を示す線(分割線)が、画面上に幾つもの空間を生じさせる役目を果たしています。
《ノートルダムの眺め》1914年

かろうじて教会の尖塔らしきものが判別されるだけで、その他は具体的に特定するのが困難な程、抽象化が進んだ
作品です。後年「半具象」と呼ばれ、具象でありながら抽象化傾向の高い作品の描き方を先取りしています。絵画の新しい描き方の先駆けと言える作品です。
三次元の立体物と二次元の平面をどのように結び付けるのか。絵画の平面性を保ちながら、モノや空間をどう表現していくのかがマティスの大きな課題でした。
空間を色彩で表現しようとするマティスの通年のテーマは、この作品においてもいかんなく発揮され、画面全体に下地が見える程薄く塗られた青色が、空間の拡がりを感じさせています。
《ピアノのレッスン》1916年

《白と薔薇色の顔》1914年

これらのニ作品は、垂直、水平、斜めの分割線や色面によって、空間が複雑に組み立てられています。
色面や線による「画面分割」は、遠近法(奥行きを表現)から離れた、平面的な絵画空間を構成することが出来ます。平面的な新しい絵画表現が出来るのです。
このように1910年代のマティスは、抽象化を推し進めました。
次回は、抽象的な表現から、量感のある写実的な表現に戻った【第一次ニース時代(1919~1929)】の作品をご紹介します。
スポンサーサイト