今年も気ままな更新ですが、よろしくお願いします。
~浮世絵はどのようにヨーロッパへ伝わったのでしょう~
江戸時代から庶民に人気があった浮世絵。庶民の日常生活はもちろんのこと、人気歌舞伎役者・力士、美人画、各地の伝説などを題材に描かれた版画は、庶民が一枚一枚を気軽に手に取って鑑賞・収集した娯楽の一つであり、また情報交換の手段でもありました。しかし明治の初期になると、新聞や写真などが新しいメディアとして登場し、浮世絵は徐々に衰退して行きました。
浮世絵は、海外に輸出される陶磁器の包装や割れを防ぐ緩衝剤としてヨーロッパにもにどんどん流れて行きました。
ところが、日本から価値のないものとしての扱いで出された浮世絵が、ヨーロッパで影響を与え、芸術的な価値が見出されることになるのです。
その頃ヨーロッパでは若い画家たちが新しい表現を求めて模索を続けていました。
それまでの西洋絵画は、歴史画・宗教画が中心でした。
次の2枚の絵画は、同じ年にサロン(官展)で審査を受けた絵画です。
マネ《草上の昼餐》1863年

カヴァネル《ヴィーナス誕生》1863年

同じ女性のヌードが描かれていますが、マネの作品は落選、カバネルは入選をしました。落選の理由は「女性が女神ではなく、生身のパリの女性であること。現実の森の中で女性が裸になっているのは不道徳である。さらに描き方が平面的で、理想的な女性像ではない」ということでした。
カバネルの作品には天使が描かれているからヴィーナス、またふっくらとした肉付きの描き方が、理想的だったと言うことなのでしょう。
今現在マネのこの作品はオルセー美術館の至宝ですが、当時は大スキャンダルとして非難を浴びたのでした。
マネは、写実主義のクールベ(「天使は見たことが無いから描かない」クールベの言葉)の影響を受けていましたので、見たままの現実を、裸婦は裸婦として描きたかったのです。しかもその描き方は、鏡のようにツルツルしたものではなく、どちらかと言うと筆跡を残すような描き方でした。古典描法を打ち破るため、平面性が新しい表現であることを打ち出したのです。
新しい絵画表現をめざそうというマネの芸術態度(前衛・アヴァンギャルド)にあこがれ、またアカデミックな絵画表現に飽き足らない若い画家達が、彼を慕って集まるようになりました(後の印象派の画家たち)
そんな中、1865年に画家ブラックモンが、陶器の包み紙となっていた「北斎漫画」を印象派の若い画家たちに見せたのです。
浮世絵には、見たままの庶民の日常生活が描かれ、陰影をつけない平面的な描き方がなされていて、しかも鮮やかな色彩が施されています。マネや若い画家たちにとって強いインパクトがあったことは言うまでもありません。
浮世絵の影響がよく現れているマネの作品
マネ《笛を吹く少年》1866年

写楽の浮世絵

マネが実際にこの浮世絵を見たかどうかは分かりませんが、少年をを正面から捉え平面的に描き、背景を描かず、ズボンの太いライン(輪郭線)や、強烈な色の対比により対象を浮かび上がらせ、平面性を強調した点など、影響が見られます。また実際マネは浮世絵を研究しました。
マネ《ボート遊び》1874年

マネは印象派の若い画家たちに強い影響を与えましたが、マネ自身も彼らから影響を受けています。それは輝く外光の中で描くことでした。女性の服の荒いタッチにより、光の表現がされています。
水平線を描かず、ボートを大胆に切り取った構図は浮世絵の影響であると考えられます。
次回は、ドガと浮世絵についてご紹介します。
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