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アート/ART 

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浮世絵の影響をうけた画家たちⅢ ロートレック

ロートレック(1864~1901)はどんな画家だったのでしょう。

小さき男、偉大なる芸術家/ポスターの先駆者

名門伯爵家に生まれる。美しき時代(ベル・エポック)と呼ばれた1880~90年代のパリで活躍

【母の愛】

ロートレックは15歳頃の2度にわたる骨折事故により、下半身の発達が止まりました。不幸な結婚をした母。父との関係がうまくいかなかった息子。息子は母に優しい愛情を持ち続け、母は息子を温かく見守り芸術的才能を信じていました。母は周りの人々に「私たちの未来のミケランジェロよ」と語っています。

ロートレック《朝食をとるロートレック夫人》
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絵画を勉強中の19才の時の作品です。一人で朝食をとる母の姿を明るい色調で、柔らかい光の戯れを印象派の影響を受けた描き方で表現しています。

【ゴッホとの出会いと友情】

1886年 パリに来たゴッホと画塾で知り合います。最後の印象派展が開かれた年ゴッホと共に日本美術(浮世絵版画)に魅せられ、数多く収集しました。
精神的に不安定な生活を送っていたゴッホに南仏(アルル)行きを助言したのもロートレックでした。ゴッホは1888年春にアルルに到着しています。

ロートレック《ゴッホの肖像》1887年
1887年_convert_20100112230725

このロートレックが描いた肖像は珍しい横顔で、アプサンらしき飲み物を前に静かに過ごすゴッホの日常の一瞬を描いています。、ゴッホの技法を借用した交差するパステルの素早いタッチで 描かれています。
牧師の家に生まれたゴッホと、貴族出身のロートレックは、年の差が11歳ありながらも1年半ほどの短い期間を親しく付き合いました。

【作品の特徴】

モチーフ

ダンスホール・カフェ・キャバレー・サーカス・娼館などパリの歓楽街(モンマルトル)で働くダンサー・歌手・娼婦・俳優・芸人たちや、そこに集う紳士淑女の姿

横顔を好んで描く

バルドヴィネッティ《若い婦人の肖像》1510年  ロートレックが気に入っていたルネサンス期の絵画です。
バルドヴィネッティ「若い婦人の肖像」1510年_convert_20100113162217

《エレーヌ・ヴァリーの肖像》1888年
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モンマルトルの隣人ヴァリーがモデル。女性の美しさをその横顔に感じました。色調は中間色でまとめられていて、色彩はあくまでも素描を引き立たせるためだけに使われています。

《宿酔》1888年 ユトリロの母、シュザンヌ・ヴァラドンの横顔です。
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正確で鋭いデッサン力によって描かれる明確な輪郭線

 輪郭線が強く引かれてかれていますが、顔が丹念に描かれているので、平面的な感じがしません。
 線を重視した日本画的な描き方です。

《ジュスティーヌ・デュール嬢》1891年
ジュスチーヌ・デュール1891年_convert_20100113003517


厚紙(ボール紙)に揮発油で薄く溶いた油絵の具で描く
《コルセットの女、束の間の征服》1896年
コルセットをはく女1896年_convert_20100113185657


《孤独》1896年
孤独1896年_convert_20100113185248
厚紙に数色だけで、ベッドに横たわる女の孤独感を表現している作品です。平坦な体から魂が抜けたような深い悲哀が
伝わってきます。

人物の顔がしっかり描かれているので、描かれている人物(固有名詞)が特定することが出来ます。またその人物の性格までも表現できる描写力がありました。

《黒い羽根のボアの女》1892年
黒い羽根のボアの女1892年_convert_20100113161622

初のパブリックコレクションとなった作品。恐ろしげな表情を、荒く強いタッチが強調しています。目・鼻・口が特徴をとらえてしっかり描き込んであるので、ドレスや手が簡略化されていても彼女の存在感は存分に表現されています。



描線、筆使い(筆勢)に日本の墨絵の影響が見られる 
《ジャンヌ・アヴリル》1893年  
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ドガの影響

 印象派の画家の中で、何よりも形態を重視したドガを尊敬し影響を受けました。風景画よりも人物画、しかも
 生活感のある人間像を描いた点に共感しました。
 人間の瞬間的な動作や表情をとらえて描く点、また視点にも影響を受けました。
 30歳も年下のロートレックは、ドガを精神的な師として一方的に仰いでいました。
 ドガが描いた同じモデルを使ったり、同じテーマ(サーカス・働く女性・オーケストラ・歌手など)
 を描きました。   

 ロートレック《身づくろい》1896年
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 ドガ
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 ロートレック《フェルナンド・サーカスにて》
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ドガ《フェルナンド・サーカスのララ嬢》1879年
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ロートレック《君がために!》1893年
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ドガ《オペラ座のオーケストラ奏者》1870年
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日本美術(浮世絵)の影響

19世紀末に日本芸術がフランスに紹介されると、ゴッホと共に浮世絵に巡り会ったロートレックは、特に北斎・歌麿・清長・春信に精通することを目指し、その研究に徹夜もいとわなかったのです。筆や墨汁を取り寄せたり、侍姿で何度も写真を撮ってもらったり、日本への旅行も夢見たほど傾倒していました。その浮世絵の影響が出てくるのは「フェルナンド・サーカスにて」(油彩)、しかし版画から学んだ感性や技術は版画で生かすべきと考えたロートレックは、石版画を手掛けるようになります。そしてそれは後に西洋美術としてのポスターとして結実しました。

ロートレック
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ディヴァン・ジャポネ1893年_convert_20100106180108

日本様式の人気のキャバレー「ディヴァン・ジャポネ」の為のポスター。
中央にジャヌ・アヴリルを鮮やかで平坦な色使いで描き、オーケストラ席を画面の中央に斜めに配置、歌手のギルベールの顔がカット(彼女のトレードマークの黒の手袋が効果的)、強調された形、どれもまさに浮世絵の影響です。

《彦根屏風》より
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鈴木春信
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《ムーラン・ルージュ、ラ・グーリュ》
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ロートレックの名を一夜にして世に知らしめた有名なポスター作品。
当時モンマルトルで大人気だったキャバレー「ムーラン・リュージュ」の宣伝用に制作されました。
踊り子のラ・グーリュ以外の人物はすべてシルエットで描かれています。床板の斜めのラインがホールの奥行きを表していて、その先の観衆の黒いシルエットがさらに奥行を強調しています。レタリングも自筆で、全体の鮮やかな色彩が見る者の視覚に強烈に訴えるポスターです。発想は、浮世絵木版画です。前景に大きなモチーフを配している(対比遠近法)のも、浮世絵の影響です。

歌麿《酒席》
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文字よりも絵が主役となった【芸術的なポスターの誕生】
浮世絵の、前景に大きなモチーフを配し大胆にトリミングする構図、柔らかい描線は影響を受けています。

歌川広重「はねたの渡し弁天の社」
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ロートレックは画家としての生涯を通して人物を描き続けました。その人物は、彼が愛したモンマルトルの夜に生活する人々でした。彼らに優しいまなざしを向けて、生々しい瞬間の表情を描きました。
またポスターというジャンルを芸術としての領域まで押し上げました。
しかし、アルコール依存症でボロボロになったロートレックは、1901年マルロメの母の城に戻り、母に看取られながら「お母さん、あなただけでした」と言う言葉を残して37歳で亡くなりました。


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テーマ:アート - ジャンル:学問・文化・芸術

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