ナビ派の中でも特に日本絵画の影響を強く受けた画家です。ナビ派を離れてからは、室内情景などの身近な題材を好んで描き、ヴュイヤールと共に親密派(アンティミスト)と呼ばれました。穏やかながら多様な色彩によるハーモニーを演出し、不思議な幻想の世界を描いて「色彩の魔術師」と言われました。
「色彩はデッサンよりも道理にかなったものだ」
「自然を描き出そうというのではない、絵のほうを生きている様にするということだ」ボナールの言葉
ボナールの描き方‥
実物のリンゴを描くことが作品のテーマではなくて、『色彩による、自分独自の絵画の世界』をテーマとして描く事がボナールの描き方でした。
【ジャポナール(日本的ナビ)】
ナビ派の中でも特に日本美術に傾倒していたボナールは、仲間からジャポナールと呼ばれていました。実際彼は浮世絵版画などから、色彩・画面構成の多くを学びました。

《フランス・シャンパーニュ》ポスター1891年

ポスターのデザインコンクールで優勝し、1891年にパリの街頭に登場した作品。
デザインの斬新さに衝撃を受けたロートレックは、ボナールを探し出し、印刷者を紹介してもらうなど、《ムーラン・ルージュ》を代表とする、ロートレックの数々のポスターを誕生させるきっかけとなった作品。
シャンパンの泡は、北斎の水の表現を参考に、また体のねじれたラインを浮世絵の女たちの立ち姿から取り入れて、このポスターの若い女性の生き生きとした喜びにあふれた表情がうまく表現されています。
このポスターの装飾的要素が、その後のボナールの絵画の主要な要素となり、次々と作品を生み出しました。
《庭の女たち》1891年

掛け軸を意識した縦長の画面です。
輪郭線(クロワゾニスム)・平面性に、ナビ派の理論を実践して描いていることが分かります。
陰影・立体感はありませんが、色彩や絵柄(装飾性)に引き寄せられます。
《シャンパンのポスター》で表現された女性の湾曲線がこの作品にも見られます。S字型の曲線が、女性の自然な動きを装飾的にして、女らしさを強調しています。
ボナールは、線を感情を表現する手段として捉えています。
【アンティミスト(親密派)】
ナビ派の特徴(輪郭線・平面性・装飾性)から離れ、新しい美術の流れからも距離を置いて、アンティミストとして日常の穏やかなさりげない光景・事物を描いて、独自の世界を展開していきました。
《小さな洗濯女》石版 1896年
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人と犬が、お互いトボトボと歩みを進めて行き違う瞬間。絵本の挿絵のようにほのぼのとユーモラスでありながら、哀愁も感じる作品です。人物(シルエット)と犬(光)との対比画面構成が面白い作品だと思います。
建物の斜めのライン、平面的な色面は、浮世絵の影響が感じられます。

《乗合馬車》1895年

パリの街中の風景です。乗合馬車の全体は見えませんが、大きな車輪と、女性のユーモラスな瞬間の動作の重なりが、ダイナミックな印象を感じさせる作品です。
【 鏡・光・色彩 】
1900年代に入ると印象派的な表現、光と色を取り入れる
《逆光の中の裸婦》1908年

ボナールは、1893年(26歳)後に妻となるマルトと出会います。病弱な彼女は温浴療法でバスタブに浸かっていることが多かったので、マルトの裸婦像を多く残しています。
カーテン越しの光を体中に浴びながら、オーデコロンを振りかけているマルト。光の広がりがタライの中にも描き込まれていて美しい。
差し込む光が、壁紙やソファの豊かな色彩をゆらゆらと輝かせています。
鏡の中のもう一つの空間が奥行き感を出しています。
印象派的な光の描き方を取り入れています。
《洗面台の鏡》1908年

洗面台の鏡の中に、画面のこちら側の空間を描き込んでいます。絵画空間の中に、もう一つの異空間を描き込む、ボナール独自の構図を作っています。小道具としての鏡。本来の空間と鏡の中の空間は断裂していて、色も線も鏡の枠で断ち切られ不思議な雰囲気を出している作品です。
《開いた窓》1921年

鏡と同じ小道具としての窓。室内の空間と窓の外の空間を同一画面に描いています。
二つの空間の色彩の違いを出すことで、ボナール独自の構図を強調しています。
右下隅に描かれた猫と遊ぶ女性は、幾何学的に分割された色彩の中に溶け込んでいます。
【色彩の魔術師】
《食卓の一隅》1935年

ボナールの代表作
テーブルの上に置かれたものが、いろんな角度から描かれています。手前と中央の果物は上から、奥の籠は前から、イスは真上からえがいています。当時の新しい美術の流れから距離を置いていたものの、ピカソのキュビスムを意識して描いていることが分かります。
いかに画面を面白く見せるかを考えて、現実の色や形の細部にこだわらずに描いています。
《浴槽の中の裸婦》1937年

水平線が浴室の静かな雰囲気を醸し出しています。水蒸気のミストと浴室に差し込む光の混合を、不思議な色彩で描いています。
蒸気を含んだ光は、床や壁のタイルに反映し、虹色となってきらめいています。色彩の魔術師と言われたボナールならではの色彩表現です。
【最後の自画像】
ボナールの生涯の最後の数年は、愛妻マルトや親友のヴュイヤールを失い孤独で、マティスとの文通が彼の慰めでした。
《自画像》1945年
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数多くの自画像の中の最後の作品(亡くなる2年前、78歳)
ボナールは、老い・孤独・死の予感から目を背けず直視して描きました。眼は暗色に塗り潰されています。
《サーカスの馬》1946年

「サーカスの馬」は、最後の自画像と同じころに描き進めていた作品です。
現実にはいない不思議な神秘的な存在感の馬。色彩のゆらめきが美しい作品です。
なぜこの頃に馬が描かれたのか 最後の自画像とのイメージの重なりが感じられます。
【絶筆】
《花ざかりの杏の木》1946~1947年

青い南仏の空のもと、真っ白な花が満開のあんずの木。黒い幹がその白さを引き立て、輝きをもたらしています。
ボナールの制作スタイルは、数点のキャンバスを壁に直接ピンでとめ、同時に制作していくというものでした。この時期、「最後の自画像」「サーカスの馬」そしてこの絶筆「花ざかりの杏の木」が同じ壁に止められていたのでしょうか。
パリから別荘に戻ると、ボナールの病は悪化しました。完成した「花ざかりのあんずの木」をベッドの横に持ってこさせ、画面左下の緑の部分が気に入らず手直ししようとしたが手が動かず、甥に黄色を塗らせ、それを眺めた数日後息を引き取りました。
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