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アート/ART 

ART PROGRAM K・T 

アンディ・ウォーホルⅢ

【梱包用段ボール箱の彫刻】

洗剤やケチャップなどの梱包用段ボール箱のデザインを、そっくりそのまま木箱にシルク印刷して画廊で個展を開きました。会場はまるでスーパーマーケットの倉庫のようになってしまいました。展覧会のためにカナダに持ち込んだところ、税関に本物の商品と間違われ関税の対象となりました。

《ブリロ・ボックス(洗剤)》1964年 木製合板にシルク・スクリーン
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《色々な箱》1964年
ブリロ、デルモンテ、ハインツのボール箱1964年_convert_20100224193320

日常的な商品の段ボール箱にしか見えないものをアートにしているのは何か?

哲学者のアーサー・ダントーは《ブリロ・ボックス》を芸術品にしているのは、作品の色や形、感動の有無などではなく、作品背後にある芸術理論や理論の歴史(アート・ワールド)がそれを芸術としているからだと分析し、「フォーマリズム」を否定しました。つまり、構造・線・色彩・形のような視覚的な美術の要素だけで、作品の良し悪しを判断する美術批評「フォーマリスム(形式主義)」を否定したのです。

【装飾的なテーマ】

装飾的なテーマを初めて取り上げ、誰でも欲しがる絵を描く 

1964年、メトロポリタン美術館のキュレーターで友人のヘンリー・ゲルツァーラの「陰惨な絵は充分描いたから花の絵を描くべきだ」というアドバイスに従い、雑誌から切り取った花の写真を、シルクスクリーンで色々な大きさのキャンバスに転写して花の絵を900枚以上制作しました。形の反復と多様な色彩によって装飾的な作品となり、美術と装飾の境を曖昧なものにしました。予想した通り、事故や死をテーマにした作品とは違い、花の作品は誰でも欲しがり大ヒット、一枚2000ドルの作品は完売してしまいました。

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フラワーズ1970年_convert_20100224193644

この「花」シリーズもまた、【絵は機械で描けばよい】というウォーホルのメッセージが伝わる作品です。一点物の絵画は買うことが出来なくても、プリントされたポスターなら誰にでも買うことが出来ます。まさにポップアートの始まりでした。しかし1965年、パリで「花」の個展を開いた直後に画家引退宣言をしてしまいます。

パリ ソナベント・ギャラリーでの個展 1965年
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フラワーズ1964年_convert_20100224193531

【装飾的なテーマ・牛】

1965年末にはアイデアを使い果たしていたウォーホル 

「自分はあまり素早くイメージを使ってしまうので、想像力が涸れてしまったように感じられる
 いったい何を描けばいいんだろう」  ウォーホル

画商のアイヴァン・カーブとの会話から「牛」を描くことを思いつきました。雑誌に掲載された牛の写真を使い、壁紙仕立ての作品を制作します。1966年個展会場の壁を《牛の壁紙》で飾り、絵画が壁を飾る壁紙のようなものになってしまった美術の状況を示し、美術と装飾の関係を明らかにすることによって、絵画の放棄を印象付けました。

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レオ・キャステリ画廊での個展 1966年
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「絵画も壁紙もどちらもまったく同じです、ただの装飾なのですから」ウォーホル

【1972年美術家として再出発】 

強い筆触・手描きの線を加えた毛沢東の肖像画

厚い絵の具で盛り上げられた下塗りの上に、シルクスクリーンで写真製版された肖像が刷り重ねられています。
抽象表現主義的な強いタッチや手描きの線が加えられ絵画性が強められています。

《毛沢東》1972年
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1969年から1971年までウォーホルは絵を描くことをほぼ放棄していましたが、映画制作は続けていました。
1971年から72年にかけて「毛沢東語録」から切り取った写真を使って2000点以上の絵を描くことで、ウォーホルは再び美術家として再出発しました。
ウォーホルは、その時代の人々が求めているもの(例えば毛沢東は1972年の米中正常化に向けての歴史的な会談を受けて)に反応し、作品に反映させました。

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《ハンマーと鎌》1979年
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ソ連時代、共産主義の象徴としてハンマーと鎌を組み合わせ、静物画として描きました。単なるモノの表現ではなく、「思想」の象徴として描きました。

【アート・ビジネス】

有名人や金持ちからの注文による肖像画を描く。
ウォーホルによって描かれた肖像画は、当時の有名人たちのステイタスでした。
1枚2万500ドル、2枚組・4万ドルのセット価格で受注しました。

《ミック・ジャガー》1975年
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《モハメド・アリ》
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《レオ・キャステリ》1975年 
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《ヘンリー・ゲルツァーラ》1979年 友人でメトロポリタン美術館のキュレーター 
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【晩年の作品 さらに装飾的な表現へ】

《ゲーテ》1982年
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《統治する女王》1985年
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《ベートーベン》
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《18の多色のマリリン》1979年
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以前使ったイメージを再利用。
「リヴァーサル・シリーズ」では明暗を反転し、今までにない新しいイメージを作り出しました。

《カセドラル》1985年
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《二匹のミッキー》1981年
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《カムフラージュの自画像》1986年 
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1点100ドルだった「キャンベルスープ缶」から始まり、その個展の最終日1962年8月5日にもたらされた衝撃的なニュース「マリリンの死」。そのマリリンがウォーホルの新しいテーマとなり、マリリンの肖像画が次々と発表されました。当時1枚2万5000ドルだったマリリンの肖像画に、約35年後に1730万ドル(約21億円)の値がつくとは誰が想像したでしょう。アンディ・ウォーホルは大量生産をアートの世界に持ち込み、アート・ビジネスを展開してポップ・アートのスーパースターとなった天才芸術家です。
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テーマ:アート - ジャンル:学問・文化・芸術

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