スペインが生んだ20世紀最大の天才画家。ピカソが創り出したキュビスム(立体派)と呼ばれる絵画様式は、20世紀美術に多大な変革をもたらしました。生涯、13,500点の油彩画と素描、100,000点の版画、34,000点の挿絵、300点の彫刻・陶器を制作しました。
彼の作品を、表現の特徴で区分すると、
1.初期の作品
2.青の時代
3.バラ色の時代
4.アフリカ彫刻の時代
5.キュビスムの時代
6.新古典主義の時代
7.シュルレアリスムの時代
8.1930年代初期の作品
9.ゲルニカ
10.第2次世界大戦とその後
11.後期作品、晩年の作品
となります。今回は、初期の作品を紹介します。
【初期の作品・修行時代(1895年~1900年)】
ピカソが初めて口した言葉は「ピス(鉛筆)」でした。美術教師であった父親のホセ・ルイスの勧めで1888~89年頃から絵を描くようになりました。幼くして父親も驚くほどのデッサン力を発揮します。息子の才能を認め「お前には、もう何も教えることはない」と言って、自分の絵画道具一式をピカソに譲り渡したエピソードが残っています。
1892年 弱冠11歳で、ラ・コルーニャの美術学校入学。
1894年 父親から絵画道具を譲り受ける
1895年 14歳でバルセロナの美術学校に入学。
1897年 16歳でマドリードの王立美術学校に入学。同年中退する。
1899年 バルセロナに戻る
1900年 パリに出る。
ピカソ11歳のデッサン

的確な明暗や形の捉え方、ピカソが間違いなく神童であったことを物語る素描。
ピカソ15歳のデッサン

《初聖体拝領》1896年

家族をモデルにして、古典的手法を用いて描いた最初の大作。的確な描写はとても15歳の少年が描いたとは思われない。恐るべき15歳です。
《科学と慈愛》1897年

初めてアトリエを持った、ピカソ16歳の時の大作。医者が科学を、尼僧が慈愛を表しています。既に古典的な技法を充分マスターしていたことが窺われます。
古典的な表現から独自の画風へ
バルセロナからパリへ、アカデミズムと訣別して独自の表現を探り始めます。
《長椅子》1899年

18歳ながらも、バルセロナのカフェの生々しい男女の姿を描いています。
《ムーラン・ド・ラ・ギャレット》1900年

1900年、バルセロナから親友のカサジェマスと二人でパリに出ます。世紀末の雰囲気漂うパリでは、歓楽街に集う男女やそこで働く女性達を描きました。ロートレックから大きな影響を受けます。ルノワールが描いたことで有名なレストラン。夜景に浮かび上がる華やかな女性たち。テーブルで囁き合う二人の女性が強調され、左端に描かれた笑みを浮かべる女性が印象に残ります。ルノワールの作品とは異なる表現の「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」享楽的な世紀末パリの洗礼を受けたピカソ19歳の時の作品。
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