青の基調から徐々に赤系統の色を使い始める。「サーカスの時代」ともいわれ、サーカスの人々(道化師・軽業師)を多く描きました。
フェルナンド・オリヴィエ
「バラ色の時代」に向かわせた最初の恋人
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1904年、ピカソはパリのバトー・ラヴォワール(洗濯船)と呼ばれる建物にアトリエを構え、フェルナンド・オリヴィエという名前の女性と同棲を始めました。少し教養のある女性で、ピカソにフランス語を教えたり、精神的な安定を与えてひたすら絵を描くようにピカソを仕向けました。彼女と暮らすようになってから「青の時代」の表現は影を潜め、ピカソは彼女の美しい裸像や身近な人々の肖像画、彼女の仲間たち、俳優、サーカスの芸人たちを、バラ色を基調とした暖かい色で描くようになりました。「バラ色の時代」の始まりです。1906年、画商ヴォラールが大量に作品を購入してくれたおかげで、作風の転機となったスペインのゴソルへの旅行が可能になりました。オリヴィエは、次の新しい恋人エヴァが現れるまでの7年間をピカソの伴侶として過ごしました。
《玉乗りの曲芸師》1905年

男の体がデフォルメによって大きく描かれているので(頭部を小さく前方に描いているので体がより大きく見える)、少年の身体の細さが強調されています。球体と立方体の対比がピカソの造形性への関心を示しています。背景に小さく描かれた人物や動物が作品に奥行き感を与え、牧歌的ではありますが、作品からはどこか厳しさが感じられます。赤味のある色が加えられようになりました。
《サルタンバンクの家族》1905年

バラ色の時代を代表する大作。ピカソらしく、人物それぞれの手に表情を付けています。なぜ、家もなく観客もいない広々とした大地を背景としたのか、なぜ、誰も視線を合わせないのか、なぜ二人を後ろ向きに描いたのか幾多の解釈を呼ぶところです。道化師の衣装の菱形模様や襟元などのV字形が画面に変化をつけ、少年の服の青色と肩掛けの赤色の美しい対比が画面を引き締めています。
《パイプを持つ少年》1905年

背景の花が作品としての装飾性を高め、“華”のある作品にしています。113億円もの高値で落札されたのもそこにあると思われます。ピカソは、不自然なパイプの持ち方や、少し歪みを感じさせる顔立ちによって、少年の屈折した心理を表現しようとしているのでしょうか。足を大きく開いて座るポーズは二等辺三角形の安定した構図を作っています。しかし、少し右に体軸を傾けさせることで不均衡さが作られ。画面にかすかな変化をつけています。上方からの光が少年を柔らかく包み込んでいます。
《二人の兄弟》1906年


恋人フエルナンドと旅行した、スペイン、カタルーニャ高地の人里離れた村ゴソルで描いた作品。黄土色系のバラ色が多く使われており、この色が後に「バラ色の時代」の呼び名を生みました。この時期、ギリシャの古代彫刻やスペインのイベリヤ古代彫刻に関心を持ち、研究の成果としてこの作品が描かれました。造形的に完成されたギリシャ彫刻からの影響が少年のポーズとなって表れています。ピカソは自作に“堅固な造形性”を取り入れようとしたのではないでしょうか。
《がートル―ド・スタインの肖像》1906年


ピカソの才能をいち早く見抜き、早くから支援者になったアメリカ女流作家の肖像画。この作品を特徴づけているのは、仮面のように描かれた顔です。特に目は、ルーブル美術館で見たイベリア古代彫刻の影響を受けてアーモンド形で描かれています。様々なものから影響を受け、それらを次の新しい表現に結び付けていく「ピカソ芸術」の原型を、この作品に見ることができます。
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