「新古典主義の時代」 キュビスムが失くした「形」の復活と古典との対話
ピカソは、1917年から何が描かれているのか判別がつきにくいキュビスムによる表現を一変させ、古代の衣装をまとった量感溢れる女性像や微笑ましい母子像、流麗な描線が美しい人物像などを古典絵画への回帰を思わせる写実的な表現で描くようになりました。キュビスムの時代の次に位置し、写実的な具象作品が描かれた時代を「新古典主義の時代」と呼びます。
「オルガ・コクローヴァ」
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1917年、かねてより依頼されていたロシア・バレエ団の舞台装置や衣装の製作ためにイタリアのローマに滞在しました。そこで、バレエ団の踊り子オルガ・コクローヴァ(27歳)と知り合い、1918年に彼女と結婚しました。
オルガは旧ロシアの将軍の令嬢で、気品があり古典的な美しさを持つ女性でした。オルガとの結婚が、後に「新古典
主義の時代」と呼ばれる写実的な具象絵画を描く時代にピカソを向かわせることとなったのです。
《安楽椅子のオルガ》1917年

結婚一年前に描いたオルガの肖像画。顔や腕は奥に回り込んでいくような古典絵画的な描法で描かれていますが(顔の描写が秀逸)、ドレスとソファーの模様が一体化しており、オルガが椅子に座っているようには見えません。装飾的なソファーの模様が、画面に貼り付けたように描かれていて、画面から奥行き感が消えキュビスム的な空間を感じさせます。少し抑えた統一感のある色彩にもよりますが、気品を漂わせたオルガが描き出されています。同じ設定で写真が残されていますが、写真と絵を比べてみるとピカソの“腕の確かさ”が窺えます。
《大きな浴女》1921年

イタリア旅行中にギリシャやローマ時代などの古代美術に触れ、大きな影響を受けました。作品は画面一杯に、量感豊かな裸婦が描かれています。顔が無表情である、彫刻的である、手や足が身体に比して大きい、ギリシャ彫刻のような額から続いた鼻が描かれていることなどが、新古典主義の時代に描かれた人物像の大きな特徴です。初期のキュビスム時代には、ノミで削ったような面の集合体として捉えられていた裸婦が、一転して滑らかな陰影によって量感がつけられ、重く大きく、安定感のある裸婦に変化しています。この時期のピカソの安定した生活の表れか、深刻さの無い、ゆったりとした感じが味わえれる作品です。
《女の顔》1923年

ギリシャ彫刻

《母と子》1921年

《海辺を走る二人の女》1922年 32.5×41.1cm

作品サイズはそれ程大きくはありませんがが、長い手や太い足、画面から飛び出しそうな躍動感によって、大きな作品に感じられます(名品はすべからく実際の大きさよりも大きく感じられる)。顔を大きく上げ、髪を水平に後ろにたなびかせて、踊るように渚を走る二人の女性は歓びに満ち溢れています。鑑賞者も又同様に、この作品から明るく健康的な“歓び”を感じ取る事が出来ます。

古典主義的な作品を描きながら、表現の異なるキュビスムによる作品も描きました。
《泉のそばの三人の女》1921年

《三人の音楽師》1921年

全てが幾何学的な形に単純化され平面的に描かれています。人物同士、あるいは、人物と物との明確な前後関係が無く、作品からは遠近法的な奥行き感を感じ取ることはできませんが、形の重なりや色自体が持つ前後感によって、浅くはあるが少し複雑な空間が作り出されています。それが作品を平面的に終わらせることなく、作品の新しい“深み”となって立ち現われ、この作品を名作にしています。
この作品は総合的キュビスムが獲得した優れた結果であり、キュビスム運動の質の高さにおける一つの到達点に位置する作品ではないでしょうか。(ニューヨーク近代美術館所蔵)





一人の画家が、表現が正反対の作品を制作する‥現代美術 ゲルハルト・リヒター(ドイツ)の場合

《ベッティ》1988年

《抽象絵画》1988年
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