1937年、ナチス・ドイツは、スペインの小都市ゲルニカを無差別爆撃して数千人の市民を殺害しました。ピカソは、以前からパリ万国博のスペイン館の壁画制作を依頼されていましたが、急遽、悲しみや怒り、抗議を込めて一カ月程で「ゲルニカ」を描きました。
ドラ・マール 「ゲルニカ」の制作過程を撮影した女性写真家。マリー・テレーズの次にピカソと関わった女性。


《泣く女》1937年
1936年、ピカソ(55歳)は、女流写真家のドラ・マール(30歳)と知り合います。芸術に関心を示さなかったマリー・テレーズとは対照的に、自らも芸術活動を行い、教養も高くピカソの良き理解者でもありました。「ゲルニカ」の後に描かれた「泣く女」として作品に登場します。愛憎の繰り返しが彼女を不安定にし、精神の病が彼女を苦しめました。
ゲルニカ

349.3cm×776.6cm
20世紀の最高傑作といわれ「平和と反戦」のシンボルになっています。公開されるやいなや、世界中に衝撃を与えました。モダンアートの旗手であったピカソによる戦争画です。色彩は黒、灰、白の無彩色が使われ、構図は安定したピラミッド型で、空間は前後が入り組むキュビスムの空間で構成されています。作品内容が多義的で様々な解釈がなされています。
【図像学的解釈】
・子供を抱きかかえ悲しむ女→キリストを抱くマリア(ピエタ)
・牡牛→暴力、暗黒の力(ファシズム)
・瀕死の馬→スペイン、ゲルニカ市民
・ランプを捧げ出す女→自由の女神、真理の象徴
・建物から落ちる女→悲劇の象徴
・折れた剣を持って倒れた兵士→抵抗運動(レジスタンス)を表し、再び立ち上がることが求められるスペイン市民
・電灯→全てを見通す神の目
・小鳥→精霊、平和の象徴
ゲルニカ以後から第二次世界大戦終結まで(1937年~1945年)
《泣く女》1937年

愛人のドラ・マールがよく泣く女性であったこともあり、ピカソは「ゲルニカ」の作品の中から泣く女を独立させ、彼女をモデルとして「泣く女」をシリーズ化していきました。ハンカチを口にくわえ、歯を剥きだして号泣する女性の顔が、多視点によって構成されています。見たままを描いた写実的な作品より、この画面からは数倍、女性の悲しみや泣き声が大きく伝わってきます。
【ピカソはなぜ、前向きの顔と横向きの顔を一緒に描いたのか】
キュビスムの初期(1906~09年頃)に開発した、複数の視点から見た画像を一つの画面に表現する描き方を取り入れました。それは、描かれている人物がどんな目や鼻や眉をしているのか、その人がどんな人なのかを、絵を見る者により多く伝えることができるからです。
本人に似ているかどうかではなく、絵画的に面白いかどうかを優先し追求しました。
《花の前の麦わら帽子を被った女》1938年6月

強弱をつけたスピード感のある線の洒脱さと、背景のピンク色や花が、お洒落な感じを醸し出しています。横顔に正面を向く静かな目が描かれ、マリー=テレーズの性格の一面が表されています。部屋に飾っておきたい一枚です。
《ドラ・マールの肖像》1937年

画面が華やぐ原色と黒の組み合わせによって、ドラマールの持つ華やかな雰囲気がよく描き出されています。まっすぐ正面を凝視した大きな目、引き締まった口元、整った顔の線が「知的な女性」としての彼女をよく表しています。彼女の特徴である、赤いマニキュアの長い爪が効果的に描き込まれ、彼女を表情づけるのに役立っています。彼女の肖像画の中では一番の秀作。
【戦争がもたらすテーマ / 生と死、破壊と暴力】
《山羊の頭骨を持つ帽子の女》1939年

歯をむき出し、目を見開いて血に染まる山羊の頭蓋骨を手にする女性は怒りの化身と化しています。ピカソと関わる女性(ドラ・マール?)が恐ろしげに変容されて描かれているのですが、第二次世界大戦勃発直前の社会状況に対するピカソの怒りが反映されています。帽子や服が暗い色に塗られているので、頭蓋骨の赤色(血液)が引き立ち、怖い顔と頭蓋骨の組み合わせによって画面から暴力的なものを感じざるを得ません。
《頭蓋骨のある静物》1942年

戦争は激化の一途を辿り、ピカソは厳しい生活を余儀なくされました。この時期の作品の特徴は、画面から明るい色が払拭され、戦争や死がテーマとなっていることです。テーブル上の牡牛の頭骸骨は「死」、花は「生」、明るい窓は「希望」を表し、それらによって戦争による不安とそれを打ち消す救いを表現したと解釈できます。画面全体が沈んだ
色ではありますが、太い輪郭線や鋭角的な形が多く描かれているので強い表現になっている。それがドラマティクな「生と死」というテーマを強く押し出しています。
スポンサーサイト