【ダダ(DADA)とは】
1916年第一次世界大戦を避けてチューリッヒ(スイス)に集まった前衛芸術家たちによる芸術運動。反美学的、反道的、反合理主義的な態度を大きな特色とし、芸術そのものを根底から覆そうとした反芸術運動
戦争による大量殺戮、抑圧、道徳の崩壊などの悲劇的で混乱した社会状況は、芸術家たちに虚無的な気分や不信感、批判的で反抗的な感情を抱かせました。


第一次世界大戦を引き起こしたのは、ヨーロッパ社会を形成してきた機械文明、合理主義、ブルジョワ(資本家階級)的な価値観であるとし、悲惨な戦争を生み出した近代ヨーロッパ文明に異議申し立てを行いました。


ダダ以前のすべての芸術運動、道徳、伝統、思想、秩序、常識などあらゆる既成の価値を否定し徹底的な攻撃と破壊を繰り返しました。ダダイストと呼ばれる芸術家たちは、“過去の芸術”と手を切り、最も新しい芸術を創造することを目指しました。


「無意味さ」「不合理性」「不条理」を強調した新しい技法・発想を取り入れて、反芸術・反美学的な作品を制作。
【「ダダ」という名称の由来】
1916年ルーマニアの詩人トリスタン・ツァーラが、辞書に無作為にナイフを突き立てたところ、刃先が「ダダ」という言葉を刺しました。ダダはフランス語では「木馬」、ルーマニア語では「そうだ、そうだ」を意味する言葉ですが、意味とは無関係に活動の名称に選ばれました。
【ダダの芸術家たち】
ハンス・アルプ(1886~1966年)フランス
スイスのチューリッヒでトリスタン・ツァラとダダイズムを始めました(チューリッヒ・ダダ)。薄い板を重ねた彩色レリーフは有機的で生命的な形が表現されており、どこかユーモラスでぬくもりを感じさせる作品です。
《鳥と蝶の埋葬 ツァラの肖像》1917年
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《シャツの胸あてとフォーク》1922年

《時計》1924年

ラウル・ハウスマン(1886~1971年)ドイツ
1918年ドイツでは政治色の強いダダが生まれました(ベルリン・ダダ)。ラウル・ハウスマンは、フォト・コラージュという意味の関連しない写真を貼り合わせて新しいイーメジを作り出す手法で、無意味さや無関係性を表現に取り入れたダダらしい作品を制作しました。
《機械的頭部・我らの時代の精神》1921年

拾ってきたマネキンの頭部に物差しやカード、札入れなどを張り付け、ガラクタとおぼしきモノを寄せ集めて機械文明時代を象徴する作品に仕立て上げています。
《美術批評家》1919年

ダダのアイデア技法であるフォト・コラージュによる作品。切り抜いた様々な写真を組み合わせ、偶像破壊ともいえる
異様なイメージを作り出しています。
クルト・シュヴィッタース(1887~1948年)ドイツ
自分の身の回りで見つけた紙切れ、印刷物、ラベル、切符、針金、布切れなど廃品をコラージユして、抽象的に構成された独自の表現を作り出しました。たまたま目に留めた紙片に書かれてあった銀行の名前から「メルツ」の文字を採り、自分の芸術を「メルツ」という無意味な言葉で呼び生涯使い続けました。
「メルツ絵画」は、コラージュ(貼り合わせ)やアッサンブラージュ(寄せ集め)によって、物体と絵画が一体となって重層性が作られ、面白い絵画的な効果が生み出されています。
《サクランボのある絵画》1921年

《空間の中の形》1920年

次回はニューヨーク・ダダの芸術家マルセル・デュシャンについてです。
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