
「泉」が変えた美術鑑賞法
「泉」は、その色・形によって何かを表現しようとしていません。便器そのもの自体に何も意味がないのです。また、便器の様に量産されたものでも芸術作品になりうるということを、ただ単に提示したわけでもありません。
便器の提出によって、従来の芸術を否定するとともに(反芸術)、美術とは何かを問うたのです。それまで誰も信じて疑おうとしなかった芸術についての考え方(芸術概念)や芸術の仕組みそのものを問おうとしたのです。展覧会に作品として出品された便器と、ショーウィンドウに置かれた便器は何が違うのでしょう?両方とも人間によって作られたものなのですが、物以上の、作品として成り立たせているものは何なのでしょう?デュシャンは、作者が「美術とは何か」を問い、その答えを示したものが作品であると考えたのです。美術評論家の藤枝晃雄は、このようなデュシャンの作品を「芸術についての芸術」「目に見えない芸術」と評しています。現代美術とは、「現代美術とは何かを問う芸術」なのです。
「泉」によって、従来の眼で見て楽しむ鑑賞から、作者の考えを知ることが鑑賞となるアートの流れが作りだされたのです。作品は、作者と作者の考えを知ろうとする鑑賞者によって作られるのです。鑑賞者の作品への働きかけが、その作品の意味を作り出すのです。
アートは鑑賞者なしでは存在しないのです。
デュシャンが見抜いた美術の仕組み
美術を成り立たせているのは、美術という制度である
展覧会という制度化された組織が、便器をアートと認めて展示をすればアートとなり、認めなければアートにならない。美術はアートワールド(評論家、画商、コレクター、学芸員たちからなるネッットワーク)と美術館や展覧会という美術制度で成り立ち、美術という制度にのったものがアートとして認められるのです。
美術品が美術館にあるのではなく、美術館にあるから美術品なのです
その他のレディ・メイド
《折れた腕の前に》1915年

雪かきショベルを金物屋で買ってきて「デュシャンから1915」と書き入れて作品としました。デュシャンが初めて「レディメイド」と呼んだ作品。
《パリの空気50cc》1919年

パリからアメリカに渡る時、アンプルを空にして中にパリの空気を封じ込めました。お金で何でも買えるアメリカのパトロンに、金で買えないものを土産とした作品。
《L・H・O・O・Q》1919年


モナリザの複製画に鉛筆でひげを描き加えた作品。題名のアルファベットの音をフランス語の綴りに置き換えると「エル・ア・ショー・オー・キュー」となり「彼女の尻は熱い」の意味になります。モナリザについての性的な暗示になっていて、ダダ的な偶像破壊の精神と皮肉が込められています。
《エナメルを塗られたアポリネール》1917年

「サポリン・ペイント」という塗料会社の広告に手を入れ、会社名を詩人のアポリネールの名前に変えて言葉遊びをしている作品
《なりたての未亡人/フレッシュ・ウイドー》1920年

建具屋に作らせたミニチュアのフランス窓のガラスを黒い革で覆った作品。題はフレンチ・ウインドー(フランス窓)との語呂あわせ。
秘かに作られていた遺作
《1.滝、2.照明用ガス、が与えられたとせよ》1946年~1966年

作家活動を停止して、20年間チェスに明け暮れていたと思われていましたが、秘かにこの作品を作り続けていたことが死後明らかになり遺作となりました。古い木の扉の覗き穴から見ると、背景には滝が流れ、ガス灯を持った裸体の女性が横たわるリアルに作られたセットが見える仕組になっています。アートが映像に近づいた今日のアートシーンを予言しているかのような作品で、映像的な感覚を強く抱かせます。
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