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日本近代美術 洋画Ⅱ「大正時代の洋画家達」

大正時代の洋画家達

個性的な表現が何よりも尊重された時代


フォーヴィスム(野獣派)・ドイツ表現主義・キュビスム(立体派)・抽象絵画が紹介される

■ 中村 彝 なかむら つね (1887年~1924年)37歳没

12歳で父母を失います。軍人を志しますが17歳の時に結核にかかり断念します。19歳の時、洋画家を志し美術研究所に通い絵画の勉強を始めました。1907年に新宿駅前に開店したパン屋の「中村屋」の裏の木造アトリエを借りて制作するようになりました。レンブラント、ゴッホ、ルノワール、セザンヌなど西洋美術の画家たちから影響を受けつつ、病気と闘いながらも、独自の澄んだ精神性の高い画風を確立しました。37歳の若さで、誰にも気づかれぬまま喀血による窒息で亡くなりました。自分の命を賭けて最後まで絵を描き続けた画家です。

《麦わら帽子の自画像》1911年
麦わら帽子の自画像1911年_convert_20100609164739

《エロシェンコ氏の肖像》1920年(大正9年)45.5×42cm 東京国立近代美術館 重文
エロシェンコ氏の像1920年_convert_20100609164127

近代日本の肖像画の傑作

ロシア人の盲目の詩人エロシェンコがモデル。深く傾到したルノワールのような軽く柔らかなタッチで、モデルの面影と穏やかな雰囲気を画面に描きだしています。中村彝の描き方と盲目の詩人の内に秘めた精神性がマッチし、内面的なものを感じさせる肖像画だと思います。中村彝の“心の内”が投影された、いわば彼の自画像とも言える作品です。

ルノワール《麦わら帽子の女》1915年
麦わら帽子の女1915年_convert_20100609184613


《髑髏を持てる自画像》1923年(大正12年)100×69cm 大原美術館
髑髏を持てる自画像1923年_convert_20100609164330

この作品は亡くなる前年に描かれました。この頃、死を予感したかのように、髑髏を題材とした絵を描いています。
少し縦に伸びた身体描写は、形態を歪めて描くマニエリスムの画家エル・グレコに通じ、グレコ同様に宗教的な世界を感じさせます。諦めと悟りが同居する彝の心中が、静かな表情となって表れています。病床につく日が多くなる中で描いた作品です。直線や円弧など幾何学な要素を取り入れた表現は、どこかキュビスム的であり、再現性より造形性を強めた表現となっていると思います。

エル・グレコ《悔悛する聖ペテロ》1600年
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■ 関根 正二 せきね しょうじ(1899~1919年) 20歳没 

20歳で夭折した天才画家

《自画像》
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ほぼ独学で絵画を学びました。画家としての活動期間は短く、大正4年から8年までの僅か5年間でした。絵の具も満足に買えぬ貧困のなか肺結核を患い、自らを追い詰めていくような生活をしつつ、純粋で幻想的な祈りの世界を描きました。

《信仰の悲しみ》

  『朝夕孤独の寂しさを何者かに祈る時、ああした女が三人又五人、私の目の前に現れるのです』

1918年(大正7年)73×115 大原美術館 重文
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関根の幻覚(幻視)によって描かれた作品です。暗い灰緑色の空の下、透き通った衣装を身に着けた五人の女が、手に赤い果物を捧げ持ち荒涼とした野原を歩いています。題名とどう結び付くのか、謎の多い絵だと思います。
関根は中央の女に使われている朱色(ヴァーミリオン)を好んで使いました。一人だけに塗られた朱色が、この作品の要になり幻想性を高めていると思います。

《子供》1919年
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最近の研究では、正二の弟の「たけお」を描いたとされています。
関根の色である朱色と背景の青色の強いコントラストが美しく、作品の見どころとなっています。
頬を赤くして無心に前を見つめる表情から、少年の無垢さが伝わってきます。少年を描く線はあくまでも柔らかい。

■ 村山 槐多 むらやま かいた(1896年~1919年)23歳没

デカダンス(退廃)とともに生きた夭折の天才画家


《自画像》1917年
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早熟な少年として早くから文芸に関心を示し、十代の頃より、詩、小説、戯曲を作りました。中学を卒業すると画家を志し美術研究所に通います。展覧会で賞を貰うも、放浪と転居を繰り返し、貧困を極めた生活は退廃的で病にも蝕まれていきました。芸術と生きることのギャップに悩みつつ、張り詰めた思いを美術様式に拘らず直情的に描きました。アカデミズムから離れたプリミティブな表現ではありますが、直截的な表現は色褪せることはありません。

《尿(いばり)をする裸僧 1915年
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自己を極力抑え、正確な表現が求められるアカデミックな絵画の世界では決して描かれることはない作品です。
それにしても、巧拙を超えた強烈な表現だと思います。赤く発光し合掌しながら放尿する裸僧に、観る者は心を大きく揺さぶられます。内から沸き起こる情念が、強い力で押し出されたように表現され、「自分の描きたいものを強く描くんだ」と言う村山槐多の強い表現欲が、全てに優先された最も村山らしい作品だと思います。ウソのない本当の絵の世界を求める求道者としての画家の姿が感じられます。
裸僧は全てを捨てて芸術に捧げる村山自身の姿で、美に対する熱き思いが炎となって全身から立ち上っているように感じられます。

《強烈な色彩、大胆な筆致、深い陰影表現、巧拙を超えた表現が、強く激しい村山独自の世界を作り出す》

《カンナと少女》1915年
カンナと少女1915年_convert_20100609165820

《信州風景》1917年
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《庭園の少女》1914年
庭園の少女1914年_convert_20100609181946

《のらくら者》1916年
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■ 萬 鉄五郎 よろず てつごろう(1885年~1927年)42歳没

日本前衛美術の先駆者 

後期印象派、フォーヴィスム、キュビスムなどヨーロッの近代美術のスタイルをいち早く取り入れた作品を描き、日本における反アカデミックな前衛絵画の流れを作り出しました。明治末年から大正期の絵画史をたどろうとする時、欠かすことのできない作品を残した画家です。

《赤い目の自画像》1912・1913年
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対象をいくつもの面の集まりとして捉え、幾何学的に表現するキュビスム的な表現と、対象の色に捉われない自由な色彩で描くフォーヴィスム的な表現が合わさり、観る者に強烈な印象を与える過激な自画像です。
鋭い直線が交差して作り出す鋭角的な表現は、社会や個人の不安を描いたドイツ表現主義を感じさせる。モダンアートの様々な表現を試み、新しい絵画を切り開いていこうとする画家の姿が窺えます。
赤色の持つ色彩力が存分に生かされた作品です。


《裸体美人》1911年
裸体美人1911年_convert_20100609170923

東京美術学校の卒業制作に提出され、黒田清輝らを困惑させた。草原にはゴッホ、裸婦と赤い腰布にはマティスやゴーギャンを見出すことができます。強裂な赤と緑色の色彩対比、強いタッチ、想像による背景などの表現は、表現の自由、個性の尊重が叫ばれるようになった大正時代を象徴しています。

ゴッホの草原の表現
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マティスのオダリスク
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ゴーギャンのタヒチの女
図2_convert_20100609200620



《もたれて立つ人》1917年 162.5×112.5cm  東京国立近代美術館
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対象を幾何学的な形体に還元して描く、初期キュビスムの手法を萬が取り入れて描いた作品。裸婦が、直線や円などの幾何形体で表され、片ぼかしによって量感が描き出されています。
日本人が最初に描いたキュビスム作品で、記念碑的な作品。
動的な画面構成や形の面白さ、深みのある裸婦の赤色の美しさが見どころだと思います。

ピカソ《マンドリンを弾く女》1909年
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■ 岸田劉生 きしだ りゅうせい(1891年~1929年)38歳没

写実的描写によって、その物に深く内在する「内なる美」を探究。


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黒田清輝の主宰する白馬会で外光派を学びますが、雑誌「白樺派」を通じて、ゴッホ、セザンヌなどの後期印象派に傾倒していきます。その後、北方ルネサンスのデューラーに影響を受けて写実描写による古典的な美求めていきました。三年程でその感化を脱し、物の奥に宿る深い神秘感である「内なる美」の探求を始め「在るという事の不思議な神秘」を絵画化しようとしました。自我の拡充と個性が尊重された、大正時代を代表する画家。

「切通しの写生」1915年 56×53 東京国立近代美術館 重文
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「直に自然の質量そのものにぶつかってみたい要求」によって描いたと劉生が語るように、石塀や土、草、小石、樹木の一つ一つが克明に描写され、その存在を強く感じさせます。
石壁と土壁面の対比、道路がせり上がるような、あるいは逆に、手前になだれ込むように感じさせる大胆な構図は、単調になりがちな画面に活力を与えているとおもいます。
道に映る二筋の木の影が、デコボコした感じや陽光の強さを強調し、写実性を高めて表現上重要な位置を占めています。

《静物(缶・スプーン・茶碗・林檎)》1920年
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劉生は静物画によって、その奥に宿る深い神秘感「内なる美」を捉えることを知り、ものが存在するということの神秘性を写実による静物画で描き出そうとしました。本当に静かな画面です。
描かれた果物、陶器、金属、木などのリアルな質感表現は鋭く、驚異的ですらあり、それがこの作品の見どころになっています。
スプーンがモチーフとモチーフをつなぎ、画面が二つに分かれるのを防いでいます。構図に劉生の苦心が感じられる作品だと思います。

《麗子五歳の図》1918年
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麗子を描いた油絵の中で、最初に描かれた作品。デューラーの影響が濃く感じられます。
デューラーに倣い、細密描写によって存在そのものを描き出し、深い美を探り出そうとした作品だと思います。

デューラー《自画像》1500年
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《麗子微笑》1921年
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微かな微笑みはダヴィンチの「モナ・リザ」が意識されていると思います。背景の暗さが、麗子を浮かび上がらせ、作品に神秘感を感じさせています。肩掛けの毛糸の質感が見どころだと思います。
 
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テーマ:アート - ジャンル:学問・文化・芸術

コメント

中村 彝など素晴らしいと思いますね。
八重洲のブリヂストンにもあった気が
します。

Re: タイトルなし

> 日本の近代美術史には、夭折した優れた洋画家がその名を残していますね。中村 彝も素晴らしい画家ですね。現在日本では、印象派の展覧会があちらこちらで開催されています。その印象派などの影響を受け、自分の絵を描くことに命がけで挑んだ日本の画家たちがいたことも広く知られて行くといいですね。

  • 2010/06/10(木) 18:22:38 |
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