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日本近代美術 洋画Ⅲ「昭和前期の洋画家」

明治、大正時代における、西洋絵画の到来と受容


【黒田清輝の功績】

日本に西洋絵画を普及させるという「国益」を考えていました。(古典的なアカデミズムの教育システムによって画家を養成しました。)裸体画、アカデミズムによる歴史画、構想画を日本に導入し、フランスにおける絵画の新傾向を日本に紹介しました。日本独自の油絵の創出を試み、アカデミズムと前衛を一人で演じました。

【印象派はどのように日本に伝えられたのか】

黒田や久米桂一郎は、フランスから印象派の作品を持ち帰らず、帰国してから印象派の描き方を見本として描きました。
モネの作品は日本人が購入して日本に持ち込まれましたが、公開されることはありませんでした。
 (日本の画家で、ルノワールに師事する者はいてもモネに師事する者はいなかった)
印象派は、作品や理論より先に、黒田と久米によって“模擬的な作品”によって紹介されました。

【「白樺派」による後期印象派の紹介】

1910年に武者小路実篤らによって発刊された文芸誌「白樺」によって、ゴッホ、ゴーギャン、セザンヌたちの後期印象派の画家の作品と、ルノワール、彫刻家のロダンの作品が紹介され、後期印象派の作品が親しめるようになりました。

後期印象派‥‥ 印象派の描き方から出発して、印象派の自然主義的な描き方に満足せず、画家の内にある
           内面的なものを描いたり造形性を高めることで、 印象派を乗り越えようとした画家たちをいいます。
           
ルノワール‥‥‥ 印象派の画家と呼べるのは初期の頃だけで、1880年代になると 印象派の描き方から離れ、
            80年代の後半からは「ルノワール様式」と呼ばれる柔らかなタッチで描くようになりました。

【西洋絵画の展覧会の開催と、個人コレクターによる収集と美術館の設立】

191年(大正7年)から23年(大正12年)の間に西洋絵画の収集がブームになりました。
日本で最初の大規模な西洋絵画(フランス近代絵画)の展覧会が1920年・22年に開催され、印象派、後期印象派の作品が大挙到来しました。
そして、松方幸次郎、大原孫三郎らによって西洋絵画の大規模な収集が始められ、松方コレクション(国立西洋美術館)、大原コレクション(大原美術館)、石橋正二郎コレクション(ブリヂストン美術館)は、美術館の設立に向かいました。

【短期間に伝えられたヨーロッパの新しい美術様式(モダンアート)】

ヨーロッパの美術様式は明治末から大正期にかけて一度に伝えられました。

・印象派 (モネ・ルノワール)                  
・後期印象派 (ゴッホ・ゴーギャン・セザンヌ)          
・フォーヴィスム(マティス・ドラン・ブラマンク)         
・キュビスム(ピカソ・ブラック)
・抽象絵画(カンディンスキー・モンドリアン)

「日本の近代美術」では、フォーヴィスムに影響を受けた画家が多いのが特徴です。

昭和前期の洋画家・Ⅰ

■ 梅原龍三郎うめはら りゅうざぶろう (1888~1986年・明治21年~昭和61年)

天性の色彩画家。華麗な色彩による装飾的表現で「日本的な油彩画」を創出しました。

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北京で制作中の梅原

雲中天壇1939年_convert_20100616173409
「雲中天壇」1939年

明治41年に渡仏。ルノワールの作品に感銘しすぐさま師事をしました。
印象派、フォーヴィスム、ポンペイの壁画に影響を受け、帰国後は、南画(文人画)や琳派など、日本の伝統美術に感化され、華麗な色彩と大胆で自在なフォルム(形)による独自の装飾的な様式を作り出しました。

《裸婦扇》1938年
裸婦・扇1938年_convert_20100615222256

フランスから帰国後は、“脱ルノワール”を模索する時代が続きました。琳派の装飾性を吸収することにより、赤い輪郭線の裸婦や緑の寝台、背後の扇ちらしの屏風など、様々な色彩が溶け合った装飾的な表現となっています。日本的な油彩画を目指した初期の試みです。裸婦や寝台を描く柔らかな線は、南画・文人画の影響と思われます。
どこか日本的な洒脱さを感じる画風です。       
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《紫禁城》1940年
紫禁城1940年_convert_20100616173142

戦時下の緊迫した時代に北京に滞在し、定宿とした北京飯店の五階の窓から眺めた広く美しい紫禁城を描いた作品。
1939年から43年までの5年間で6回も北京を訪れました。多くの傑作が描かれたこの時代を「北京時代」と呼び、梅原の生涯を通じて一番充実していた時代と言われています。
「北京時代」を代表する作品の一枚。赤色と緑色の強い色彩対比と柔らかな線による形態描写が作品を際立たせています。「美しいという感動をいかに強く、自分独自の描き方で描けるか」に画家の真価が問われるところです。
【梅原様式】としてそれに見事に答えています。

《薔薇》1947年
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《裸婦》1969年
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明るい色彩表現と装飾性。デフォルメによって強調された形の面白さ、とりわけルノワール同様、梅原の色彩である朱色(バーミリオン)が作り出すビビットな感じや朱色の持つ温かみを味わう。


■ 安井曾太郎やすい そうたろう(1888~1955年・明治21年~昭和30年)

「金蓉」を制作中の安井曾太郎
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1907年に渡仏する。セザンヌに傾倒し研究を重ねました。1914年の帰国後、セザンヌ様式では日本の風土や文化を描くことができず、十数年間制作不調に陥りますが、形態の大胆なデフォルメ(変形)、水彩画を思わせる滑らかな彩色、白色が多用された明るく浮き立つ画面を作り出し「安井スタイル」を確立しました。梅原と共に日本近代洋画の一時代をきました。

作品の特徴は、デフォルメと白色を多用した明るく平明な画面

《金蓉》1934年
金蓉1934年_convert_20100616173625

単にものを写すだけの写実ではない新しい写実を目指した安井の代表作です。
端的で柔らかな線が婦人を描き出しています。顔、胸、腰、脚の向きが夫々に異なる複雑な人体構成法で描かれて
いますが、ゆったりとした感じがします。造形的な構築性を高めるために多視点で描かれています。セザンヌの研究が生かされている作品です。

「写真のように引き写したところの絵には生命がない」 ‥‥‥  安井の言葉

描く対象(人物・風景・静物など)を自分の中でこしらえ直して描く

《婦人像》1930年
婦人像1930年_convert_20100616173834

婦人、椅子、床、壁が異なった角度で描かれていて、それが安定した構図の中に動きを作り出しています。下のセザンヌの作品と同様な絵画的な空間構造で描かれています。
婦人の身体のプロポーションが変えられて印象を強めています。着物と帯の柄が作品の見せ場となり目を引きよせます。白い足袋が婦人を浮き上がらせ、その存在感を強めていると思います。
 
セザンヌ「キューピットのある静物」1894年
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《薔薇》1932年
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