日本人にパリのイメージを決定づけた「パリの画家」

《立てる自画像》1925年

1924年に渡仏、フォーヴィスムの画家ヴラマンクに教示を受け、アカデミズムから離れた新しい表現に向かいました。1926年一時帰国しますが、日本での制作に行き詰まり27年再渡仏します。画中に描き込まれた壁に貼られたポスターの文字が、佐伯の作品を特徴づけています。30歳で亡くなるまでパリを繰り返し描き続けました。
教示を受けたヴラマンクの作品

《コルドヌリ(靴屋)》1925年

店先に吊るしたり積み上げられたりした靴が、壁の文字と共に画面のアクセントとなり作品を面白くしています。
壁の白と黒の入り口や窓とのコントラストが、この作品を魅力的にに仕立てていると思います。
《レ・ジュ・ド・ノエル》1925年

玩具店を正面から描いています。油絵の具によるマティエール(画肌)がそのまま建物の壁の質感となっているの
が見どころで、佐伯の魅力だと思います。
《サン・タンヌ教会》1928年

佐伯が影響を受けたのはブラマンクだけではなく、下町を描くユトリロからも大きな影響を受けています。白い絵の具が多く使われ、遠近法に拘らない動きのある作品になっています。
ユトリロ《コタン小路》1911年

《ガス灯と広告》1927年

再びパリに戻った佐伯は、石壁に貼られたポスターに魅せられていきました。細く鋭く踊るような書き文字が画面を
占め、重厚な表現の中に軽やかさを作り出しています。線が加わったことで作品としての豊かさが獲得されたのだと思います。
《ロシアの少女》1928年

亡くなる年に描かれました。素早く大胆に動く筆の音が聞こえてきそうな作品です。多彩な衣装をさらに映えさせる色として、背景に黄色が選ばれています。少女を囲む黒い線が、最後の力を振り絞るかのように力強く引かれ作品に力を与えていると思います。油絵の具によるマチエール(画肌)、平面的な表現もこの作品の見どころだと思います。
部分

《郵便配達夫》1928年

亡くなる少し前に描かれた作品でです。斜めに描かれた配達夫を支えるように、左上に文字入りのポスターが画面のバランスをとっています。まるで切り抜いて貼り付けたかのような厚みのない人物表現は、アカデミックな表現をよしとしなかった佐伯ならではの造形性が優先された描き方と言えます。配達夫の帽子、肩、膝が作り出す階段状の形態は作品の造形性を高め、この絵を古びさせないと思います。
スポンサーサイト