住む家も無く簡易宿泊所で寝泊まりをする。街を放浪しながら、自由奔放なタッチと色彩で素早く対象を描き出す。
昨日も無く明日も無く、今だけを生き、そして描いた漂泊の画家。
「20歳の頃の長谷川」

「快楽は人生の関門なり、悲哀もまた人生の関門なり」 16歳の長谷川の言葉
京都府生まれ。中学時代から詩や短歌を創作し独学で絵を学びます。1921年頃上京し公募展に出品します。東京下町の風景、繁華街にある酒場・カフェなどの情景、人物を自由奔放で力強い筆致と色彩で素早く捉え、生き生きと描き出しました。
27年に「二科展」、28年には「1930年協会展」で受賞します。住む家も無く住居を転々とし、40歳を過ぎたあたりから酒に溺れ、浅草や新宿の下町を泥酔徘徊する日々を送るようになりました。飲み屋では、煙草の箱の裏に絵を描いて飲み代や宿代を稼いだりしていました。1940年、行き倒れ人として保護され、東京市立板橋養護院で誰にもみとられずに49歳で亡くなりました。
【描き方・作品の特徴】
リアルさを問題にしない。強く感じたままを直感的に描く
パレットを使わず、チューブから直接キャンバス上に絵の具を絞り出し、指やヘラで素早く描いています。
対象の色や線に拘らず「自分の色」「自分の 線」「自分の世界」で描いています。
“絵画としての面白さ”を描き出す奔放な線と色彩、そして垣間見える白色の美しさが見どころだと思います。
「タンク街道」1930年

「大島の海」1937年

風景を瞬時に、自由な色と線に置き換えて表現してしまう才能に引きつけられます。現実の風景に負けない、長谷川の絵画の世界にしか存在しない風景が描かれていると思います。
《ノアノアの女》1937年


《二人の活弁の男》1932年

《パンジー》1938年

《青布の裸婦》1937年


描く対象の特徴や雰囲気を瞬時に捉えて一気に描いている、速描きです。モデルに似る似ないは問題ではなく、自分が感じたものがボヤケないうちに少しでも早く描きとめたかったのではないでしょうか。生き物のような絵の具、そして、絵の具と絵の具の間の白色が、線と色を一層際立させ響き合わせていると思います。1930年代当時の日本で、長谷川一人だけが描きえた世界だと思います。
49歳 行き倒れ人で保護された養護院にて

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