乳白色の画肌と繊細な線による優美な作品、パリ画壇で認められた最初の日本人画家。

東京都生まれ。東京美術学校西洋画科に学びました。1913年渡仏し、モディリアニ、スーチンらエコール・ド・パリの画家たちと交流を持ちます。「偉大なる白」と絶賛された光沢を持つ乳白色の下地に、繊細な墨の線で描く“日本的な油彩”が高く評価されて一躍エコール・ド・パリの寵児となりました。(日本から来た自分に、ヨーロッパの人々が何を求めているのか、自分には何ができるのかを意識して行く中、白と黒の表現を思いつきます。)
1940年、第二次世界大戦のために一時帰国し、従軍画家として戦地に赴き戦争画を描きます。しかし戦後、戦争画を描いた責任を藤田一人にかぶせた日本の洋画界に大きく失望して、二度と日本に戻らぬことを決意してフランスに帰化しました。洗礼を受けてレオナール・フジタと名乗りました。
【藤田嗣治がフランスで成功した一番の要因】
肌理の細かい乳白色の絵画の肌を作り出したところにあると思います。目で見て柔らかさを感じさせる乳白色の肌あいは、女性の繊細さを表現するのにふさわしく、フランス人の好みに合い、強くアピールすることができたのです。
【藤田のオリジナル技法】 いまだに100%解明されない “謎の技法”
・ヨーロッパ人には引けない線で描く。歌麿(浮世絵版画)に見られる、繊細で切り立ったなめらかな線を、
油彩画のカンヴァスの上で引くことができる技法を研究。

・面相筆(細い線が引ける日本の筆)で墨の線を引く。

フジタ作品集より 繊細な線を生み出すフジタの手

・線が生きるなめらかな乳白色の下地を作り出す。白い絵の具(シルヴァーホワイト/鉛白)に
石膏(炭酸カルシュウム)を膠で混ぜ、目の細かなキャンヴァスに塗って下地を作る。表面を研いで
陶器のような光沢のある滑らかさに仕上げる。
《寝室の裸婦 キキ》1922年

白い滑らかな下地の上に面相筆による墨の線で、モデルのキキが堂々としたポーズで描かれています。色彩を抑えた白と黒の対比が美しく、キキを浮び上がらせて幻想的にしています。周囲のカーテンは、ジュイ布というプリント生地で、この作品の存在感を高めています。
《アンナ・ド・ノワイユの肖像》部分 1926年

ワンピースのレースの質感が見事に表現されています。
《アトリエの自画像》1926年

身の回り品一つ一つが克明に墨の線で描かれていて、全てのものを線で描き切ることができる藤田ならではの作品です。これ以上足すものも引くものも無い“完品”が描ける画家だと思います。

《パリのマドレーヌ》部分 1939年

《猫(闘争)》1940年

《美しいスペイン女》1946年

白もさることながら黒も美しく描けるのが藤田です。その黒が女性の肌や顔を美しくしています。透明感のある黒い服の描写はこの作品の見どころの一つでもあり、細かなレースの網目を克明に描ける画力には脱帽するばかりです。背景に描かれたドーム、鐘楼、泉水が、前に行きがちな鑑賞者の視線を画面後方にも向けさせています。
《カフェ》1949年


ニューヨークでパリを懐かしむように描いた作品。カフェで手紙を書くのに思い悩む女性が描かれています。
黒色が効果よく配され、ソファの茶色との組み合わせがパリのシックな雰囲気を漂わせています。
流麗な線、陶器の様な乳白色の肌、宙に浮いている眼差しが、女性の心情を繊細に表現していると思います。
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