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グスタフ・クリムト

グスタフ・クリムト ウィーン分離派(1862~1918年)

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《旧ブルグ劇場の観客席》1888年  クリムトの優れた筆力を示す26歳時の作品(水彩画)
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【ウィーン分離派とは】

クリムトは20歳を過ぎる頃には工房を設立。数多くの郊外の邸宅の装飾の業績が認められ、新築のブルク劇場の天井画、30歳の頃にはウィーン美術史美術館の階段室の装飾という名誉ある仕事を完成させていました。35歳頃には、ウィーン美術界のリーダー的存在として期待がかかる人物でした。しかし生来体制に順応出来ない性格のクリムトは、印象派や象徴派の作品に触れることにより、自分自身が会員であったアカデミックなウィーン美術家協会から「分離」し、「ゼツェッシオン(分離派)」と名付けた団体を結成しました。分離派の精神は「時代にはその芸術を、芸術には自由を‥」でした。

【装飾性/平面性】

クリムトの作品の特徴の一つに豪華な装飾性があげられます。写実的な陰影を表現することが困難な金色を多用して、宝飾品のような美しさを絵画にもたらしました。顔が具体的に描かれているのに対して、身体着衣は平面的にパターン化され、立体感は失われています。さらに着衣の文様を非現実的に(文様が全てこちらを向いている)飾ることによって、平面性が強調されています。クリムトの造形は、日本美術に強い影響を受けています。浮世絵や絵巻物は(例えば見返り美人のように)、陰影を描かず平面的な色面で描かれ、文様が体のねじれによってどのように見えるかを無視して(しかし見た目には不自然ではない)描かれています。この装飾性を優先した日本美術の描き方を取り入れて、クリムト独自の画風が確立されました。

《見返り美人》
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《アデーレ・ブロッホ・バウワーの肖像》Ⅰ 1907年
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《フリッツァ・リードラーの肖像》1906年
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女性の写実的な表現と、椅子と背景の平面的な装飾性を組み合わせた作品。

【エロティシズム】

クリムトが生きた世紀末ウィーンでは、既存の認識が打ち破られて現代思想の基礎が築かれていて、特に性の魅惑が底流に流れていました。その流れの中、クリムト芸術のテーマの一つであるエロティシズムは、人々を驚かすほど赤裸々であり、華麗な装飾によって表現されています。

《金魚》1901~02年
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水の中に三人の裸の女性。水の揺らめきに静かに浮遊する体。誘い込むような官能的な視線は、エロティシズムに溢れています。

《ユディットⅠ》1901年
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世紀末ウィーンの雰囲気を感じさせる一連の女性肖像画の最初の作品。ユディットは旧約聖書に登場する勇敢な女性。ユダヤ人達にとって高潔なヒロインを、クリムトはウィーン風の妖婦として描きました。敵将の首を切り落とした直後とは思えない官能的な表情。背景にはアッシリアの宮殿のレリーフ(イチジクの木とブドウのつる)をパターン化し、クリムト独自の見事な黄金色で描いています。

【クリムトの装飾性と琳派】

尾形光琳《紅白梅図》1715年
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琳派とは、俵屋宗達を始祖として、江戸期に尾形光琳、乾山らが完成させた装飾的で意匠性に富んだ様式をいいます。クリムトの作品の中に見られる文様は、古代エジプト美術・ヴィザンティン時代のモザイクの他に、琳派の画家達が描いた渦巻き紋様、流水文様、藤・鱗・唐草の文様に大きな影響を受けています。
しかしクリムトは、これらの文様を華麗な装飾として再現する為だけではなく、作品に登場する平面化された人物と融合させ、耽美性・官能性を表現しました。

クリムト黄金期の代表作

《接吻》1907~1908年
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黄金のカプセルに入った恋人達が静寂の中を浮遊しているような雰囲気の作品。文様化された足元の花々が美しい。顔、手足だけがリアルな描写で、あとは豪華絢爛たる装飾性の極みです。この作品は、大衆の賞賛を持って迎えられ、発表と同時に政府に買い上げされました。
クリムトの作品では男性は直線的なモチーフ、女性は曲線的なモチーフで描かれることが多い。

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《アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像Ⅰ(部分)》1907年
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多種の文様を宝石箱のように豪華にちりばめ、婦人の華麗な雰囲気を強調しています。

ビザンティン様式の聖堂(渦巻き模様)
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【黄金色から離れる】

《アデーレ・ブロッホ・バウアーの肖像》Ⅱ 1912年
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《踊り子》1917~18年
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《生と死》1911年
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クリムトは晩年期にさしかかると、それまで多用していた黄金色を離れ、多色的な色彩表現に新しい様式を見出しました。《アデーレの肖像》ⅠとⅡでは、様式の違いが顕著です。

《踊り子》に見られるように、これ以上ない程に多色を使った、華麗な肖像画です。

《生と死》では、右半分に人の一生を表すいろんな年代の人物がその生を護るかのように一つの塊となっています。左には「死」の象徴として、寒色の文様の布をまとった骸骨がじっと見つめています。まるで「死を忘れるな」と語りかけているような表現です。元々は背景が金であったのを新しい様式を見出したため、暗色に塗り潰しています。

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テーマ:アート - ジャンル:学問・文化・芸術

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