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美を巡る「花」Ⅶ

【色々な花】

草間彌生《花》1992年
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草間彌生(1929~  )

ソフト・スカルプチュア(柔らかい彫刻)、ハプニング、コラージュ、版画、文学など、多岐にわたって世界的に活躍する現代アーティストです。小さい頃から、水玉と網目を用いた幻想的な絵画を描き続けています。1957年に渡米し、60年代にニューヨークで水玉と網目が増殖する作品が注目され、以来国内外で活躍しています。

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《無題》1939年 10歳の時の作品
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草間自身が、自らの芸術作品をオブセッショナル・アートと呼んでいます。オブセッション(強迫観念)とは、本人の意志とは関係なく頭に浮かぶイメージ(特に不安や不快感)に異常に強く囚われてしまうことです。普通は不安や不快感が起きてもすぐに解決したり忘れてしまうのに、オブセッションは、囚われたまま逃れられなくなってしまうのです。手の不潔感に囚われると、何度も何度も手を洗わないと不安から逃れられないのです。草間の場合は、幼い頃から身の回りの物が水玉などの同じ模様で覆い尽くされるという幻覚に襲われています。10歳の頃に描かれた母の像にもその水玉は表出しています。

「芸術を作り続ける事だけが私をその病から回復させる手段だった」

と草間が述べているように、自分を不安や嫌悪感に陥れているものを無限に反復する作品を制作することによって(作品を水玉や網目で埋め尽くす)自己救済しなければならなかったのです。

「悪魔が根負けするまでは、私の仕事もつづくのです。なぜなら悪魔は芸術の的であり、それ以上に戦友だから」

とも述べています。

1992年に描かれた「花」も、大小の水玉や網目でびっしり埋め尽くされています。そのスタイルは、自己救済という個人的な行為でありながらも、私達に大きなエネルギーと草間にしか描くことの出来ない美しさを感じさせてくれます。



蜷川実花《「地上の花、天上の色」展より》2008年
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蜷川実花(1972~  )日本の女性写真家 映画監督

蜷川の作品はネガフィルムです。蜷川は言います。
「フィルムは、自分が表現したいものが一発で出るんです。デジタルの色んな手間は煩わしいのです。又デジタルと違って、フィルムは消費するわけですから、緊張感や集中力が違います。」

大学生の時、コンビニのカラーコピー機から出てきた、サービス版の写真の拡大版が蜷川カラ―の原点となりました。地上の花々のヴィヴィットな色彩は、現実世界を離れ、天上の色彩として蜷川ワールドを作り出しています。



ボナール《赤いカーペットの花》1928年
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ボナール(1867~1947)

ナビ派の中でも特に日本絵画の影響を強く受けた画家。ナビ派を離れてからは、室内情景などの身近な題材を好んで描き、ヴュイヤールと共に親密派(アンティミスト)と呼ばれました。穏やかながら多様な色彩によるハーモニーを演出し、不思議な幻想の世界を描いて「色彩の魔術師」と言われました。

ここに描かれた花々は、花の種類や葉の形に具体性は全くありません。
ボナールは「色彩はデッサンよりも道理にかなったものだ」と語っています。つまり、形より色彩だと言っているのです。現実の中の形・色彩に依拠しないで、自分の世界で描く絵画の方に力があるということを示していると思います。
背景の黒い椅子の背もたれらしきものが、花の存在感を強くし、鋭角的に曲がった花の茎がこの作品を面白くさせていると思います。


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