美を巡る「風景」Ⅲ

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【海辺の風景】

エドワード・ホッパー《海辺の部屋》1951年
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開け放たれたドアの向こうには海。室内には一気に陽の光が差し込んで来ています。壁の向こう側の室内にも窓からでしょうか、光に溢れていることが分かります。人物は描かれず、ただ光と影の描写がリアルでありながら、非現実的な雰囲気が伝わる不思議な作品です。

ホッパーは言います。「白に黄色をほとんど混ぜずに、日の光を白く描こうとした試みに過ぎない。心理的な解釈はこれを見る人に加えてもらうしかない」


エドワード・ホッパー(1882~1967)アメリカンリアリスムの画家。

同じアメリカン・リアリスムの画家「ワイエス」の世界は、詩情(風、冷気、音など)を感じますが、ホッパーの世界はどうでしょう?20世紀前半の豊かなアメリカの日常的な情景描写。通い合う視線はなく、音や、風や、動きは感じられず、違和感・無表情・虚無感といった印象を感じます。
次の《カフェテラスの日差し》には二人の人物が描かれていますが、風景の一部として配置された印象が強く、まるで、そっとつまんであちらこちらへ移動できるフィギュアのようです。カフェテリアの非現実的な空間の中の、光と影のリアルな描写が印象的な作品です。

ホッパー《カフェテリアの日差し》1958年
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アレッサ・モンクス《ザ・レース》2007年
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近年、アメリカで注目されている、スーパー・リアリスムの女性アーティストです。ブルックリン在住。
この作品は写真ではなく絵画です。質感が見事に再現されています。

【スーパー・リアリスムとは】

写真と見間違うほどの驚異のリアリスム。1960年代後半、ポップアートが最盛期のアメリカで登場しました。
現代生活の日常に溢れる風物(車・看板・ショップなど)を撮った写真を利用して、モティーフに対する感情や思い入れを一切排除して描写する。写真という新しい映像世界を、人間のテクニックによって絵画の世界に忠実に再現するので、フォト・リアリスムとも言われます。またハイパー・リアリスムとも言います。


「ザ・レース」は、競泳に興じている男性の一瞬のしぐさがモティーフです。構図的には、女性と桟橋の存在・男性の頭がわずかに水平線の上に来ていることなどが遠近感を強めています。水面の揺らめきはもちろんのこと、水面下の男性の体・女性の影の再現性に圧倒されます。
しかし、もっとクローズアップして見てみると、タッチが残されていることが分かります。彼女の他の作品

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アレッサ・モンクスのように、水・泡・人体・布など、柔らかいモティーフを選択したスーパー・リアリスムの画家がいれば、リチャード・エステスのように、都市の景観をモティーフに描いた画家もいます。

リチャード・エステス《ウェイヴァリー・プレイス》1980年 油彩
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エドゥアール・マネ《浜辺にて》
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エドゥアール・マネ(1832~1883)近代美術(モダンアート)の父であり印象派の父

二人とも表情が分からない横顔。美しい海に視線をやるのは弟のウジェーヌ。本を読んでいるのでしょうか?妻のシュザンヌ。前景となっている妻や弟は、安定感のある三角形の構図で、浜辺でくつろぐゆったりとした雰囲気が伝わってきます。明るい砂浜や打ち寄せる白波に対比させて、妻や弟の着衣に暗色を使うことにより、全体的にシャープな印象を与えています。妻の帽子の黒い紐が弟の黒の着衣に呼応しています。マネの黒は美しく、効果的に使われていると思います。





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