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ピカソⅥ「総合的キュビスム」「ロココ的キュビスム」

総合的キュビスム 1912年~ 「パピエ・コレ」「コラージュ」の導入

解体が進み、何が描かれているのか判別がつきにくくなってきました。そこで再び現実との接点を得る方法として、印刷物などを画面に張り付ける「パピエ・コレ」というコラージュ技法が取り入れられ、平面的ではあるが層化した空間が作り出されました。抑えられた色彩表現から色彩が復活して洗練された表現になっていきました。

パピエ・コレとコラージュ
       表現に現実感を持たせる。

パピエ・コレとは「貼り付けられた紙」という意味で、新聞紙・楽譜・ラベルなど実物の紙類をキャンヴァスに貼り付けることを言います。コラージュとは「糊で貼る」という意味を持ち、パピエ・コレから発展したもので様々な物を貼り付ける技法を言います。

《籐椅子のある静物》1912年 絵画史上最初のコラージュ作品
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ピカソの最初のコラージュによる作品。本物の籐椅子に絵が描かれている様に見えますが、ロープで枠取りした楕円形のキャンヴァスに「籐椅子の模様が印刷された油布」を貼り付け、果物ナイフ、輪切りのレモン、グラス、パイプ新聞(ジュルナル)の三文字「JOU」が絵の具で描かれています。現実の物と絵画の結びつきは我々の目をまごつかせます。この“まごつき”が、作品の新しい意味づけを生み、以後の20世紀絵画の新しい視覚表現として、イリュージョニズムと関連して発展していくのです。

パピエ・コレによる作品

パピエ・コレの導入によって、現実的なイリュージョン(錯覚)のない、切り抜かれた新聞紙、壁紙、酒瓶のラベル、色紙など実物の紙類が糊づけされています。ギターやボトル等の形に切り抜いた紙を組み合わせたり、あえて白地のままに形を残したりして平面的な表現の中に多層な空間を作り出しています。キュビスム開始当初から色彩には関心が払われてきませんでしたが、1912年頃以後の総合的キュビスムから色彩が復活しました。更に画期的なこととしては、文字が画面に書き込まれるようになったことです。

《ヴュー・マルクの瓶・グラス・ギター・新聞》1913年
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《ギター》1913年
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《グラスとシュズの瓶》1912年
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ロココ的キュビスム

1914年頃から、総合的キュビスムで蘇った色彩を更に豊かにして、緑色を基調とした装飾的な作品を描き始めました。その優雅な表現から、18世紀の華やかな芸術文化ロココに喩えて、ロココ的キュビスムと呼ばれています。この作品は、縁飾りのある椅子に腰掛ける娘が描かれており、点描によって描かれた面が際立つように画面に配されています。コラージュによって貼り付けられたかに見える茶色の壁紙の断片や大理石の模様は、油彩によって描かれたもので、イリュージョン(錯覚)を否定するコラージュ技法そのものをイリュージョンとして描いています。「コラージュによって描かれた絵を」描いている絵として興味深く、又、緑色の微妙なニュアンスが美しい。ブラックとのキュビスムは1914年で終わりを告げ、ピカソの表現も、平面性が一段と強化された抽象的な色面構成へと変化していきました。

《若い娘の肖像》1914年
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(部分 点描)
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1915年に描かれた「アルルカン」の幾何学模様は、早くからピカソを魅了したものの一つです。キュビスムの空間らしく、アルルカンの背後の青と茶色の長方形が、前後が入れ替わる錯視的な描き方で表現され画面を面白くしています。マティスの「金魚とパレット」と表現の共通性が指摘される名作です。

《アルルカン》1915年
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マティス《金魚とパレット》1915~1916年
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セザンヌに影響されたピカソとブラックは、遠近法や明暗法を使わずして三次元の立体物を二次元の平面でどう表現するかということを徹底的に追及しました。その結果としてキュビスムが生み出されました。「多視点の導入」「分析解体」「再構成」「コラージュ」「パピエ・コレ」などの表現法が取り入れられました。

テーマ:アート - ジャンル:学問・文化・芸術

ピカソⅥ「新古典主義の時代」

20世紀を虜にした画家ピカソ・変貌の軌跡

「新古典主義の時代」   キュビスムが失くした「形」の復活と古典との対話

ピカソは、1917年から何が描かれているのか判別がつきにくいキュビスムによる表現を一変させ、古代の衣装をまとった量感溢れる女性像や微笑ましい母子像、流麗な描線が美しい人物像などを古典絵画への回帰を思わせる写実的な表現で描くようになりました。キュビスムの時代の次に位置し、写実的な具象作品が描かれた時代を「新古典主義の時代」と呼びます。


「オルガ・コクローヴァ」
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1917年、かねてより依頼されていたロシア・バレエ団の舞台装置や衣装の製作ためにイタリアのローマに滞在しました。そこで、バレエ団の踊り子オルガ・コクローヴァ(27歳)と知り合い、1918年に彼女と結婚しました。
オルガは旧ロシアの将軍の令嬢で、気品があり古典的な美しさを持つ女性でした。オルガとの結婚が、後に「新古典
主義の時代」と呼ばれる写実的な具象絵画を描く時代にピカソを向かわせることとなったのです。

《安楽椅子のオルガ》1917年
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結婚一年前に描いたオルガの肖像画。顔や腕は奥に回り込んでいくような古典絵画的な描法で描かれていますが(顔の描写が秀逸)、ドレスとソファーの模様が一体化しており、オルガが椅子に座っているようには見えません。装飾的なソファーの模様が、画面に貼り付けたように描かれていて、画面から奥行き感が消えキュビスム的な空間を感じさせます。少し抑えた統一感のある色彩にもよりますが、気品を漂わせたオルガが描き出されています。同じ設定で写真が残されていますが、写真と絵を比べてみるとピカソの“腕の確かさ”が窺えます。

《大きな浴女》1921年
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イタリア旅行中にギリシャやローマ時代などの古代美術に触れ、大きな影響を受けました。作品は画面一杯に、量感豊かな裸婦が描かれています。顔が無表情である、彫刻的である、手や足が身体に比して大きい、ギリシャ彫刻のような額から続いた鼻が描かれていることなどが、新古典主義の時代に描かれた人物像の大きな特徴です。初期のキュビスム時代には、ノミで削ったような面の集合体として捉えられていた裸婦が、一転して滑らかな陰影によって量感がつけられ、重く大きく、安定感のある裸婦に変化しています。この時期のピカソの安定した生活の表れか、深刻さの無い、ゆったりとした感じが味わえれる作品です。

《女の顔》1923年
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ギリシャ彫刻
図1

《母と子》1921年
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《海辺を走る二人の女》1922年 32.5×41.1cm
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作品サイズはそれ程大きくはありませんがが、長い手や太い足、画面から飛び出しそうな躍動感によって、大きな作品に感じられます(名品はすべからく実際の大きさよりも大きく感じられる)。顔を大きく上げ、髪を水平に後ろにたなびかせて、踊るように渚を走る二人の女性は歓びに満ち溢れています。鑑賞者も又同様に、この作品から明るく健康的な“歓び”を感じ取る事が出来ます。
           
作風の異なる作品を同時期に描く

    古典主義的な作品を描きながら、表現の異なるキュビスムによる作品も描きました。

《泉のそばの三人の女》1921年
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《三人の音楽師》1921年
三人の音楽師1921年_convert_20100429123503

全てが幾何学的な形に単純化され平面的に描かれています。人物同士、あるいは、人物と物との明確な前後関係が無く、作品からは遠近法的な奥行き感を感じ取ることはできませんが、形の重なりや色自体が持つ前後感によって、浅くはあるが少し複雑な空間が作り出されています。それが作品を平面的に終わらせることなく、作品の新しい“深み”となって立ち現われ、この作品を名作にしています。

この作品は総合的キュビスムが獲得した優れた結果であり、キュビスム運動の質の高さにおける一つの到達点に位置する作品ではないでしょうか。(ニューヨーク近代美術館所蔵)

    

一人の画家が、表現が正反対の作品を制作する‥現代美術 ゲルハルト・リヒター(ドイツ)の場合

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《ベッティ》1988年

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《抽象絵画》1988年

テーマ:アート - ジャンル:学問・文化・芸術

ピカソⅦ「シュルレアリスムの時代」

20世紀を虜にした画家ピカソ・変貌の軌跡


シュルレアリスムの時代 1925年~1936年 超現実主義に接近

シュルレアリスム(超現実主義)とは1924年にアンドレ・ブルドンらによって始められた20世紀最大の芸術運動で、人間の奥底に隠された無意識や夢の世界に芸術表現の領域を拡げました。ピカソは新しい表現を模索していた頃で、ブルドンらは、当時すでに有名になっていたピカソがシュルレアリスムの表現で作品を制作することが、その運動の発展に繋がっていくという期待を持ち、積極的にピカソに近づいて行きました。ピカソは超現実主義者たちに刺激を受け、人物を現実には存在しないであろう非現実的な形態に変えて描くようになりました。想像力が駆使された超現実主義的な手法でピカソ独自の世界が展開された時代を「シュルレアリスムの時代」と呼びます。

《三人のダンサー》1925年
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妻オルガに対する不満が大きく膨らんだ時に描かれたと言われている作品。ピカソの不安定な精神状態が反映されていると思います。新古典主義の静寂な作風が一変され、不穏で暴力的な感じがする表現です。左のダンサーは怪物のように顔が変形され、中央で踊るダンサーは、十字架にかけられたようなポーズをしています。右のダンーサは、死亡した友人のシルエットが描かれ、二重の人体からなっています。形や空間の共有化、パピエ・コレを思わせる壁の模様など、キュビスムの表現法が生かされています。

《恋人たち》1923年 《三人のダンサー》のわずか2年前、新古典主義の静寂な画風
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《頭部モニュメントのための習作》1929年
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シュルレアリスムの時代の作品らしく、現実には存在しない不思議な形をした物体が、モニュメンタル(記念碑的)に描かれています。鑑賞も具体的な物の形に結びつけて終わらせるのではなく、ピカソの想像力によって作り出されたオリジナルな物体として、形のユーモラスさ、不思議さ、柔らかな陰影の美しさ、彫刻的な物の存在感や空間を楽しむのが良いと思われます。

《ビーチにて》1937年
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不思議な生物や、幾つものパーツで出来上がっているロボットが連想される人物像。非現実的な世界が展開されています。

マリー=テレーズ・ワルテルとの出会い 

 「ピカソです、二人で一緒に素晴らしいことをしましょう」と、ピカソが声をかけた女性。娘マイヤを産む。

ピカソの作風が変わる頃には大抵新しい女性が登場すると言われています。

マリー=テレーズ・ワルテル
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《顔》1929年
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1927年、ピカソ(46歳)は17歳のマリー=テレーズを見染めます。ピカソがギリシャ彫刻のなかに見出していた理想の女の顔をマリー=テレーズに見たのです。美しいブロンドの髪と青い目を持ち、女性らしいふくよかな体つきがピカソの表現欲を刺激しました。作品では黄色の髪と、額と鼻が同じ高さで繋がる女性として描かれています。彫像も多く作られました。

1925年~1936年までの作品


《画家とモデル》1928年
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見る者と見られる者の「画家とモデル」のテーマは、ピカソの生涯にわたる大きなテーマとなりました。マティスの作品からヒントを得た分割線による画面構成が試みられています。情感を抜いた造形的な形の面白さや、人間をここまで記号のように単純化して“絵”にしてしまうピカソの造形感覚は抜きん出ています。画面中央に描かれた横顔はピカソだと言われています。

《赤い肘掛椅子の女》1929年
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妻オルガに対する愛情が次第に薄れつつあったピカソは、オルガを歯がむき出て鋭く尖がった頭部の不気味な物体に変えてしまった。しかし、ソファーの赤色の美しさが画面の不穏さを和らげている。

《頭部》1928年
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顔全体が大きな口のような怪物が小さな人間を飲み込もうとしています。ピカソは20年代後半になると、オルガを怪物じみた顔で描くようになりました。しかし、赤茶色の背景が黒い描線を美しく見せています。

《鏡の前の少女》1932年
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マリー=テレーズを暗示する黄色い髪の女性が、鏡に映る自分の姿を見ています。太く黒い輪郭線の強さと色彩の鮮やかさの一体化が画面を強固にし、鑑賞者への訴求力を高めています。又、ピカソ程、画面に縞模様を描いた画家は他にいないのではないでしょうか。その縞模様が効果的に使われて女性の身体の表現となっています。顔は、横顔と正面から見た顔が結合してまする。そのままを映し出す鏡なのに、女性の顔や姿が大きく変えられているのは、ピカソが人間の二面性を表そうとしたのだと解釈されています。

《夢》1932年
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肘掛椅子に腰かけ眠っているマリー=テレーズです。頭部から始まる曲線が、連続的な繋がりを見せて下方に下っています。横顔と正面から見た顔の結合、二つの背景、ネックレス、身体、両腕、服、シワ、ソファーの各色が二分されているように、この作品は対立する二つの要素で構成されています。それによって、画面全体の極度の平面化が回避され、画面に凹凸感がついて椅子に座る女性の存在感が作り出されています。赤や黄色の原色と、白や桃色などの中間色の組み合わせが美しい作品で、背景の菱形模様が画面にアクセントをつけています。

ピカソとマティス 良きライバル


ピカソ《赤い肘掛椅子の裸婦》1929年
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マティス《タンバリンのあるオダリスク》1926年
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ピカソ《黄色い髪の女性》1931年
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マティス《夢》1940年
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2010年5月4日、史上最高額 100億円 で落札されたピカソの作品

《ヌード、観葉植物と胸像》1932年

130×162cm
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テーマ:アート - ジャンル:学問・文化・芸術

ピカソⅧ「ゲルニカの時代から第二次大戦終結まで」

ゲルニカの時代(1937年)

1937年、ナチス・ドイツは、スペインの小都市ゲルニカを無差別爆撃して数千人の市民を殺害しました。ピカソは、以前からパリ万国博のスペイン館の壁画制作を依頼されていましたが、急遽、悲しみや怒り、抗議を込めて一カ月程で「ゲルニカ」を描きました。

ドラ・マール 「ゲルニカ」の制作過程を撮影した女性写真家。マリー・テレーズの次にピカソと関わった女性。

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泣く女1937年+(2)_convert_20100511222910
《泣く女》1937年

1936年、ピカソ(55歳)は、女流写真家のドラ・マール(30歳)と知り合います。芸術に関心を示さなかったマリー・テレーズとは対照的に、自らも芸術活動を行い、教養も高くピカソの良き理解者でもありました。「ゲルニカ」の後に描かれた「泣く女」として作品に登場します。愛憎の繰り返しが彼女を不安定にし、精神の病が彼女を苦しめました。

ゲルニカ

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349.3cm×776.6cm

20世紀の最高傑作といわれ「平和と反戦」のシンボルになっています。公開されるやいなや、世界中に衝撃を与えました。モダンアートの旗手であったピカソによる戦争画です。色彩は黒、灰、白の無彩色が使われ、構図は安定したピラミッド型で、空間は前後が入り組むキュビスムの空間で構成されています。作品内容が多義的で様々な解釈がなされています。

【図像学的解釈】

・子供を抱きかかえ悲しむ女→キリストを抱くマリア(ピエタ)   
・牡牛→暴力、暗黒の力(ファシズム)
・瀕死の馬→スペイン、ゲルニカ市民   
・ランプを捧げ出す女→自由の女神、真理の象徴  
・建物から落ちる女→悲劇の象徴   
・折れた剣を持って倒れた兵士→抵抗運動(レジスタンス)を表し、再び立ち上がることが求められるスペイン市民   
・電灯→全てを見通す神の目  
・小鳥→精霊、平和の象徴

ゲルニカ以後から第二次世界大戦終結まで(1937年~1945年)

《泣く女》1937年
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愛人のドラ・マールがよく泣く女性であったこともあり、ピカソは「ゲルニカ」の作品の中から泣く女を独立させ、彼女をモデルとして「泣く女」をシリーズ化していきました。ハンカチを口にくわえ、歯を剥きだして号泣する女性の顔が、多視点によって構成されています。見たままを描いた写実的な作品より、この画面からは数倍、女性の悲しみや泣き声が大きく伝わってきます。
            
【ピカソはなぜ、前向きの顔と横向きの顔を一緒に描いたのか】

キュビスムの初期(1906~09年頃)に開発した、複数の視点から見た画像を一つの画面に表現する描き方を取り入れました。それは、描かれている人物がどんな目や鼻や眉をしているのか、その人がどんな人なのかを、絵を見る者により多く伝えることができるからです。
   
   本人に似ているかどうかではなく、絵画的に面白いかどうかを優先し追求しました。

《花の前の麦わら帽子を被った女》1938年6月
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強弱をつけたスピード感のある線の洒脱さと、背景のピンク色や花が、お洒落な感じを醸し出しています。横顔に正面を向く静かな目が描かれ、マリー=テレーズの性格の一面が表されています。部屋に飾っておきたい一枚です。

《ドラ・マールの肖像》1937年
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画面が華やぐ原色と黒の組み合わせによって、ドラマールの持つ華やかな雰囲気がよく描き出されています。まっすぐ正面を凝視した大きな目、引き締まった口元、整った顔の線が「知的な女性」としての彼女をよく表しています。彼女の特徴である、赤いマニキュアの長い爪が効果的に描き込まれ、彼女を表情づけるのに役立っています。彼女の肖像画の中では一番の秀作。

【戦争がもたらすテーマ / 生と死、破壊と暴力】

《山羊の頭骨を持つ帽子の女》1939年
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歯をむき出し、目を見開いて血に染まる山羊の頭蓋骨を手にする女性は怒りの化身と化しています。ピカソと関わる女性(ドラ・マール?)が恐ろしげに変容されて描かれているのですが、第二次世界大戦勃発直前の社会状況に対するピカソの怒りが反映されています。帽子や服が暗い色に塗られているので、頭蓋骨の赤色(血液)が引き立ち、怖い顔と頭蓋骨の組み合わせによって画面から暴力的なものを感じざるを得ません。

《頭蓋骨のある静物》1942年
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戦争は激化の一途を辿り、ピカソは厳しい生活を余儀なくされました。この時期の作品の特徴は、画面から明るい色が払拭され、戦争や死がテーマとなっていることです。テーブル上の牡牛の頭骸骨は「死」、花は「生」、明るい窓は「希望」を表し、それらによって戦争による不安とそれを打ち消す救いを表現したと解釈できます。画面全体が沈んだ
色ではありますが、太い輪郭線や鋭角的な形が多く描かれているので強い表現になっている。それがドラマティクな「生と死」というテーマを強く押し出しています。

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ピカソⅨ「第二次世界大戦終結後から晩年まで」

第二次世界大戦終了後から晩年まで(1946年から1973年まで)

フランソワーズ・ジロー ピカソと関わった数多い女性の中で、唯一ピカソを捨てた女性

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第二次世界大戦も終わりに近づいてきた1943年、美しい画学生フランソワーズ・ジロー(22歳)に出会います。
ピカソ66歳の時に息子クロード、68歳の時に娘パロマが生まれました。ピカソも二人の子供に囲まれた家庭生活に安らぎを覚えたのか、子供達の遊ぶ姿を盛んに描いています。しかし二人の生活は10年で終止符がうたれ、1953年に子供を連れて自らピカソのもとを去りました。

《花の女フランソワーズ・ジロー》1946年
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顔は花に、髪は葉に、胸は果実にとジローを植物になぞらえて表現しています。ピカソ程、どんな物の形でも「絵」にしてしまう能力がある画家は他にいないのではないでしょうか。緑色と水色の組み合わせが美しく、土を示す赤茶色が微妙な幅で、上に伸びるジローを支えています。

《緑の髪の女性》1949年
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まず目に飛び込んでくるのは、画面を占有する黒い線です。踊るような黒い線がジローの髪や衣服を装飾的に引き立たせ、鑑賞者に多くを語りかけてきます。左上から垂れ下がる一本の線が、背景を生きた空間に変えています。“見たままを描かない絵”の楽しさが味わえる作品であり部屋に飾っておきたい作品でもあります。

ジャクリーヌ・ロック ピカソの晩年を共に過ごした二番目の妻。


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離婚に応じなかった妻のオルガが病死したことにより、かって陶房の助手をしていたジャクリーヌ・ロック(43歳)とピカソ(80歳)は1961年に再婚しました。ピカソは晩年に向かい、ジャクリーヌのイメージを主として自由奔放な作品を展開していきました。1973年、ピカソがムージャヤンのノートル・ダム・ド・ヴィの別荘で亡くなるまで共に暮らしました。

《手を組んで座るジャクリーヌ》1954年
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【敬愛する巨匠との対話】  “巨匠が居並ぶ西洋美術の列に加わる”

1954年から1963年にかけて、ピカソは、敬愛するドラクロア、ベラスケス、グレコ、マネなどの巨匠たちが描いた名作の場面設定や人物などを援用し、自分のイメージで“ピカソ・バージョン”と呼べるヴァリエーションを繰り返し描いてシリーズ化しました。

《ラス・メニーナス(ベラスケスによる)》1957年
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ベラスケスの大作「ラス・メニーナス」を基にして58枚の連作が描かれました。原画が持つ奥行き感や光の効果などの劇的な空間がピカソを惹きつけたと思われまする。線が目立つ、無彩色(黒、灰、白)で描かれており、ピカソらしく、画面は幾つもの断片化された面で構成されています。原画ほどの深い奥行き感は無いものの、面が重ねられて浅い奥行き感が感じられます。原画と異なるのは、絵筆をとるベラスケスに代わって、天井まで届こうかという大きさで画家(自画像)が描かれ、国王や前景の従者が簡略化されて描かれているところです。作品のサイズもピカソは横長に変更しています。重層的に配された黒、白、灰色系統の色彩が劇的な空間を作り出し、無彩色(モノトーン)の美しさが一面に湛えられた作品だと思います。

ベラスケス《ラス・メニーナス(宮廷の女官たち)》1656年       
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宮廷画家ベラスケスが、画面中央の可愛らしい王女を描いている場面ではなく、ベラスケスが国王夫妻の肖像画を描いている部屋に(後方の鏡に二人の姿が映っている)、女官を引き連れた王女が入ってきた場面が描かれています。この作品は、画家ベラケスの視線ではなく、ベラスケスの前に立ち肖像を描かせている国王夫妻の視線で描かれているのです。それは、この作品を見る鑑賞者の視線でもあり、国王夫妻は鑑賞者と同じくこの絵の外にいるのです。複数の視線が存在するバロック絵画の名品です。

《ラス・メニーナス》1957年
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《ラス・メニーナス》1957年
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《アルジェの女》1955年
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ドラクロア《アルジェの女》
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《マネの草上の昼食より》1960年
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マネの「草上の昼食」をピカソ流に変換した作品。マネの革新的な画家としての生き方に、ピカソはひきつけられたと思われます。ユニークで平面的な形に変形された人物像もさることながら、緑色を主にバランスのよい配色が画面の活性化を高めています。マネによって始められた絵画の平面化が、ピカソによって更に推し進められことに100年間の近代絵画の進み行きが示されています。

マネ《草上の昼食》1863年
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マネは、写実主義のクールベ(「天使は見たことが無いから描かない」クールベの言葉)の影響を受けていたので、見たままの現実を、裸婦は裸婦として描きました。しかもその描き方は、鏡のようにツルツルしたものではなく、どちらかと言うと筆跡を残すような描き方でした。古典描法を打ち破るため、平面性が新しい表現であることを打ち出したのです。新しい絵画表現をめざそうというマネの芸術態度(前衛・アヴァンギャルド)にあこがれ、またアカデミックな絵画表現に飽き足らない若い画家達が、彼を慕って集まるようになりました。(後の印象派の画家たち)

《座るジャクリーヌ》1960年
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ジャクリーヌの顔を幾つかの平面に分割し、それらを組み合わせて一つの顔にしています。キュビスムの時代を思い起こす表現である。それにしても、なんと複雑な顔の組み立てでしょうか。顔の中に様々な空間を感じさせ、作品の“見せ場”を作り出すピカソの造形感覚は衰えることはない。筆跡を残した絵の具の薄塗りが微妙な量感を効果的に表現しています。

目まぐるしいほどの変貌の後、晩年は過去の自作のテーマに戻る

《画家とモデル》1963年
画家とモデル1963年_convert_20100516013957

「画家とモデル」は、ピカソが生涯を通じて繰り返し描いた重要なテーマの一つです。キャンヴァスを中央に挟み、見る者と見られる者に画家とモデルが配されています。画家側は暗さを感じる寒色、モデル側は明るい暖色で描き分けられ黄色い床が二人を繋いでいます。見つめているはずの画家の目が、緑色に塗り潰されているのは何故だろう。ピカソは男と女をテーマにして描きました。

1968年から1972年まで後期・最晩年の作品の特徴

昔のテーマが描き直されている(母子、家族、接吻、画家とモデル)。
多くの時代の特徴を合わせ持ち、自作の様々な側面が組み合わされている。
色、形、すべてが自由奔放に描かれ、筆の衰えが感じられない。
人間の根源である「生」と「性」をテーマ化し、エロティシズムを追求。

ますます豊かになる色彩、比類のないピカソ・ワールドが作り出される

「日記を綴るように絵を描く」と語った様に、88歳で一年間に165枚の油彩画を描きました。形態を簡略化し、奔放な筆致で原色を塗り重ねた豊かな色彩の作品を多く描きました。

《肘掛椅子に座る女》1965年
肘掛椅子に座る女1965年_convert_20100512185838

《ヌードとスモーカー》1968年
ヌードとスモーカー1968年_convert_20100512190032

《接吻》1969年
接吻1969年_convert_20100512185954

88歳になっても、このように愛のテーマを力強く表現できるピカソの底知れぬパワーに驚くばかりです。ピカソ本人と妻のジャクリーヌがモデルになっているのでしょう。直角にぶつかり合う顔、二人の鼻と口の輪郭線を共通させて一体感を作り出し、大きく見開いた目、湧き上がるような渦巻くヒゲによって愛の高まりが強調されています。背景の青のストライプが少し奥に向かう空間を作り出し、明るい青色が画面が鈍くなるのを防いでいます。

《レンブラント風の人物とアモール》1969年
レンブラント風の人物とアモール1969年_convert_20100512191255

ピカソの絵を「子供が描いたような絵」と評する向きがあります。この作品も、無邪気に子供が描いたように見えますが、実際には、子供はこのようにバランスのとれた構図の絵を意図的に描くことはできません。赤色と黄色の原色がみ合わされ、黒い線によってアクセントづけがなされているので力強い表現になっています。晩年のピカソは、年を取っても子供の絵のように描けることを願っていました。

《帽子をかぶって座る老人》1970年
帽子を被って座る老人1970年_convert_20100512190334

《母と子》1971年
母と子1971年_convert_20100512190730

《音楽家》1972年
音楽家1972年_convert_20100512190601

絵画表現のあらゆる可能性を探り “ピカソ様式”に至る

晩年の作品の特徴は、一回で決めてしまう躊躇いのない筆運びや、迷いのない色遣いにあると思います。評価が分かれる晩年の作品ではありますが、観る者を“飽きさせない作品”を描くことにおいては、最高の熟達が示されていると言っていいのではないでしょうか。上手く描くことから離れ、好きなものを好きに描くことの素晴らしさやそれによる訴求力の強さをピカソの作品は証明していると思います。


《若い画家》1972年
若い画家1972年_convert_20100512190847

90歳の老境にあるピカソが、自分を若き画家として描いた自画像。軽妙で枯れた筆さばきが淡々とした雰囲気を感じさせています。しかし、穏やかな表情にあって、黒くて丸い瞳は何を見ようとしているのでしょうか。20歳の時に老成した姿で描いた肖像画と70年後に若い姿で描いた肖像画との間に、ピカソの画家としての一生が詰め込まれていると思います。

20歳の時描いた《自画像》1901年
自画像1901年_convert_20100413114645


《自画像》1972年
自画像1972年_convert_20100512190441

亡くなる前年に描かれた自画像です。このように正面から自分を見据えた作品はピカソの自画像の中でも数少ない。左右の瞳の大きさや色が異なる眼は、見開いてはいるが焦点を結べそうにありません。恐怖を浮かべたように青く塗られた相貌は、老いゆく自分の死への恐怖の表われなのでしょうか。ピカソは知人に、「昨日、素描を一枚作ったんだが、何かを表現できてると思うんだ。今迄に、描いたものとはちょっと違うんだ」と語ってこのデッサンを見せました。ピカソのように死の直前まで、観る者の興味を引き付ける作品を描き続けた画家はいないと思います。

ピカソは、若い頃から自分の偉大さを確信し、「芸術こそ自分、自分こそ芸術」と信じていました。



パブロ・ピカソ(1881~1973年)についてのメモ

※最も多作な画家としてギネス記録を持つ

  13500点…油彩・デッサン  10万点…版画   34000点…挿絵  300点…彫刻・陶器   



テーマ:アート - ジャンル:学問・文化・芸術

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