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大きな横たわる裸婦1935年 66×92.2cm ボルティモア美術館(アメリカ)

長い間、西洋美術が伝統としてきた裸婦像を、マティスは大胆に単純化し、デフォルメ(変形)させる形で受け継いでいます。裸婦は、まるで切り紙を張ったような大胆さです。
手足の先が画面の縁で切られているので、一段と裸婦が大きく感じられる拡張感があります。
強弱をつけて引かれた裸婦の輪郭線が、平面的な画面を引き締め、構図と共に緊張感を生み出しています。
この作品は、1935年5月3日に描き始めてから完成するまでに半年ほどの時間を要しています。一見簡単に早く一度に描いたように見えますが、最新の着想が出るたびに、何度も描き直しています。そしてマティスは、その変わり様を写真に撮って残しています。22枚の写真の中から7枚をご紹介します。
1935年5月3日 空間のとらえ方や裸婦の描き方が標準的

5月23日 切り紙で形を思考する

5月29日 背景にストライプが入る。裸婦のデフォルメがかなり進む。

8月20日 頭部の扱いに大きな変化が見られる。人体が画面の中にがしっとはまり込む。

9月4日 表情が整い、背景が単純化される。

9月17日 ポーズが決まらず、表情も揺らいでいる。

1935年10月30日 完成

《夢》1935年

かすかな寝息が聞こえてきそうなくつろぎ感を、優雅な曲線が醸し出しています。
腕や手の大きさが誇張され、特に下方に伸びた腕が、夢見る女性の心地よい脱力感を生み出しています。
眠りによって安らぐ女性の温和な表情が、見る者に安らぎを与えてくれます。
肘が作り出す三角形と画面上部の二本の斜線が対応して、構図を安定させています。
シーツの青と調和した、女性の肌の「バラ色」が美しい
テーマ:アート - ジャンル:学問・文化・芸術
ボナールと共に
「色彩の魔術師」と呼ばれるように、豊かな色彩表現がマティス絵画の見所ですが、それに劣らず簡潔で流麗な
「線」も見逃すことができません。特に曲線は、絵画の装飾性を追求し続けたマティスしか表現できない優雅さに満ちています。
デッサン集の出版《主題と変奏》 1943年 14の連作からなり、160枚のデッサンを収録
マティス自身「50年に及ぶ努力の果ての開花」と考えたデッサン集
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《主題》である一枚目は、時間をかけて何度も描き直された。
木炭で何度も描いては消し、最後にぐっと強い線を引いて仕上げる。
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《変奏》
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《変奏》

《変奏》
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《変奏》である2枚目からは、滑りのいいペンや鉛筆ではや描きをして、一切描き直しはしない。無駄の無い簡潔な線が美しい。

《鏡に映る画家とモデル》1935年

《美しいタヒチの人》1938年

《黄色い背景の顔》1952年
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《女の横顔》1942年

《埋葬》1949年


線が作り出す造形空間(共通する空間構造)
線によって「深さ」「広さ」「流れ」「リズム」を創作
マティス《下界からの一群が》1943年

大沢昌助《逃走》

傳山(ふさん)の書
(1607年~1684年 明末清初
テーマ:アート - ジャンル:学問・文化・芸術
1930年代後半から、1948年の最後の油彩画までの作品を紹介します。
色彩と線が分離した表現
《緑の袖のルーマニアのブラウス》1937年
色彩と線それぞれが表現力を持ち、互いに弱め合わないように分離する女性の輪郭線と色が、ずらされて表現されています。平面性が強調されながらも、女性は調和のある色彩とあいまって画面に同化しています。立体派から受けた影響で、左手が不連続な形で繋ぎ合わせた様に表現されています。
《紫の服ときんぽうげ》1937年
色彩と競う線の強さまず目に飛び込むのは強い線です。デッサンの流麗な線が油彩画でも同じように発揮されています。
踊るような曲線が、装飾化された画面を更に装飾化しています。
強い線に対抗するかのように、色彩も黄と紫、赤と緑色のように補色で強く表現されています。
《デイジー》1939年 122×96.5cm
目線が強く惹きつけられる不思議な人物表現赤の色紙を切り抜き、キャンヴァスに貼り付たような平面的な人物。
立体と平面が同居するマティスの空間
際立つように人物が太い輪郭線で描かれているため、見る者の視線が分散され、テーマである「デイジー」が中心を失い全体化しています。
《音楽》1939年 115×115cm
色彩、線、形が共鳴し合い、音楽的なハーモニーが、画面構成や色彩のなかに反響している。
右上がりの対角線上に二人の女性を並べた単純な構図。描かれたものそれぞれが、構図や色彩のバランスをとる役目を果たしています。
図案化された植物の葉の形が画面を浮き立たせています。
女性たちのプロポーションが大きく変えられていますが、不自然さが感じられません。
切り絵で配置や構図を考える
モチーフの形に切り抜いた紙をキャンヴァスに張り付けて、最良の構図を見つけ出す。


《貝のある静物》1940年
《マグノリアのある静物》1941年

空中を浮遊するかのように並置されたモティーフ
マティスが「私のお気に入り」と語っていた作品。より平面的で奥行きが無い表現です。花瓶下の小皿を除きすべてが立面で描かれていて、画面の中をモティーフが巡回しています。
最後の油彩画 病気のため、1948年を最後に油彩画の制作を断念する。
《赤い室内、青いテーブルの上の静物》1947年 116×81cm
70歳代後半でも衰えぬ制作エネルギーアラベスクの曲線に代わってジグザグ模様が空間を占有しています。装飾の絵画的効果を知り尽くしたマティスしかできない表現です。黒のジグザグ模様が画面から飛び出るのを、青いテーブルとリンゴ、皿、花瓶が重しとなって押さえています。
丸い壁飾り、丸いテーブル、丸いリンゴ、丸によって画面が単調になるのを、皿を不定な形にして防いでいます。
扉の斜線が唯一奥行きを感じさせ、作品に厚みを持たせています。
色と色との隙間の白が、色彩の簡潔な表現の美しさを強調しています。
《エジプト風カーテンがある室内》1948年 115.5×89cm
黒い背景なのに明るい室内
カーテンの大振りな模様がこの作品を魅力的なものにしています。
赤・緑色など他の色を輝かせながら、自らも色彩として空間としての役割を果たすマティスの黒色
ヤシの葉が、明るい光の形となってシャワー状に降り注いでいます。活き活きとした室内の雰囲気と光が溢れた作品です。
「ヴィヴィットな表現」とはこのような作品の事を指すのでしょう。
《大きな赤い室内》1948年 61×50cm
油彩表現の集大成 油彩画としての最後の作品絵画の装飾性、色彩による空間表現、立体の平面的な解釈、色彩と線が分離した表現など、マティスが生涯かけて追及してきた平面の新しい表現が示されている作品です。
マティスが最も好んだ「赤」が空間を占めています。
塗られていない白いキャンヴァス地が、ハイライトの役目を果たして画面を引き締め、更に二次元の平面性を強調しています。
画面は四等分され、四つの主要なモチーフは黒い椅子を中心として結び付いています。






マティスの作品は、模写を困難にさせるほどの微妙な絵の具のうす塗りが特徴です。
マティスの作品が実際の大きさよりも大きく感じられるのは、各モチーフの全体像を画面に収めず、一部が画面の端で切られている構図になっているからです。外に向かう拡張性は、マティス絵画の特質の一つでもあります。
自然や物、人体、空間をいかに絵画的に表現するか、絵画の生成に関する問題と真剣に取り組んだ画家です。マティスが切り開いた絵画の革新的な表現法は、今日も多くの芸術家が受け継ぎ様々な展開を見せています。
テーマ:アート - ジャンル:学問・文化・芸術
マティス 芸術活動の集大成 「切り紙絵」
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ホテル・レジナで紙を切り抜くマティス

1941年72歳の時に、マティスはリヨンで十二指腸癌の大手術を受けました。手術は成功し奇跡的な回復を遂げますが、一日の多くの時間をベットで過ごさざるを得なくなりました。体力的にも油彩画の制作は困難となり、そこでやむなく比較的体力のいらない、以前構図を考える時に手がけた「切り紙絵」を始めました。マティスの助手たちが、彼の指示で切り紙を下紙にピンで止め、彼の満足のいく配置になると糊付けをするというスタイルをとりました。
新しい表現に対する情熱は衰えることく、ベッドや車椅子にしばられながらも制作は続けられ、「切り紙絵」はマティスの生涯にわたる制作活動の集大成となりました。
切り紙絵 水彩絵の具で着色した紙を鋏で切り抜き、貼り合わせる。
「切り紙絵は色彩で描くことを可能にしてくれた。輪郭線を引いてから中に色を置く代わりに、いきなり色彩で描くことができる」 マティス
色彩と線、どちらも並び立つ表現を追求してきたマティスにとって、切り紙絵は、切り抜くことで色彩と線が同時に決まり、両方を満足させる表現方法でした。
版画集【ジャズ】より

1947年版画集として出版。生涯テーマとしてきた
色彩と形の単純化が、結晶化されています。
サーカスを中心にしたテーマで、即興的でリズミカルな表現であることから、その版画集は【ジャズ】というタイトルで出版されました。20枚の版画と、マティスの文章から成っています。
《空中ブランコ》

《イカロス》

《ピエロの埋葬》

《サーカス》
版画集【千夜一夜物語】
【切り紙絵による本の装丁】
「マティスその芸術と大衆」の表紙マティスのデザイン感覚は、現代でも充分通用しています。今日、日比野克彦に見られる表現の「単純化と装飾性」は、マティスによってその下地が作られました。黄色と青色の対比、黄色と黒色の対比、この二つの色彩の対比の組み合わせが、表現を活性化させています。
日比野克彦《H・table》1986年

マティス《ヴェルヴの表紙》1948年切り紙絵の代表作《王の悲しみ》1952年 292×386cm パリ国立近代美術館

色彩同士が強く響き合い、力強く調和している。舞い上がる黄色い葉が、王が奏でるギターのメロディーを感じさせ、画面に動きを作り装飾性を高めています。
《ブルー・ヌード》1952年
彫刻的なポーズを青と白の二色だけで表現した傑作です。4つのバージョンで制作されました。
バージョンⅠ

バージョンⅡ

バージョンⅢ

バージョンⅣ
テーマ:アート - ジャンル:学問・文化・芸術
南仏ヴァンスのロザリオ礼拝堂 全生涯の総仕上げ1941年に手術を受けたとき、看病してくれたドミニコ会の修道女たちに感謝の意を表したいと、礼拝堂のデザインを思いつくものの、実現はしませんでした。
術後も長引く病気に悩まされていたマティスは、モニク・ブルジョワという一人の看護婦に出会います。彼女は心身ともに弱っていたマティスを励まし、また創作活動の中心となっていた素描と切り紙絵制作の手助けをしていました。
しばらくして二人の音信はまばらになってしまいますが、1946年、看護修道女として名前をジャック・マリーと変えて、マティスの近くに越してきます。再び交流が始まり、彼女はロザリオ礼拝堂再建の為に、修道会とマティスの仲介役として貢献したのです。1947年に再建が決定され、礼拝堂すべての装飾がマティスに一任され、全面的に協力することとになりました。
正式名称は、
ドミンゴ会修道院ロザリオ礼拝堂。マティスは1948年から1951年まで礼拝堂
の設計の全工程にかかわる。内外装から聖職者の祭服に至るまで全てのデザインを手掛けました。
「4年間かかりきりの、たゆまぬ仕事をすることが必要でした。これは私の全生涯にわたる活動の結果です。まったく不完全な出来であるとしても、私はこれを自分の傑作と考えます。これは私にとって、制作に捧げられた一生の到達点です」 マティス_convert_20091230234655.jpg)
青いデザインが施された屋根の建物が礼拝堂
礼拝堂
光と色彩、素描、そして彫刻を建築の中で統合し、安息の場を作り出す
マティスデザインの12mの尖塔
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聖母や聖ドミニコの顔は最大限の単純化によって、楕円形で表わされています。
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ヴィヴィットなデザインの上祭服
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ホテル・レジナの部屋で寝たまま制作しました。
至高の光を求めて~ステンドグラスの制作
切り紙絵のデザインを応用する。絵画制作と同様に、何十回と習作を繰り返して完成。ガラスを通った光が建物と調和して美しく映えています。

《生命の木》の前のマティス
この礼拝堂は彼の制作活動の集大成に他なりません。切り紙の手法はステンドグラスや上祭服の制作に、素描や挿絵の経験は壁画に、彫刻の経験は燭台や鐘楼に生かされています。またステンドグラスのモティーフである植物は、油絵に見られた装飾的要素を思い起こさせます。
生涯を通した芸術活動において、「調和」というものを絶えず追求してきたマティスにとって、ロザリオ礼拝堂こそが到達点であったと考えられます。デッサン、色彩、構図などの要素がそれぞれの特性を弱めることなくいかに一つの総合として結びつけるか、また彼が取り組んできた表現手段の総合という点でも「調和」が実現されているのです。
テーマ:アート - ジャンル:学問・文化・芸術