川内倫子(かわうちりんこ 1972~) 女性フォトグラファー川内倫子《無題》2005 【Cui Cui】より (cuicuiキュイキュイとはフランス語で雀の鳴き声)

川内倫子《無題》2001 【うたたね】より

川内倫子《無題》2009

川内倫子《無題》2004年 AILA・シリーズより (AILAアイーラとはトルコ語で家族・血縁の意味)

写真集【うたたね】【花火】【花子】(2001) 【AILA】(2004) 【Cui Cui】(2005)【the eyes,the ears,】(2005) りんこ日記 ローライフレックス 正方形のフォーマット 浅い被写界深度 特異性
川内の作品群を見て、「いつも見ている物なのに」あるいは、「こんな写真を撮ったことがある」「自分にも撮れそう」と思う人は数多くいると思います。なぜなら彼女が撮る一連の被写体が、私たちの日常に存在する見慣れた光景であり、一見見過ごしてしまうような光景だからです。しかし彼女は、そのありふれた日常の流れの中に存在する特異性を見逃すことなく、独自の視線で切り取り、私達が気付かずにいた新しい世界を開示しているのです。
何でもない光景が、アートギャラリーで展示されたり写真集として発表されることにより、アートとしての訴求力がさらに高められています。
切り取られたものはジョーロから流れ出る水であり、洗濯機の中で回転する石鹸水であり、金魚たちの騒がしい動きであり、赤ちゃんのあごをつたって落ちる乳なのです。
浅い被写界深度により、前景と光景がボケて中景にピントが合っていることで、独特の雰囲気が伝わってきます。又正方形のフォーマットが、彼女の作品を特徴づけています。ローライフレックスの6×6というサイズを、ほとんどトリミングせずにプリントしているそうです。縦とか横という制約が無いことが彼女の世界をより高めているのではないでしょうか。
また光や色彩が美しく、物をやさしくみつめる(会話する)川内のやさしい眼差しが、こちら側に存在しているのを感じます。
小さき物にも神は存在するということでしょうか。
テーマ:アート - ジャンル:学問・文化・芸術
池田学(1973~ )佐賀県多久市出身
池田学《存在》2004年 145×210cm 紙 インク

《存在 部分》

《存在 部分》

《存在 部分》

現代アーティスト イラストレーター(wiki) 東京芸術大学デザイン科卒業 10cm四方/1日8時間 絵師 優れた描写力 アニメ・漫画
池田の作品を見たときの驚きは、米粒に絵や字を細かく描く技を見て「すごい、よく描けてるなあ」と感じる驚きによく似ていると思います。また日本の超絶技巧の工芸品である「欄間」を思い起こさせたりします。
【欄間】

実際の物や風景を見なくても描ける描写力、細密画としての描写力と構成力(部分を関連付けながら全体像を作り出す構築力)には驚嘆を覚えます。時空を超えてありとあらゆるものが描きこまれ、一つの作品の中に封じ込められています。超絶技巧の表示技術で描かれ、物語性に溢れています。
彼が日本のコンテンポラリーアートに名を連ねているのは、やはり現在のアートシーンの流れを上手く取り込んでいるからでしょう。具象表現が優位な現在のアートシーンであり、ポップカルチャー・アニメ・漫画に影響を受けた日本の現在のアートシーンです。池田のような計画的で破たんの無い作品群は、過去の、偶然性に任せた面白さに大きな感動を感じたアートシーンにおいては、決して認められなかったでしょう。
池田学の最近作《Gate》2010年 22×27cm 紙にペン

シュルレアリスムのデペイズマン手法を思い起こさせる作品。作品がかなり小さくなっています。よく描かれています。
やはり現在のアートシーンにおいては、事物事象の再現性が高く、内容が面白ければ良い作品ということなのでしょうか。
ふと、プラモデルの箱絵作家小松崎茂の作品を懐かしく思い出しました。
【スペースコロニー】
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名和晃平(1975年~ )大阪出身の彫刻家名和晃平《PixCell Shoe》2004年

名和晃平《PixCell Deer No.5》 2007年

名和は2002年から、様々な物を無数のガラスビーズ(ガラス玉)で覆う「PixCell(ピクセル)」シリーズの制作を始めた。
インターネットから取り寄せるというモチーフ。「靴」「鹿」に張り付けたガラス玉は、モチーフの表皮からプクプクと出現し続ける泡のようにも見える。そして私達は、ガラス玉の内部のモチーフを見たくなる。
近づいて移動しながら見るガラス玉を通したモチーフの表皮は、視点の変化によって、単なるモチーフとしてではなく更なる映像として記憶に残る。新しい視覚体験をすることになる。
「Pixel」はデジタル画像を構成する粒のことである。名和の「PixCell」は、映像を構成する細胞(Cell)ということなのだろう。
名和は、表面を見るだけであった従来の彫刻から、見る者が中身を見ようとする彫刻を作り出した。
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エドゥアール・マネ《ライラック》1882年

光にあふれたライラックの花。春の光が白い花びらの上できらきらと細かく振動し、甘い香りを伴って私達を慰めてくれる。ライラックの花束が無造作に挿されたグラスの水は、清らかで静寂な時を湛えている。心得た黒が、ライラックの花束をやさしく前に押し出している。
ウィリアム・モリス《ジャスミン》1872年

突然、瓦礫が渦巻く泥水に放り出された信じられないほどの多くの命。大切な人やもの達との絆は一瞬にして断ち切られた。流され流された魂たちがふと気付くと、泥水は消え去りジャスミンの花が漂う深い海の中。どうか安らかにお眠り下さい。どうか私達を見守っていて下さい。
岸辺から鎮魂の花々を捧げます。
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ライナー・フェティンク(Rainer Fetting)ライナー・フェティンク《自画像》

1949年、ヴィルヘルムスハーフェン(ドイツ)に生まれる。ベルリン美術大学で学ぶ。ベルリン・NY在住の
新表現主義の画家
ドイツ表現主義*の影響を受けています。
モダニズムが排除してきた具象表現(巨大なキャンヴァスに自由で大胆な筆触・色遣い)で、再び「意味・内容」を復活させた作品を描きました。A・キーファーらと同時代、ドイツ・アメリカで活躍している画家です。時々ロックミュージシャン。
*ドイツ表現主義の画家【エミール・ノルデ】
エミール・ノルデ《婦人像》1920年
エミール・ノルディ(1867-1938)
フランスのフォーヴィスム誕生と同じ1905年、ドイツのドレスデンでは、従来のアカデミックな芸術に反抗する若手画家たちが、自分達の作品が未来へのかけ橋となるようにと「ブリュッケ(橋)」というグループを立ち上げました。エミール・ノルデはその一人で、奔放な色遣い・激しいタッチ・歪んだ描線で心情を表現した「ドイツ表現主義」を代表する画家です。
ライナー・フェティンク《シャワーを浴びる男 Ⅳ》1981-82年 ディスパージョン/キャンヴァス 250×160cm
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男はどんな一日を過ごしてここに居るのだろうか。一点を見つめ続け、どれほどの時間シャワーを浴びているのだろうか。いや、シャワーを浴びていることさえ忘れているのかもしれない。このまま溶解していきそうな不安感。「お前だって孤独だろう?」私達への無言のメッセージが聞こえてくるようだ。
巨大なキャンバス、大胆な筆触、簡略化した形。映画やドラマのワンシーンのようなストーリー性を感じる。描写の巧拙を越えて私達の感情に静かな揺さぶりを掛けてくる。
ライナー・フェティンク《Phone Call》1984年 アクリル/キャンヴァス 230×182cm
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シャワーの後に掛かってきた電話だろうか。フェティンクの作品は、モティーフに統一感があり、つなげてストーリーが進んでいく。都会の片隅の情景だ。
具象絵画を描き続けたフランシス・ベーコン(1909~1992 アイルランド出身)の「自分が惹かれるイメージを再現しているだけ」という言葉を思い出す。
ねじり、編み込んだような男の体は長いストロークの筆触モザイク。対角線上のデフォルメされた不安定な肢体を、カウンターが支えている。黒く塗りつぶされた三角形のスペースが彼の安全地帯のようだ。
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